迷宮塔と、葬儀屋
生きることに意味など、どこにあるのでしょうか。
そう、心の中で呟いた。
考えても答えなんてあるわけがないのに、いつからかずっと心の奥底にこびりついている。
数日前から、どうにも心がおかしいのです。
ざあざあと、雨が降っているような、爪先に重しがついたような……。
そんな、暗くて晴れない想いが、身体中に伝播しているように思えて……。
まるで、迷路に入り込んでしまったかのように、思考がまったくまとまらない。
「それでも死なないのは……、死ねないのは……、きっとなにかを、探しているのでしょうか」
それがなにかはわからないけれど……。
頭を振って、手先から伸ばした糸に意識を集中させる。
人間にはまったく見えない、白くて細い糸。
けれど、私の魔力を十分すぎるほど使って生んだ糸は、ここが18層だとしても、魔物に破られるほど柔ではない。
この18層には、デュラハン、と呼ばれる首なしの鎧騎士が、チームを組んだ状態で徘徊している。
ここのデュラハンは、それぞれに武器を持っていて、剣や槍、斧なんかに加え、弓や魔法を使うデュラハンも……。
いえ、それはどうでもいいでしょう……。
私は別に、デュラハンをターゲットにしているわけではないのですから。
「……ん」
微かに、けれど確かに、指先に揺れを感じた。
誰かが、地面ギリギリに張った糸に触れたみたいです。
「お薬は十分にありますし……」
ゆっくり立ち上がって、人型へと姿を変える。
操糸魔法は、人型でも扱えますが、多少感度が鈍る気がしますので……。
いつもの服に身を包み、廃都のような階層内で、ゆっくりと場所を変えていく。
「デュラハン達の場所は……、まだ距離がありそうですね」
張り巡らせた糸に意識を集中させれば、伝わってくる振動で、大体の位置はわかる。
こうして、探知や防御のための巣を張り巡らせるだけでもかなりの重労働で、3年経った今でもこの18層以外は、移動用の小さな巣しか作れてはいないのです。
さらにヒュライドの塔は、死んだ魔物の魔力や、塔内に漂っている魔力を吸収し、魔物を産み出しています。
そのため、定期的に糸に魔力を継ぎ足す必要があり、維持だけでも手間がかかってしまうため、巣を増やせないのです。
ゆっくりと場所を移動していけば、次第に辺りが騒がしくなってくる。
今回のお客様は、どうやらパーティー単位での探索のご様子ですね。
「向かっている方向だと……、あそこの廃屋、でしょうか」
この18階層は、私にとっては都合の良い階層で、基本的にはこの階層を中心に行動をすることにしています。
その理由としては、ひとつの階層にかかる時間が、早くても半日から1日、時間がかかれば2日以上かかることもあること。
そして、ポーションなどの回復薬は10日から15日程度で腐り、使えなくなってしまうこと。
それに加えて、ウルティアに繋がる帰還用魔道具も下2階層の16階層、もしくは20階層という、強力な魔物が生息する特殊エリアを越えた先にしかありません。
つまり、16階層を越えて、ここまで到達するような冒険者であれば、ちょうど薬が切れかけている冒険者も多く、撤退するにしても、進むにしても、補充が必要になることが多いのです。
その点、私であれば移動用の巣と糸を利用して進みさえすれば、半日とかからないため、普通の冒険者よりは早く到達でき、腐る前のポーションを売ることだって可能なのです。
「それにこの辺りは……、魔物も急に強くなりますので……」
薬の材料の補充も、手軽に行えますし……。
そう、小さく笑って、廃屋の中へと身を隠した。
ゆっくり歩きながら、服についた埃を払い、壊れかけの椅子を糸で補強し、腰掛ける。
「さて、そろそろ開店のお時間ですね」
まるで風で動いたかのように、糸を使って廃屋のドアを揺らす。
冒険者、というのは、慎重な行動を基本として教え込まれますが、その反面、子供っぽい冒険心も心に秘めているのです。
もちろん、そうでなければ、冒険者ではないでしょう……?
そのため、こうやって少し興味を引いてあげれば……。
「な、なんだ……? あんたはいったい……?」
「ふふ……。私はただの薬売り、ですよ」
おっかなびっくりと入ってきたお客様方に、立ち上がりながら笑顔を向ける。
噂として私の存在が広まっているのは知っていますが、出会う場所も、時間も、なにもかもが明確に決まっていない存在。
だからこそ、みなさま最初は驚かれるのです。
私のような、汚れてもいない少女が一人で、こんなところにいるのですから。
「ねぇ、これって噂のアレじゃない?」
「たしか迷宮の天使だったっけか?」
「あぁ、なんか聞いた気がするぞ。たしか、天使みたいに綺麗な少女って……」
そう言って私を見てくる3人の視線から隠すように、顔を俯けてしまう。
「そ、その……。あまり見られるのは慣れておりませんので……」
「あ、あぁ……すまない。噂通りの美しさで、つい……」
「ホント綺麗よね……。同じ女でも見惚れちゃう……」
「そういやお前女だったな、忘れてたわ」
「な、なんですって!?」
突如として始まった痴話喧嘩を尻目に、あぶれた青年が近づいてくる。
ごく普通の顔の青年だが、動きに淀みはなく、服に隠された身体には努力の跡が詰まっているのだと、見ているだけでもわかるほどでした。
「すまない、うちはいつもこんなんでな……。それより薬売りということだが……?」
「えぇ、そうですよ。こんなところなので、街で買うよりは少しお高くなりますが……」
「あぁ、それでもいい。もし良かったら売って貰えないだろうか?」
「はい、どんなものがご入り用でしょうか?」
「そうだな……」
青年の注文を聞きながら、収納魔法を発動させ、商品を出していく。
3人分ということもあるからか、ポーションが7本、それから干した肉などの食料が少し……。
「この量になりますと、銀貨4枚ほどになりますが……」
「ぐっ……、そうだよな……。かといってここでケチって、あの悪魔の世話にはなりたくないし……」
金額にうちひしがれる青年の口から、聞いたことのない単語が飛び出した。
聞き間違いでなければ、悪魔、と聞こえたのですが……。
「悪魔……ですか?」
「あ、いや、その……。……貴女のように、冒険者を助けるのとは違って、死んだ人間を相手にしてる少女がいまして……」
「死んだ人間を……?」
「えぇ……。広く知られている名だと、葬儀屋と、呼ばれてるのですが……」
その冒険者の方が言うには、塔の中で倒れた人間を、協会に運び込む少女がいる、とのこと。
その、それだけ聞けば慈善に溢れた、とても良いことのように思えるのですが……。
協会で行える蘇生には、莫大なお金が必要ということに、目を瞑れば、ですが。
「それは、その人のお知り合いとか……では、ないのですか?」
「いや、それはありません」
仮に知り合いであれば、蘇生を行うことにも、納得ができますが……。
知り合いですらない人間に対して、数十日なにもせずとも暮らせるお金を費やすのは……。
はっきり言えば、理解ができない。
「その……。なんの、ために……?」
「それもよく分かっていないんですが……。噂によれば、死体を生贄に、何か魔術的なことをやっているのか、とも……」
「なぜ、そんな噂が……? その、死体を運ぶ以外は普通の少女、なのですよね?」
「アレを、普通とは……、少なくとも俺は思えません。ましてや、同じ人とすら……」
そう言って、俯いた彼の前に、ポーションを一つ多目に差し出す。
知らなかった有用な情報に対する、対価のようなもの。
「今回は、こちらの本数と食料で、銀貨3枚でいかがでしょうか? 情報を頂いた分の、お値引きです」
「え、いやしかし……!」
食い下がろうとする彼の前で、左手の人差し指を口に当てて、少しだけ微笑んであげる。
それで私の言いたいことが伝わったのだろう、納得はできていないながらも、差し出した右手に銀貨3枚を乗せてくれた。
「ありがとうございます。このお礼は、いつかまた」
「いえ、無事に街に戻れるよう、お祈りしております。ちゃんと生きて、帰ってくださいね?」
「はい! ありがとうございます!」
いつのまにか、痴話喧嘩の終わっていた他の2人を引き連れて、彼は廃屋の扉を抜けて出ていく。
それを見送りながら、私はさっきの噂話を思い出していた。
「葬儀屋、か……。彼女はいったい、なんのために……、生きているのでしょうか……」
呟いた声は反響しあいながら、小さく消えていく。
それに合わせるように、私はゆっくりと廃屋を後にした。