それは嘘みたいにまっすぐで
エイプリルフールの夕方になっても、まだ嘘をついていないのは初めてだった。今日はずっと家に一人でいたからだ。けれど今から人に会う用事がある。北海道に引っ越す幼馴染を空港まで見送りに行くのだ。
最後にアッと驚かせようと電車内で巧妙な嘘を考えていたら、視界の隅でプリーツスカートが揺れた。見覚えのある、オリーブ色のチェック柄。僕が今月入学する高校の制服だ。
先輩にあたる人かと思ったけれど、新入生のように生地がぴっとのびている。ローファーも踵が一切すり減っていない。
それに凛とした佇まいに見覚えがあった。まっすぐ伸びた背筋。まっすぐ伸びた長い髪。今日は後ろで一つに束ねている。進学先の高校も同じという数少ない中学の同級生、高谷だ。
彼女は暗い地下鉄の外をぼっと眺めている。入学式もまだなのに、真新しい制服に身を包んでいるのが妙だ。
僕の視線に気付いたのか、彼女は表情のない顔こちらを向けた。伏せ目がちで視線はどこか遠くをたゆたういるようだった。
「なんで制服? 学校でなんかあったっけ」
僕の問いかけに彼女は視線を上げた。すっとした印象をもつ切れ長の目が、今は赤く腫れている。肌も白いからアルビノのウサギのような印象を受けた。
花粉症?と重ねて聞きそうになったけれど、彼女が答えるほうが先だった。
「死人に、会いにいくの」
抑揚のない声だった。しにん、と僕は訳もわからず言葉をなぞった。聞き間違えかとも思った。
死人みたいなのは彼女の生気のない無表情と青白い肌だ。触れたら温度がなさそうな顔をしている。けれど目だけは妙にまっすぐで、何か強い感情が揺らいでいるようだった。
「今から、お父さんのお通夜なのよ」
何を考えているのか全く掴めないような表情と声色に、僕は目をぱちくりする。
僕と同じ思考回路──四月馬鹿みたいな発言だけれど、彼女がそんな不謹慎な嘘を言う訳がない。それに、嘘にしては目がまっすぐすぎる。何と反応すればいいのかわからなくて、しばし彼女と見つめあった。潤んだ瞳に心臓の鼓動がはやくなっていく。
突然、彼女の赤い目と言葉が僕の中で結びついた。血の気がさーっと引いていく感じがする。花粉症なんかではなかったのだ。
「初めて、制服姿を見せにいくの。どう?」
スカートの裾を摘まんでプリーツを広げ、傷一つないローファーのつま先を軽く打ち付ける。
童話の中のお姫様のように優雅な仕草だった。けれど挨拶する相手は王子様じゃなくて、棺桶の中の冷たい父なのだ。
初めて着る制服が、そんなに悲しいものであっていいはずない。入学式の日、高校生活への期待を胸に抱いて袖を通すべきだ。
何か言わなきゃとは思うものの、何を言えばいいのかわからない。似合ってるよ、と普通に褒めるのも違う。言葉はいくつか喉元まで上がってくるけれど、これでいいのか、と躊躇して喉を通ることはなかった。辞書でさえも最適な言葉は載っていない気がした。
ただただ、型崩れしてないブレザーやブラウスの真新しさに胸が詰まった。
「エイプリルフールの嘘かと思った?」
電車がカーブに差し掛かり、車内が揺れ、やかましい音をたてる。もうすぐ次の駅だ。
僕は何も答えられず、足元に視線を落とす。彼女のローファーが穏やかな光沢を放っている。
「そうだったらよかったのにね」
今までまっすぐだった声が揺らいだ。僕ははっと顔を上げた。小さな呟きはほとんど電車に掻き消されたけれど、確かに震えていた。相変わらずかける言葉がみつからない。僕はどうすればいいんだ。自分情けなくて嫌になった。
「高谷……!」
ただ名前が口から零れた。瞬間、扉開いて彼女は何も言わずに降りてしまい、小さくてまっすぐな背中が遠ざかっていく。
──僕は何と言えばよかったんだろう。
どうしようもない気持ちで、綺麗に整ったプリーツスカートの裾が揺れるのを目で追った。それもすぐに雑踏に紛れてしまい、彼女は完全に視界から消えた。
扉が閉まります、ご注意ください、と車掌のアナウンスが車内に冷たく響く。目の前で閉まった扉はいつもより重々しく見えた。