story:7
サイラスと付き合う(仮)と言うことになり、ザラが初めにしたことは母に手紙を書くことだった。つまり、恋人ができたから見合い話は持ってくるな、と言うことだ。放っておくと、明日にでもまた見合い話がくる。それにしても、母はどこからこんなに話を持ってくるのだろう。
返事はすぐに来た。いくら郵便が早く届くようになったからと言って、この速度はザラの手紙が到着してからすぐに返事を書いたとしか思えない速度だった。ザラは「わぁ……」とちょっと引き気味に驚いた。
放っておくと職場に電話がかかってきそうなので、すぐに開封する。ノーリッシュ子爵家の王都の屋敷には、電話がなかった。別に貧乏なわけではないが、電話を設置するほど裕福なわけではない。ただ、生活には困らずちょっと贅沢ができるくらいな家なのである。
手紙の内容はほとんどザラの『恋人』についてだった。ザラは恋人の名前を書かなかったので、名前は何というのか、年はいくつか、何をしている人なのか、どんな人か、とそこまで聞くか? と言うようなことがずらずらと書かれていた。母はミーハーなのである。
ちょっと面白かったので、サイラスに見せてやろうと思った。そのまま出勤する。
「あ」
「あ、おはようジーン」
ほぼ同時期に危機対策監室配属になったユージーンに、ザラは一方的に親近感を抱いていた。
「おはよう」
ユージーンはクールだ。決して無愛想なわけではないのだが、さくっと言いにくいことを言ってのける。
「そう言えば、サイラスと付き合うことになったって聞いたんだけど」
「……それ、どこから!?」
「うちにはセオドール様がいるからね」
つまり、サイラスからエリザベスとセオドールを経由し、ユージーンの元まで届いたと言うことか。ザラはがっくりと肩を落とした。
「じゃあ、知れ渡るかな」
「姐さんもセオドール様も話すような人じゃないけど、こう言うのは広まってくもんでしょ」
ユージーン。本当にクールだった。そんな話をしている間に危機対策監室に到着した。
「おはようございます」
ザラとユージーンが並んではいると、そこは戦場だった。
「ああ、おはよう! ジーン、早速だけど、いい?」
「はい。どこに連絡取りますか」
ユージーンは声をかけてきたノエルにうなずくと、すぐに自分の席について準備を始めた。ザラは邪魔にならないように奥の事務官席に向かった。
「おはようございます」
「おう。おはよう」
先に来ていた事務官たちが挨拶をする。隣の席の事務官に、ザラは尋ねた。
「何があったんですか?」
「なんか、王立大学に侵入者が現れたらしい」
「へえ……それって大丈夫なんですか?」
「いや、大丈夫じゃないだろ……」
室長補佐官が冷静にツッコミを入れた。邪魔にならないように小声での情報交換が終わると、ノエルが次々と指示を飛ばしているのが聞こえた。その指示に合わせてユージーンたち管制官が現地と連絡を取っている。
「そういや、セオドール様は?」
始業時間を過ぎても現れない主席調整官兼室長補佐の姿に、事務官が首をかしげた。室長がのんびりと答える。
「現地に向かって行ったぞ。一応、止めたんだがなぁ。あいつ、嫁に似てきたよな」
室長はセオドールがこの危機対策監室に最初に配属された時からの付き合いであるらしい。だから、彼がもともとどういう人間だったかを知っている。
そのあたりは抜きにして、ブラックリー公爵家は王立大学に出仕している。そのため、見に行きたくもなるだろう。それに、王立大学に保管してある書類はとても貴重で、かつ重要なものだ。ブルターニュの法律やら成り立ちやら、裁判記録やらが眠っている。
夫が現場に向かっても、ナイツ・オブ・ラウンドである妻の方は宮殿に残っているだろう。そんなに簡単に動けないはずだ。
どうしても危機対策監室に調整依頼が来ると部屋の中はバタバタする。事務官としては肩身が狭くなる。移動しづらい。いや、物理的な問題ではなく心理的な問題で。だって、忙しそうなのに気を使うじゃないか。
「あ、セオドール様から通信です」
「ん。つないで」
通信を受け取ったユージーンの報告にノエルが答え、その指示でユージーンは通信回線をスピーカーで開いた。
「セオ、そっちどう?」
『侵入者はほぼ撃退。でも、いくつか情報漏えいがある。こちらの対応の方が難しいな……』
「じゃあ、こっちで侵入者の方の対応するから、セオは情報漏えいの方お願い」
『わかった。任せる』
「任せてー。そっちもお願い」
『ああ』
何となく解決に向かっているようだが、何気にまずいのではないだろうか。重要機密が書かれている文書などが保管されている大学だ。そこで情報漏えいはどう考えてもまずい。
とはいえ、事務官のザラには関係ないことだ。そう思って、彼女は目の前にある伝票を処理しにかかる。だが、関係ないと思っていられたのは三十分くらいの間だけだった。
「ザラ、ちょっといい?」
ノエルがにこにこと声をかけてきた。ザラは「はい」と振り返る。どうでもよいが、ノエルの笑顔は腹に一物抱えているようでちょっと怖い。奥さんを笑顔でおちょくっているのを知っているからかもしれないけど。
「なんですか?」
「ちょっとお使いに行ってきてくれない? ジーンもつけるからさ」
「お使い?」
ザラが首をかしげる。討伐師に関する資料のことらしい。確かに、危機対策監室の事務官なら、詳しいけど。
「どこにですか?」
「王立大学にまで」
「……別にかまいませんが……」
ユージーンも一緒なら、大丈夫だろう。たぶん。彼は見た目に寄らずしっかり者だし、討伐師でもある。自称・後方支援系能力者だけど。そもそも、大学まで行ってしまえば、セオドールをはじめとした危機対策監室のメンバーがいるだろう。問題ない。
「じゃあ、悪いけど、頼んだ。セオには僕が頼んだって言っておいて」
「わかりました」
セオドールは主席調整官だが、室長補佐の肩書も持っているので、ザラの直属の上司にもあたる。セオドールも、ノエルの判断なら無下にしないだろう。
「それじゃあザラ。行こう」
「うん。すみませんが、ちょっと行ってきます」
「気を付けてな。セオドールにもそう言っといてくれ」
「わかりました」
何となく親のようなことを言う室長に、苦笑気味にうなずくとザラはユージーンのあとについて危機対策監室を出た。
「仕事止まるけど、いいの?」
「大丈夫よ。平気平気」
まあ、ちょっとは残業することになるかもしれないが、そこまで大変ではない。そもそも、王都のノーリッシュ子爵家には、遅く帰ると叱る親がいないし。
大学には車で向かうことになった。実はザラは車の運転ができないので、ユージーンが運転席に乗り込む。と。
「あれ、サイラス」
運転席側の窓がたたかれ、ナイツ・オブ・ラウンドのサイラスが顔を出した。ユージーンが窓を開けた。
「どうしたの」
「私も連れて行ってくれ」
「……本気? 何言ってんの」
ユージーン、五つも年上が相手でも遠慮などないらしい。まあ、セオドールやエリザベスに対してもこんな感じだったし、これがデフォルトなのかも。
「リリアンが行って来いと」
「姐さんの考えることはわかんないね。後ろに乗って」
「すまん」
サイラスが後部座席に乗り込んでくる。ザラやユージーンよりは長身であるが、実は一般的に見て男性としてさほど背が高くないサイラスが乗り込んできても、あまり狭苦しくは感じなかった。背丈的には、サイラスはエリザベスと同じくらいである。
「……ザラってさ、もしかして姐さんのこと好きなの」
「え」
「ジーン、お前、一応恋人の前で何を聞いている」
助手席で固まったザラに対し、サイラスは冷静に指摘出し。たぶん、エリザベスにはこういうところを買われたのだろうな、とぼんやり考えた。
「いや、姐さん、ザラくらいの年の女の人に人気あるし。それに、ノエルがサイラスを『セオドール様と姐さんを足して割った感じ』って言ってたな、って思って」
「……なんだそれは」
ユージーンが運転中なので、ザラもサイラスも手を出すことはしなかったが、二人は顔を見合わせて怪訝な表情になった。何気にそれって失礼なのではないか? 二人とも感じのいい人だが、変人である。いや、こんなことを考えるザラも失礼なのか……。
「まあでも、俺も何となくわかるかなって」
「……心外だ……」
サイラスがショックを受けたように言った。彼も結構ひどい。まあ、それを聞いてもあの夫婦は困ったように笑うだけだろうけど。
で、その夫の方がいる大学に到着した。
「セオさん!」
「ジーン、ザラ。……って、サイラスも一緒か」
セオドールがゆっくりとこちらに近づいてくる。コンサート会場で大立ち周りを演じた人間と同じ人とは思えない、調子の悪そうな動き方だ。普通の生活をしているときはわからないが、たまに怪我の後遺症があるのだな、とわかることがある。
「セオさん、大丈夫?」
「いや、ちょっと調子に乗って動き回りすぎた」
「姐さんに怒られるよ」
「それは怖いな」
セオドールが苦笑を浮かべ、ユージーンの頭を撫でた。ユージーンが笑う。珍しい。
「サイラスはどうした。リリアンの命令か」
「はい。手伝ってこいと」
「……まあ、あいつのことだから何か考えがあるんだろうが、すまんな」
「いえ」
サイラスが生真面目そうに首を左右に振るが、心の中ではきっと「まあいいんだけど」くらいには思っている。そう言う意味では、彼は公私がはっきり分かれているのだろう。
「それで、何をすればいいんですか?」
ザラがゆっくりと歩くセオドールについて歩きながら尋ねた。ユージーンとサイラスがセオドールを支えようとしたのだが、余計に歩きにくいと断られていた。
「まあ、漏えい情報の整理だ。すでに漏えいした情報を追跡させているが、何の情報が漏れたのかがはっきりしないからな。どうやら討伐師に関するものだと言うことで、お前たちを派遣してもらった。すまないな、忙しいのに」
そう言ってセオドールは苦笑を浮かべた。妻エリザベスから「根暗だ」と言われる彼であるが、彼の優しさが見えるようでいいとザラは思っている。
早速ザラたちは漏えいしたと言う情報の確認を急ぐ。必要な確認資料は危機対策監室から持ってきているので、それと照合していく。一か所に保管しておくのは危険だと言うことで、こうして分けて保管しているらしい。保管場所が近かったら、あまり意味がないような気もするけど。
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