三話 模擬戦
エドワードを見送ったステラは、真剣な面持ちで扉をノックする。
「ベル爺。 ステラです」
ステラがそう告げ、しばらくすると扉がゆっくりと開かれる。
中からは白髪を背中まで垂らし、髭をたくわえたステラと同じような耳のある老人が出てくる。
浅葱色と黄金色の瞳の老人は、ステラを見て優しく微笑んだ。
「大きくなったね。 ステラ。 さぁ、中へ入りなさい。」
エルフの好々爺はステラを中に迎え入れる。 書物が密集した書庫のような家に、彼は住んでいた。
エルフの民から『ベル爺』と呼ばれる老人。
彼は、十年程前、自らの見聞を広める為にこのミクリアへと単身で渡った。
当時から国民の中にはエルフに差別的な思想があるものもいた。 しかし現王であるセルエルは他種族との交流を深める思想の持ち主。 その為ベル爺を陰ながら支援していた。 その結果そこまで大きな荒事も起きず、平穏に過ごせたということだ。
しかし、今回ステラがベル爺を訪ねてきた目的は、シルビアからの出国を促すためであった。
「ティターニア様からの通達です。『近々、そう遠くないうちに災いが起きます。 一度国へ帰ってきてください』と」
「ふむ……災いとな」
「はい。 私も詳しくはお聞きしていませんが……」
ベル爺はしばし思考をめぐらせ、決意したように頷く。
「分かった。 七日ほど時間をおくれ。 荷物の整理があるのでな」
「それはティターニア様も承知です。 私もそれに合わせて帰国するようにと命ぜられました」
「そうかい。 こんな汚い所ですまないね」
「いえ、あ、そうだ。 ベル爺。 少しお願いが」
ステラは先ほどの経緯をベル爺に話す。
ベル爺は静かに相槌を打ちながら聞いていた。 ステラがブレイブと打ち解けたことに驚きを見せながらも、エドワードにお礼をすることを満足そうに承諾する。
ステラは窓際の椅子に腰かけ、外を眺める。
あの純粋な心を持った、緋色の瞳の少年が来てくれることを密かに祈りながら。
* * * * * * * *
エドワードは、訓練用闘技場の隅に座り、瞑想していた。
これは試験を前に集中力を高めるためだ。
エドワードの他に、一心不乱に剣を振るう者。 険しい顔で周りを威嚇している者。 緊張の面持ちで試験開始を待っている者。
それぞれが、試験開始を前に落ち着かず、ピリピリしていた。
エドワードは片目を開け、詰め込めば五百人ほど入るであろう闘技場に、ざっと百人ほどいることを確認し、再び瞑目する。
試験が二日間もかけて行われるのも頷けた。
これだけの人数の試験を行うのは、時間がかかるだろう。
ステラと別れた後、ミクリア城の西門までに到着したエドワード。 たくさんの戦士達がぞろぞろと城内に入っていくのが見え、そこからは迷うことなくこの場所までやってこれた。
「よう、兄ちゃん。 えらく余裕な態度だな」
挑発するような声が聞こえ、目を開けると、そこそこ体格の良い男と、目つきの悪い細身の男がこちらを見下ろしていた。
「あんた、さっきエルフの女と一緒にいただろ? ぼうずは他種族の女が好みか?」
あからさまに嘲笑する二人組。 発言しているのは体格のいい方の男で、細身の男はおそらく取り巻きだろう。
エドワードは静かに瞑目し、再び精神を集中する。
その態度が癇に障ったのか、男は中腰になりエドワードの胸ぐらに掴みかかる。
「おい。 無視してんじゃねぇぞ。 殺されてぇのか?」
「随分物騒なやつだな。 お前みたいなやつが騎士になりたいのか?」
エドワードは胸倉を掴まれたまま、臆する様子を微塵も見せず言い放つ。
男はエドワードの発言を鼻で笑い、吐き捨てるように告げる。
「俺は、自分の力を試しに来たんだよ! ついでにあんな気持ち悪いやつらと、仲良しごっこしてやがる連中の力がどんなもんか見に来てやったんだ」
この国の入隊試験も見直すべきだな、とエドワードは思う。
誰彼構わず試験を受ける資格があるのは少々面倒事を生むことになる。 結果、こういう輩を招き入れるのだ。
その時、聞き覚えのある野太い声が聞こえた。
「元気がいいな! だが、試験前の揉め事は御法度だ。 焦らなくても、この後すぐにやり合わせてやる。」
現れたのはヴァルガスだった。 騎士数人を引き連れ、銀の鎧を身にまとった彼は、こちらをチラリと見て微笑む。
男は舌打ちをし、掴んだ胸ぐらを乱暴に放した。
「覚えてろよ。 てめぇはいつか痛い目に合わせてやる。 せいぜい模擬戦で俺と当たらないことを祈るんだな」
吐き捨てるように言い放って男と取り巻きはその場を離れる。
まったく、とんだイチャモンをつけられたもんだ。 とエドワードはため息をつき、他種族への差別意識がまだ根強いことを、改めて実感する。
「それでは諸君! 本日はみな各々の信念からこの場に集まったことと思う。 さっそく、ルールの説明をこのルシウスから話してもらう」
ヴァルガスのすぐ隣にいる、茶色の長髪を後ろでまとめた理知的な顔立ちの男が前に出る。
「シルビア王国聖騎士団総司令官補佐。 ルシウス・ホーキンスです。 それではルールの説明に移りたいと思います」
手に持った書類に目を通しながら、ルシウスは話し出す。
「本日は参加者同士の模擬戦を、この闘技場を東側と西側の半分に分け、二組ずつ行っていきます。 模擬戦の組み合わせはこちらで決めさせていただきました。 呼ばれた者から模擬戦を行ってもらいます。 規則としては、木製の武器を用いて相手を戦闘不能、もしくは負けを認めさせた方が勝者となります」
勝てば一日目通過。 負ければ即失格。 完全に武力のみを重点に置いた試験であり、むしろ座学のような試験がない為、エドワードには有利といえる。
もちろん、騎士としての心得や世界史についての最低限の知識は身に着けているつもりだ。 しかし、エドワードにとっては身体を動かす方が性に合っている。
「それから、遠距離武器を選択された方々は試験の公平を図る為、後ほど模擬戦を行います」
魔導士や弓兵にとっては余程の実力がない限り、近接武器を用いた戦士を戦闘不能にするのは厳しい。 木製の殺傷能力の低い武器となれば尚更だ。
「説明は以上となります。 尚、死傷者が出ないよう治癒魔道士に来てもらっているので、その点はご心配なく。 騎士道に乗っ取り健闘してください」
ルシウスは淡々と説明を終え、下がる。 それを繋げるようにヴァルガスが前に出る。
「うむ、早速だが模擬戦を始める! 各々、使用する武器を選んで呼ばれるまで待機しておいてくれ!」
その言葉を皮切りに、それぞれ自分の得意とする武器をとる。
剣、槍、斧、弓矢、短剣、下位魔法陣が施された杖、あらかじめ用意されていた武器は全てが木製で出来ており、殺傷能力は低い。
剣術の他に、槍術、武術、弓の扱いなど一通りは祖父に叩き込まれているエドワード。
しかし、最も使い慣れており、重点的に鍛えられた剣を取る。
(ん……?)
剣をとったエドワードは一瞬、驚きの表情を浮かべた。 しかしすぐに気を取り直し、木剣を二、三度振った後、元々いた場所に戻った。
小一時間ほど待っていると、エドワードの名前が呼ばれる。
「エドワード・ヴァーミリオン! グレイ・ゴードン! 両名こちらへ!」
エドワードは立ち上がり、身体を軽くほぐしながら闘技場の西側の区間に歩き出す。
並ぶように歩いてきた者は、先ほどエドワードに絡んできた体格の良い男だった。
「また会ったなぁ、色男。 恥かかせてやるから覚悟しとけや」
男はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、斧を肩に担ぐ。
エドワードはグレイの相変わらずの態度に溜め息。
西側の審査員として、ヴァルガスと他三名。 それから治癒魔道士らしき者が一名。
こうして西側中央で対峙する二人。
「両者、用意はいいか?」
「ああ」
「いつでもいいぜ」
ヴァルガスの問いに、二人は頷く。
「それでは、始めっ!」
開始の合図により試合の火蓋が切って落とされる。
グレイが雄叫びを上げながら、エドワードに突撃。
そしてエドワードの脳天に渾身の力を込め、斧を振り下ろした。
――はずだった。
斧は横方に大きく弾かれ、グレイは肩を押さえてうずくまっている。
「これほどとはな······」
ヴァルガスが驚愕しながら呟く。
特別な魔法や剣技を使った訳では無い。
――ただ速すぎたのだ。
凄まじい剣速でグレイの斧をいなし、肩に一撃を与えた。 その動きを捉えたのはヴァルガスのみ。
この模擬戦を目にしていた他四名は何が起きたかすら理解出来ていない様子だった。
「総司令官殿。 この木剣、軽すぎませんか?」
エドワードは何食わぬ顔でヴァルガスに問う。
――――ヴァルガスは先日、ヴァンを訪ねた時のことを思い出した。
二人の模擬戦を覗きながら、エドワードの十六歳とは思えぬ立ち回りに驚かされる。
しかし、結果は敗北。 草むらで気を失ってしまった。
当然といえば当然だ。 『剣神』と呼ばれた御仁に勝利を収めることなど不可能だとヴァルガスは思った。
そんなヴァルガスにヴァンは声をかける。
『ヴァルガス、そこに転がっている木剣を持ってみろ』
ヴァルガスはヴァンの言葉に従い、不審に思いながらも木剣をもつ。
瞬間、ヴァルガスは驚愕した。
木剣というレベルではないほど重いのだ。 鋼の両手剣に重りをつけたほどの重さ。 この重量を、この少年は事もなげに振るっていたのだ。
『『剣神』と呼ばれていた私だが、その道を極めるのに随分費やした。 しかし、エドはまだ荒削りながらも、天賦の才を秘めておる。 今の私が敗れるのも時間の問題だ。』
哀愁を帯びた表情で笑うヴァン。 しかしその顔は孫の成長を純粋に喜ぶ祖父の顔にも見えた。
その時、ヴァルガスは武者震いするのを感じ、確信したのだ。
――この少年の力は聖騎士団に必要だと。
「総司令官殿?」
返事がないヴァルガスに再度呼びかけたエドワード。
エドワードの言葉にふと我に返るヴァルガス。
その顔は、隠しきれない喜びをはらんでいる。
「それが普通の重さだ。 勝者! エドワード・ヴァーミリオン!」
* * * * * * * *
一日目を難なく通過したエドワードは約束通り、ベル爺の家へ向かっていた。 日もだいぶ落ち、日輪は茜色に染まっている。 お礼を受けるために家を訪れることには気が引ける思いがあったが、ステラの想いを踏みにじるような気がして、行かないわけにはいかなかった。
しばらく歩いていると、ベル爺の家の前で俯いて座り込んでいるステラが見える。
午前中に身に着けていた藍色のマントは纏っておらず、細かい網目模様の純白のスカートと袖のない同じく白を基調とした黒のラインが入ったブラウスというラフな格好であり、首元からは琥珀色の宝石が下がっている。
藍色一色だった日中の服装からは考えられないような、年頃の女の子らしい格好に意外性を感じるエドワード。
ステラはこちらに気がつくと、ぱっと顔を輝かせやわらかにスカートを揺らしながら小走りで駆け寄って来る。
「良かった! 来てくれたんだ!」
屈託のない笑顔でそう言うステラに、エドワードの顔も自然と綻ぶ。
「わざわざ待ってたのか」
「来るならそろそろかな? と思ってたから。 エドワードの用事って聖騎士団の入隊試験だったんでしょ?」
「知ってたのか?」
「ベル爺に入隊試験のこと聞いて、もしかしたらって思ったの。 当たりだったみたいね。」
「なるほどな」
「エドワードお腹すいたでしょ? 今日のお礼は夕食なんだけど、いい?」
お礼が夕食なのはうすうす予想していた。
夕餉の香りが、外まで漂ってくるからだ。
しかし、泊まる予定のガーランド家でも用意しているはず。
エドワードはしばらく思案した後、どちらも食べればいいかという結論に至った。
そんなエドワードの何かに迷っている様子を読み取ったステラは、申し訳なさそうに呟く。
「もしかして、迷惑……?」
「いや、そんなことはない。 けど、いいのか? 俺なんかが邪魔して」
「いいの! エドワードのことはベル爺にも話してるから、歓迎してくれるわ」
ステラはそのままエドワードの袖を引き、家の中へ連れていく。
中に入ると、スープの魚介の出汁の香りと肉の香ばしい香りが一層濃く漂い、エドワードの空腹の胃袋を刺激する。
「ベル爺! 来てくれました!」
老人は食事の準備をしていたようで、顔だけこちらを振り返り、
「いらっしゃい。 ひとまず食事が出来るまで座っていなさい」
促されるままにエドワードは椅子に座り、ステラは食器を用意しだす。
ただ座っているだけなのも居心地が悪いので、立ち上がり、何か手伝うことはないかとステラに問うが、「客人は座ってて!」と一蹴されてしまった。
困った顔で立ち尽くすエドワードにベル爺も「座ってなさい。 すぐに出来るから」と微笑みながら声をかける。
エドワードは迷いながらも言われた通り、席につく。
一階と二階は吹き抜けになっており、そこから覗ける二階には二段に重ねられた本棚にみっちりと書物が収納されている。 エドワードの暮らす家ならばそれらの本だけで小屋が埋まってしまいそうだ。
食事の準備が終わったのか、食卓にはサラダやスープが並べられる。 そして、エドワードの前にだけ肉汁が染み出るステーキが置かれる。
そんな困惑したエドワードの様子に気づいたベル爺。
「ワシらエルフは肉を好まないからね」
「だったら俺もそれに合わせますよ。 わざわざ用意してもらって悪いです」
「これはお礼なんだから、エドワードは気にしなくていいの」
エドワードの遠慮がちな態度にステラが声を上げた。
ステラの発言にベル爺もにこやかに首肯する。
「そこまで感謝されるようなことをした覚えはないんだが……」
「この子はまだ町に来たのは二度目じゃからね。 それに、森では方向感覚に長けたワシらも慣れない街中では迷うことも多い。 君が案内してくれなかったら、ステラはいつここにたどり着けたか分からなかった」
ステラは、暗に方向音痴と言われたことにむくれながらも、否定はしなかった。
ベル爺は「それに……」と付け加え、
「ブレイブを毛嫌いしていたこの子と打ち解けてくれた君に、ワシは個人的に感謝しとる。 改めて礼を言わせておくれ。」
頭を下げるベル爺。 それに習い、ステラも頭を下げる。
義理堅い種族であるエルフ。 そんな印象を抱いたエドワードは、内心で感心する一方、再び困ったように眉を下げる。
「頭を上げてください。 道案内は当たり前のことですし、打ち解けれたのだって、俺は特になにもしてない」
実際、あんなに敵意むき出しだったステラが、どうしてここまで打ち解けてくれたのか、エドワードの方が聞きたいくらいであった。
そんな疑問を読み取ったのであろう。 ベル爺が応答する。
「ワシらエルフが、読心術を備えていることは知っているね?」
「はい、祖父に聞いたことがあります」
「うむ。 個人差はあるが、悪意やら敵意やらの『負の感情』、善意やら好意やらの『正の感情』にはみな一様に鋭い。 ゆえに君のような純粋に、正の感情にあふれているものはワシらエルフからすれば、好まれやすいんじゃ。 まぁ君のようなブレイブは稀じゃがね」
ベル爺に続けるように、黙して聞いていたステラが口を開く。
「その証拠に町で出会うほとんどのニンゲンからは私に対する負の感情が感じられた。 けれど、あなたからは全く。 純粋な感情しか感じなかったわ」
ステラが皮肉をこめてブレイブを呼ぶとき『ニンゲン』という単語を使うことに気が付いた。 改めてブレイブを毛嫌いしていることを再確認したエドワード。 そんなエドワードに、それとは別の疑問が浮かぶ。
純粋な感情……か。
そこまで褒められると逆に聞きたくなるのが人の性だろう。
「なぁ、ステラ。 俺からはどんな純粋な感情を読み取ったんだ?」
「エルフに興味があるような好奇心? それと……」
黙したステラ。 雪のような頬に赤みが差す。
そんな二人を見てベル爺は控えめな笑い声をもらす。
「君は本当に純粋なブレイブじゃな。 美しいものを純粋に美しいと思える心。 それをステラは感じたんじゃろう」
「ベ、ベル爺! もう……」
エドワードは相変わらず疑問符を浮かべている。
好々爺はそんな二人の光景に微笑ましく思ったのだろう。 一層穏やかな微笑みを浮かべ、エドワードに食事を促す。
「ほれほれ、せっかくの夕食が冷めてしまう。 遠慮なくお食べ」
「そうよ! くだらないこと聞いてないで、さっさと食べなさい!」
相変わらず赤い顔のまま食事を促すステラ。
なぜ紅くなっているのか。 なぜ怒っているのか。
それを知る由もないエドワードは、大人しくお言葉に甘えて食事を頂くことにした。