六話 淑女として
王城ミクリア――四百年以上前に、三英雄の一人であるジゼル・シルビアが中心となり、王国を築く。 活気ある城下町に囲まれ、聖騎士団の隊舎や宿舎。 広い訓練用闘技場を敷地内に有する荘厳な城である。
その王城の二階の会議室に向かう二人の男の姿があった。
「なぁ、ルシウス。 やっぱり私も行かないといけないのか?」
重い足取りのまま、面倒だと言わんばかりの態度でそうこぼしているのは、シルビア聖騎士団総司令官。 ヴァルガスである。
「当たり前でしょう。 貴方は総司令官なのですから。 まったく、そろそろ自覚を持って下さい。 闘うだけが騎士の勤めではありません」
呆れ顔で、ヴァルガスの発言に頭を抱えている男は総司令官補佐であるルシウス。
総司令官の補佐としてヴァルガスを支えているルシウスだが、自由奔放な総司令官の補佐は一筋縄ではいかない。
「自覚はしているさ。 だが、椅子に座って長々と話を聞くのは性にあわんのだ……」
「それは知っています。 ですが、貴方は聖騎士団を指揮する立場にあるのです。 政治のことで問題が山積みだから聖騎士団の事は任せるとセルエル王もおっしゃっていたでしょう。 王であり、兄上であるセルエル王のお気持ちを汲んで下さい」
「分かっている。 しかしだな……」
「総司令官。 昨日の会議に出ないことを黙認した時の条件をお忘れですか?」
ささやかな抗議を口にするヴァルガスだったが、ルシウスは解放する気は微塵もない。
食い下がるヴァルガスにルシウスは冷ややかな視線を送りながら告げる。
ルシウスのその言葉に鼻白むヴァルガス。
昨日も同じような問答が繰り返されていたことを思い返した為だ。
ルシウスは結果として『明日の会議に出席するのであれば本日のことは大目に見て、賢老会にも上手く言っておきましょう』という条件を出し、ヴァルガスは昨日の会議の戦術的撤退に成功したのだ。
にもかかわらず、本日の会議までもルシウスに押し付けようとするヴァルガスにまくしたてるように続ける。
「忘れたとは言わせませんよ? それに挙げだせばキリがないくらい貴方のわがままや勝手に振り回されてきたのです。 試験一日目のグレイ・ゴードンの発言についての不問。 エドワード・ヴァーミリオンの対戦相手を自分にしろというわがまま。 そして会議の一件。 まだ必要ですか?」
深いため息をつき、ヴァルガスは観念したように両手を上げる。
グレイの件は、総司令官として見過ごすことの出来ない発言を見過ごしたこと。
――あんな気持ち悪いやつらと、仲良しごっこしてやがる連中の力がどんなもんか見に来てやったんだ。
そう吐き捨てたグレイをヴァルガスとルシウスは見ていた。
確実に侮辱罪として咎められるだろう発言にルシウスは処罰を下す事を進言した。
しかし、ヴァルガスは発言に関して黙認した。
ヴァルガスの経験上、ああいう輩は発言と力量が見合ってない場合が多い。 放っておいても、彼が害を成すとは思えなかったのだ。
万一、行動に出た場合は自ら制裁に向かえばいい。
そんな考えからヴァルガスはグレイの発言を見過ごしたのだ。
エドワードの件は、既に決定していた模擬戦の試験官を交代するようエディに頼み込んだこと。
こちらは流石に総司令官としての権限ではどうにも出来なかった。 否、総司令官だからこそどうにもならなかったのだ。
素人相手に、王国最強と名高いヴァルガスが斧を振るうことは許されない。
その結果、渋々だが身を引くことにしたのだ。
どちらにせよ、総司令官としてあるまじき行為であることはヴァルガスも分かってはいる。 が、細かい事にこだわらず、強いものと対峙したいという己の性分を理由に弁明を告げることも出来た。
しかし、このようにまくしたてる時のルシウスは、何を言っても許してはくれない。 これ以上の問答は不要。 抗議の声を上げようものなら、会議よりも頭と耳の痛くなるような話を延々と聞かされることになるだろう。
「わかった……出席する」
「最初からそうおっしゃっていれば無駄な問答をする必要はなかったのです。 そもそも本日の会議は入団希望者の最終選別を行う会議です。 貴方もエドワード・ヴァーミリオンの合否の行方を一刻も早く耳に入れておきたいでしょう?」
本日の会議は王国においてそれなりの地位を築いた者達が全員参加の会議となっている。
シルビア王。 聖騎士団の総司令官。 各隊長、及び副隊長。 賢老会。
それらの談論によって入団希望者の合否。 またその技量や能力によって配属する隊が決められるというものだ。
ルシウスの問いかけに、楽しみを見つけたとばかりに笑みを浮かべたヴァルガス。
「合否など言うまでもないだろう? しかし、どの隊に配属されるかは気になるな」
「そうですね――それでは急ぎましょう。 もう会議の時間が迫っています」
ルシウスが促し、足早に会議室へと向かう二人。
ヴァルガスはひとまず退屈しなくて済みそうだと内心で呟いていた。
* * * * * * * *
エドワードは試験終了後、昨日のことを考慮し、まっすぐガーランド家に向かい帰宅していたのだが――
「昨晩はご迷惑をおかけしました……」
玄関を開けて真っ先に目にしたのは、浅葱色のドレスに身を包んだアリサが謝罪している姿だった。
謝罪の理由はそれとなく思い浮かぶが、普段とは違うかしこまったアリサの反省の様子にエドワードは苦笑していた。
「別に迷惑はかかってない。 そんなに改まる必要はないだろ」
アリサは伏せ目がちになりながら、両手を下腹部辺りで組み、しかられた子供のような表情を浮かべている。 エドワードからすれば気にするほどの事でもない。 ましてやそんな風に頭を下げられては逆に困ってしまう。 しかし、たとえ本人が気にしていなくても彼女にとっては大きな失態なのである。
「いいえ……嫁入り前の娘が殿方の部屋で膝枕されながら眠り、挙句の果てには寝室まで抱きかかえられながら送り届けられたなんて……エドには迷惑をかけました」
「そこまで気を張る相手でもない。 気にするな」
エドワードが宥めるも、悲観的な思考のループから抜け出せないアリサ。 俯いたまま、こちらを見ずに己を卑下することを止めない。
「本当は朝に謝罪しようと思っていたのです。 それを寝過ごしてしまうなんて……それに考えてみれば二階から寝起きのまま送り出すなんて淑女としてあるまじき行為ですわ」
そんなアリサのマイナス思考を崩したのは、エドワードにとっての何気ない一言だった。
「そこまで自分のことを悪く言う必要はない。 朝のこともそうだ。 寝起きで身なりを整えるよりも、なにより先に俺を送り出したかったんだろ?」
エドワードの言葉に僅かながら表情が晴れるアリサ。
そんなアリサにエドワードは「それに……」と続ける。
「俺からすればアリサの可愛い寝顔が見れて役得だったぞ」
まっすぐにアリサを見てそう告げるエドワード。 嘘偽りのない本心からの言葉。 アリサは眉を上げて驚きを露わにする。 恥じらいとは違う感情がアリサの頬を一気に染めあげた。
「かっ可愛い!? ほ、本当ですか? はしたないところはお見せしませんでしたか!?」
可愛いと言われたことにより、反省や恥じらいを嬉しさが一瞬で追い越した様子のアリサ。
素直なその態度にエドワードの頬も自然と緩んでいた。
「本当だ。 昨晩は言うタイミングを逃したが、アリサはますます綺麗になったと思うぞ」
エドワードの言葉にアリサの頬は赤みを増し、喜色満面の笑みを浮かべる。 意中の相手から褒められることほど幸せを感じることはない。
当の本人であるエドワードはその点に関しては小悪魔的な性格とも言える。
思ったことを素直に伝えるが、そこに他意はないのだから。 良くいえば純粋。 悪く言えば鈍感なのだ。
しかしそうだと分かっていても有頂天になってしまうのが惚れた弱みというものだろう。
「もっともっと綺麗になりますわ! だから、その時はちゃんと今みたいに褒めてください!」
「別に構わんが、そんなに何度も言うことでもないだろう」
「いいのです! そう感じた時にはすぐにそう言ってください! 言の葉は想いを伝えるためにあるのですから!」
アリサの気勢に若干気圧されたエドワード。
これ以上の問答は無駄だと理解して素直に頷く。
そして、満足気に鼻を鳴らすアリサに問いかけた。
「今日も親父さん達は遅いのか?」
「はい。 昨日と同じく会議があるそうなので。 夕食は先に済ませておいて良いとお父様の使者から伝言を預かっていますわ」
おそらく、本日の結果を考慮した新規入隊者の選別があるのだろう。
参加資格が誰にでもあるということは、それだけ広い範囲の入隊希望者の素性を調べる必要がある。
どの程度まで調べられるのかはエドワードには知る由もないが、一日目に絡んできたような輩は実力の有無に関係なく落とされていただろう。
思案しているエドワードの手をご機嫌な様子のアリサがとり、食堂の方向へと引っ張る。
「ですので! 夕食にしましょう! せっかく今日は予定通りにエドが帰ってきたのですから」
悪戯っぽい笑みを浮かべているアリサ。 皮肉を交えてはいるが、昨日のような機嫌の悪さは欠片も感じない。 軽やかな足取りで食堂へと向かっている。 よほど先ほどの一言が効果を発揮したようだ。 エドワードはされるがままにアリサに手をひかれていく。
食堂にはすでに夕食が用意されていたが、その数は二膳分。 その数に疑問符を浮かべるエドワード。
「おば様はご在宅なんだろ? 一緒に食べないのか?」
「食べませんわ。 お母様はどんな理由があろうと、朝食と夕食はお父様とお食べになります。 わたくしもいつもはそうしているのですが、本日はエドがいるので」
「相変わらず仲がいいんだな。 それなら俺たちも待っていなくていいのか? 泊めてもらっている身分で先に夕食をいただくのは無礼な気がするんだが」
「父様達がそうしなさいとおっしゃったので、お言葉に甘えることにする。 でよいではありませんか。 親しき仲にも最低限の礼を尽くすのが常識ですが、相手方の厚意を無下にするのはそれに反しますわよ」
アリサは「ね?」と同意を求めるように小首を傾げ、上目にエドワードを見据える。 栗色の髪が揺れ、無自覚に男心を刺激するような愛らしい仕草。 しかし相手は女心に疎いエドワードである。 彼女の天然の妖艶な仕草は通用しない。
遠慮するなということだと解釈したエドワードは、アリサに賛同して二人で食前のお祈りをする。
食事を始め、エドワードは屋敷に来た時から感じていたことを感心したように呟く。
「それにしてもだいぶ『お嬢様』らしくなったな。 容姿もそうだが、話し方や振る舞いまで」
「ガーランド家の娘として恥ずかしくない振る舞いをしているまでですわ」
「昔はそれが嫌で屋敷を抜け出したんだろ?」
「そうですわね、昔は嫌でした」
痛いところを突かれたとばかりに苦笑するアリサ。
二人が出会った日。 森で迷った経緯は『賢老議員』という貴族階級の家柄の重圧に耐えかね、屋敷を抜け出したのだということをアリサ自身に聞いていた。 幼少期のエドワードには色眼鏡で見られるという一部の理由を除いては、理解してやることが出来ない内容だった。 そもそもエドワードはその重圧すらも糧に変えるような性格だった為、特に苦労をした覚えはない。
しかし、今となってはその苦労も分からないこともない。
毎日のように淑女としての振る舞いを望んでもいないのに叩き込まれる。 自ら望んで強さを求めていたエドワードとは根本的に違うのだから。
追憶の海に沈むエドワードにアリサが「ですが」と言葉を続ける。
「今では望んでこうしているのです。 礼儀も作法も言葉遣いも身だしなみも――騎士たる者の妻になるなら、それ相応に振る舞わないと」
決意の光を栗色の双眸に灯しているアリサ。 しかし後半はその表情とは裏腹に口ごもるように呟いた為、エドワードには聞き取ることが出来なかった。
「悪い、最後の方が聞き取れなかった。 何と言ったんだ?」
アリサは疑問符を浮かべるエドワードに、悪戯っぽく笑いかける。
「今はまだ教えてあげませんわ! エドが立派な騎士になった時に、その時には――全部話して差し上げます」
アリサの真意など分かるはずもないエドワードの疑問は結局解決に至ることはなかった。
数十分後。 食事を終えた二人の前にガーランド家の執事であるブライがあらわれ、恭しく頭を下げて告げる。
「お嬢様。 来客がお見えになりました」
ブライの言葉に、刹那の黙考をみせるアリサだったがすぐに応答する。
「わかったわ。 お通ししてちょうだい。 それからお母様にも伝えておいて」
「承知いたしました」
そう言って下がるブライ。 エドワードは何事かとアリサに視線を向ける。
「そういえば、エドにはお話していませんでしたわね。 本日は来客があるのです。 決まったのは今日の正午辺りなので急な話だったのですが、お爺様の友人である為了承させて頂きましたの」
エドワードの視線の意味を察したアリサが、事の経緯を説明する。 ガーランド家と繋がりがあるという事はそれなりの家系の来客であろうことを予想するエドワード。
「俺がいて大丈夫なのか? 自慢じゃないが貴族間の礼儀なんて全く知らんぞ」
「大丈夫でしょう。 おそらくエドも知っているお方かと思いますわ。 それに彼のお方は温厚な方なので固くなる必要もありません」
アリサの言葉に思い当たる節を探ってみるエドワードだったが、生憎、上流階級に知り合いなんていない。 強いて言えばヴァルガスぐらいだろう。 しかし、アリサの祖父と『友人』という言い方はおかしい。 温厚という性格でもない。
思案しているエドワードの前にその来客の正体が姿を現し、愕然とする。
「おやおや、エドワード君か。 こんなに早く再会するとは思わんかったのう」
温厚な笑みを浮かべながら、穏やかな物言いのエルフの好々爺が姿を現す。
アリサは、老人の姿を確認すると恭しく頭を下げる。
「お久しぶりでございます。 ベル様」
「アリサお嬢様もお元気そうじゃな」
二人が挨拶を交わす中、エドワードは遅れて状況を理解する。
「まさか来客がベル爺のことだったなんて」
ガーランド家からベル爺の家まではさほど距離はないため、交流があっても不思議ではない。
内心で納得するエドワードは、もう一人の来客も予想することが出来た。
ベル爺が来ているということは――
「やっぱりエドワードだったのね! 声が聞こえたからそうだと思ったの!」
ベル爺に続いて姿を見せたのは昨日の夕方と同じような格好に、首元に琥珀色の宝石が輝くステラ。
エドワードの姿を確認すると晴れやかな笑顔を見せ、純白のスカートを揺らしながら歩み寄ってくる。
「昨日ぶりだな。 ステラ」
「ええ、元気にしてた? 試験はどうだった? どうしてここにいるの?」
一気に疑問を投げかけてくるステラに、苦笑するエドワード。 第一印象が強烈だった為、ステラの変わり様にまだ慣れていないのだ。
その様子にアリサが口を開く。
「やはり、エドの話していた方はベル様の事だったのですね。 エルフの老人の家でお食事をしたという話を聞いて、もしやと思ったのですが。 ということはそちらの方がエドがお助けになったという――」
アリサは透けるような金髪の少女を見据える。
「ああ、その時話したエルフの少女がステラだ」
アリサの言葉に応答し、ステラを紹介するエドワード。
一方のステラは敵愾心を内に秘めながら、自己紹介をする。
「ステラ・ガーネットよ。 ベル爺がお世話になられたようなので共に参りました」
あからさまな慇懃無礼な態度に、エドワードは再び苦笑を浮かべるが、アリサはそんなステラの態度を気にすることなく笑顔で返答する。
「アリサ・ガーランドですわ。 こちらこそお世話になっています。 ベル様のお話はいつも為になるものばかりですもの。 ステラ様も仲良くして頂けると幸いですわ」
完璧ともいえる淑女の振る舞い。 アリサのガーランド家の令嬢としての振る舞いを見たことがなかったエドワードはその対応に脱帽する思いだ。 それと同時にエドワードがアリサに感じた『お嬢様らしさ』が確信に変わる瞬間でもあった。