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父・フォルシス医師の事情

 白いベッドの上に、小さな子供が横たわっていた。枕もとにはおもちゃの木剣や、絵本が散らばっている。だがそれを、使って遊ぶものはもういなくなった。たった今、小さな命はその灯を消してしまったのだ。

「……ご臨終、です」

 食いしばった歯の隙間から、軋む様な声が漏れた。ああっ、と背後で夫人が嘆き、ベッドの反対側にいたパオロが重々しくうなずいた。

「……よくやってくれた。報酬は、後日に」

 俯いたままのパオロに告げられて、私はうなずき立ち上がる。

「それでは、これで」

 胸の中の感情を抑えつけ、パオロと、夫人へ頭を下げた。そうして、部屋を出る。子供の部屋とは思えないような、豪奢な家具の詰まった部屋。それはそのまま、彼の墓標になるのだろうか。ぼんやりと考えながら、私は屋敷を辞した。

 屋敷の馬車で送り届けようか、という執事の提案を、私は首を振るだけで辞退する。これ以上、あの家に関わっていたくは無かった。それに陽はまだ高く、山一つを越えるのに何の不都合も無い。執事は無理強いすることなく、門前で頭を下げて私を見送っていた。

 重いカバンを引きずるように、山道を歩く。強い山風に吹かれ、白衣の裾がはたはたと音を立てて翻る。見上げれば空は鉛色の雲で溢れ、今にも雨の降りだす気配を見せていた。私は足を速め、そして踏み固められた道から外れて歩を進める。少し行けば、炭焼きの山小屋がある筈だった。急ぎ足の額に、ぽつりと水滴が落ちてくる。道なき道を、私はさらに急いだ。

 山小屋に入り、火を熾す。しばらく無人であったため中は暗く、埃が舞っていた。濡れて震える指先で、なんとか種火を熾し暖をとった。囲炉裏端に腰を落ち着けてみれば、外から激しく小屋を叩く雨の音が聞こえてくる。

「くっそおおおああああ!」

 濡れた白衣を脱ぎ、床へ伸べたあたりで限界だった。私の口から、絶叫が迸る。誰も聞く者はいない。だからこそ、訪れた限界だった。

「どうして、どうして諦められる! どうして諦めた! 苦しみがあるのは、生きているからだろうがあああああ!」

 感情のままに、言葉を並べる。頭に浮かぶのは、パオロの子供の痩せた顔と、儚げに笑うパオロの妻の顔。そして、もういい、と首を横へ振ったパオロの表情だった。

「命は、命だ! たったひとつ、天に与えられたものだ! それを捨て、どうして安楽に死を望む! どうして、どうして!」

 床を叩き、転げまわって喚き散らす。そうしても、失われたものは決して戻っては来ない。そんなことはわかっていたが、感情はどうにもならなかった。口から迸る絶叫は、やがて意味を成さぬ言葉の羅列へと変わってゆく。獣のような咆哮を上げながら、私はただひたすらに狂態を続けた。そうしていなければ、幼子とともに病と闘った日々が脳裏に甦り、胸が張り裂けそうになってしまう。抑えつけるには、しばらくそうしているしか無かった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。私は目を開けて、山小屋の天井を見上げる。いつの間に、目を閉じていたのか。そしていつの間に、仰向けになっていたのだろうか。取り留めのないことを思う頭に、鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。ぼんやりと天井を見つめ、私はしばらく虫の声に耳を傾けていた。

 ばさばさと、山小屋の入口で何かの羽ばたく音がした。続いて、どさりと重いものを落とす音が聞こえてくる。一体、何なのだろうか。頭の片隅に疑問が浮かんだが、身体は重く動かない。ぱちり、と薪の爆ぜる音がした。

 しばらく、仰向けになって動かずにいた。すると、今度はコツコツと硬いものが戸を叩く音が、入り口から聞こえてくる。それは雨の音とは違い、明確な意図をもって打ち鳴らされる音だった。

 それでも、私は起き上がることさえしなかった。どのみち、炭焼き小屋の入口だ。鍵らしいものは何もない。でなければ、こうして私がここで寝転がることさえできないのだから。勝手に入ってくればいい。だというのに、音はしばらくの間、鳴らされ続けていた。

 やがて、戸を叩く音に混じり、ふにゃあと何かの鳴き声が聞こえてくる。猫だろうか。いや、と首を振り、私は渾身の力を込めて身を起こす。かすかな立ち眩みを覚えたが、覚束ない足取りで何とか小屋の入口までたどり着き戸を引き開けた。寝起きのぼんやりとした私の頭が、一気に覚醒する。開けた戸の向こう側には、一匹の真っ白なフクロウと、そして白い布にくるまれた人間の赤ん坊がいた。鳴き声は、その赤ん坊のものだった。

『よかった、ようやく、開けてくれたね、おじさん』

 頭の中に、不意に声が響いた。赤ん坊から顔を上げ、辺りへ視線を巡らせる。だが、声の主らしいものは、何も見えない。

『手がなくなっちゃったから、どうしようって思ってたんだ。あ、こっちだよ、下、下』

 視線を落とすと、赤ん坊の側に白いフクロウがいて、きりりと羽根を伸ばしていた。

「……君が?」

 短く問うと、フクロウはうなずくように地面に嘴を立てた。

『うん。おどろいてるところ悪いんだけど、この子、あったかいとこにつれてってくれない?』

 頭の中にまた声が聞こえ、フクロウが手羽根で赤ん坊を指した。弱々しい泣き声を上げる赤ん坊の額に、手を触れる。私はうなずき、赤ん坊を抱えて囲炉裏端まで移動した。

『助かったよ。まさか、こんなにどしゃぶりになるって、思わなかったから』

 後ろをついてやってきたフクロウが、少し離れた位置で火にあたる。輝く白い羽根から、滴がぽたぽたと垂れて床に染みを広げた。

「……頭の中の声は、君が出しているのだろうか」

 そっと赤ん坊を置いて、布を解く。女の子だった。カバンの中から、乾いた清潔な布を取り出し赤ん坊の肌をそっと拭った。

『そうだよ。神さまに、スキルをもらったから。念話っていうんだ』

 頭の中に聞こえてきた声に、私は眉を寄せた。

「それなら、声を変えることはできないだろうか。今の声でなければ、何でもいい」

『どうして? おじさん、この声、きらい?』

 聞こえてくるのは、まだ少年にならないくらいの、甲高い男の子の声だ。とりわけ、そのフクロウの声は今の私には、聞くに堪えないものだった。私は、うなずいた。

「その声を持つ子を、私はさっき殺してしまった。だから、聞いていたくはない」

『ちがうよ。おじさんは、僕を神さまのところへ、送ってくれたんだ。だからこうして、神さまのお手伝いをしてるんだ』

 フクロウの声に、私は小さく息を吐く。清潔な布を赤ん坊の腰へ巻いてやり、それから毛布で包んだ。

「その子は、貴族の夫婦の間に生まれた、元気な子だった。だが、ある日突然、病に罹ってしまったんだ。私はその子の父親、パオロとは友人で、医師をしている。パオロに呼ばれ、私はその子と一緒に病魔と闘ったんだ」

 囲炉裏に小鍋をかけて、水を煮沸する。胸の中に生まれた、じりじりと燻る感情を押し殺してカバンの中から薬鉢を取り出した。

『うん。おじさんは、とってもがんばってくれた。だから、僕はパパとママに、ちゃんとおわかれが言えたんだ……』

「手を尽したが、打つ術は無かった。いや、無くなったんだ。その子が、もう、苦しむのは嫌だ、と言ったから。処方した薬も吐き出すようになり、病は進行を深めていった」

 山で採った赤い実を、鉢の底ですり潰す。淡い、甘い匂いが立ち昇ってくる。種と皮を取り除き、丁寧に潰してゆく。

『神さまに、呼ばれてたんだ。早くおいで、って。だから、僕は』

「パオロから、話をされた。その子から、苦しみ続けるのはもう嫌だから、殺してくださいと頼まれた、と。それで、私に毒を調合するよう、パオロは頼んだんだ」

 小鍋からひとすくい、湯を薬鉢へと入れる。薄赤い、液体ができた。布切れにそれを浸し、赤ん坊の口元へと持ってゆく。小さな口が、布の先端を咥えた。

『おじさんの作ってくれた、さいごのおくすりは、僕にやすらかなねむりをくれたよ。神さまに起こされるまで、僕、ずっとねむってたくらいなんだから』

 汁が無くなるまで、赤ん坊はそれを飲み続けていた。私は、何度も布を浸し直し、与え続けた。満足をしたのか、赤ん坊が目を閉じ、静かな寝息を立て始める。そっと床に、赤ん坊を置いた。

「……なぜ、その子が死ななくてはならなかったのだろう。そして、君がもし、その子なのだとしたら……私のしていることは、一体何なのだろう」

 赤ん坊を起こさないように、静かに言った。胸の中で育った苛立ちは、今にも境界を越えて溢れ出してしまいそうだった。

『おじさんは、よいお医者さまなんだって。神さまが、呼んだたましいを引きもどしちゃうくらいに。神さまが、そう言ってたよ』

 フクロウの双眸が、こちらを覗き込んでくる。その眼の光の中には、面影が微かに感じられた。

「……君は、どうしてここにいる。私に、残酷な事実を伝えるために来たのだろうか」

 じっと見つめ、問いかける。フクロウは、首を傾けた。よく回る、首だった。ほとんど後ろを向いた首が、再び私の正面へと戻る。

『神さまは、おじさんをほめていたよ? どうしてそれが、ざんこくなじじつ、っていうのになるの?』

「私の質問に、答えてくれないか? 悪いけれど、君とはあまり長く話をしていたくはないんだ」

 フクロウの首が、再び回る。

『どうしてそんなこと……うん、わかった。神さまのごようじを、つたえるよ。だから、そんな悲しい目で僕を見ないで』

 睨み付けてやると、フクロウはようやく本来の案件を話し出す気になったらしい。姿勢を正すように、羽根をきちんと畳んで向き合ってくる。

『その赤ちゃんは、勇者になる子なんだ。やがてやってくる、あらたなまおうの力に、ゆいいつたいこうできる、光のそんざい』

 神様とやらに、言われたことをそのまま伝えているのだろう。フクロウの言葉には、どこかたどたどしさがあった。だが、言いたいことは、伝わってくる。

「この赤ん坊が、勇者……光の存在だと、そう言うのか」

 あどけない顔を見せて眠る赤ん坊を眺め、言った。フクロウが、首を縦に動かす。

『そう。その子は十五さいになったとき、力にめざめる。それまで、その子をまもり、そだてる人が、ひつようなんだ。それが、おじさんだよ』

 頭の中の言葉に、私は首を横へ振る。

「とてもじゃないが、私に勇者の守り役なんて務まるとは思えないな。私は、くたびれた、どこにでもいる中年の医師だ。それに、子供を育てた経験も、無い。神様は、何か勘違いをしているのではないだろうか」

『神さまは、まちがったりしないよ。その子にとって、いちばんいいけっかになるように、考えたっていってたもの』

 頭の中の声が、大きくなった。顔をしかめ、こめかみを押さえる。

『ご、ごめん。ちょっと、大きな声を出しちゃった。でも、神さまはみらいの勇者を、おじさんにたくすって、言ってたんだ』

 声の勢いが、少し弱まった。私は息をひとつ吐いて、赤ん坊を見つめる。

「もし、私がそれを引き受けない場合は、どうなるのだろう」

『え? どういうこと?』

「このまま、私がここへこの子を置き去りにして、小屋を出てしまえばどうなるのだろう」

 私の言葉に、フクロウが瞳をぱちくりとさせた。

『……おじさんは、そんなことしない。だから、だいじょうぶだよ』

「それも、神様とやらの入れ知恵なのかな」

 私の問いに、フクロウはゆっくりと首を左右へ振った。

『ううん、これは、僕の考えだよ。おじさんは、僕をはげましてくれたから。びょうきとたたかって、いのちを守ろうとしてくれたから……』

「だったら、何故……! いや、すまない。君の言いたいことは、よくわかった」

 手のひらを、強く握り込む。食い込む爪の痛みで、暴発しかけた激情は抑えつけることができた。怒鳴りかけたとき、赤ん坊の顔がぴくりと動いたのを、見たからかも知れない。それは、今の私にはわからないことだった。

「……この子の、両親はどうしているのだろう。生まれてから、それほど時間が経っているようには見えないけれど」

『その子にも、パパとママはいないよ。僕とおなじように、しんだあとのたましいをひろって、神さまがうつわ? を作ったんだ』

「では、どうして神様の元で育てないのだろう。私に預けるより、かなり上等で安全な生活が送れると思うけれど」

『神さまのところには、生きてるものは長くはいられないんだ。神さまが、そう言ってた』

「……では、この子が死んだ後の魂だというのなら、この子を失った両親の元に返してあげるべきじゃないのだろうか」

『それは……できないよ。その子は、いせかいからながれてきたたましいだから』

「異世界? どういうことだろう」

『ニホンっていう、せかいがあるんだって。このせかいとそのニホンってせかいは、つながってるんだ。ほかにも、いろんなせかいがあるらしいけど。その子はニホンで生まれたけれど、そのせかいじゃいしつすぎて、生きていけなかったんだって。だから、こっちのせかいの勇者に、生まれかわらせてあげたんだよ』

 フクロウの言葉に、私は赤ん坊をただじっと見つめた。ふっくらとした頬に、閉じられた糸のような目が穏やかな寝顔を見せている。異質すぎて、生きてはゆけなかった魂を持つ赤ん坊。口の中で呟き、私は長い息を吐いた。

「……わかった。この子を育てることは、了承する。神様に、そう伝えてくれないか」

 幾分か疲れた私の声に、フクロウが大きく羽ばたいて見せてきた。

『本当? ありがとう、おじさん!』

 頭の中で響いた大声に、私は頭の両脇へ手をやりうずくまる。

『あ、ご、ごめんなさい!』

「いや……大丈夫だ。話が終わったなら、もう用は無いだろう。君は、真っすぐに神様の元へ行ってくれないだろうか。できれば、パオロたちには会わないでいてくれるだけでもいいけれど」

『え……ど、どうして?』

「お別れを、きちんと済ませたのだろう。なら、もう君とパオロは何の関係も無いはずだ。もちろん、私と君も何の関係も無い。すぐに、この場を立ち去ってくれないだろうか」

 言って、私は小屋の入口の戸を開けた。思ったより、長い間話し込んでいたらしい。小屋の外ではすでに雨は上がり、うっすらと朝日も差し込んでいた。

『おじさん……僕』

「私の知っているパオロの息子、ポーロは死んだんだ。つい、昨日にね」

『フォルシスの、おじさん……』

「私をそう呼ぶことも、もう無いことなんだ。だから、早くどこかへ行ってくれ。君の声を聞いていると、私の気が変わって、この子を捨ててしまうかも知れない」

 じっと見返してくるフクロウを睨み付け、強く言った。フクロウはわずかなためらいを見せたが、羽根を広げて私の横を掠めるように外へと消えてゆく。

『おじさん、さよなら……それから、ありがとう』

 小さな声が、頭に響く。それからはもう、何も聞こえてくることは無かった。朝の山の気配が、耳に届いてくるだけだった。

「転生……か。そんなものがあるなら、私は、医師は、何のために病魔と闘い、命を救っているのだろう……」

 しんと冷えた空気が、小屋に入り込んでくる。戸を閉めて、囲炉裏端へと戻る。出発は、陽が高くなってからのほうが、いいかも知れない。そんなことを考えながら荷造りをしていると、赤ん坊が目を覚まして泣き始める。息を吐いて、私は仕舞ったばかりの薬鉢を取り出した。

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