story:15
セオドール視点。
「……あれは本当に大丈夫なのか?」
さすがに心配そうな声をあげたのはクライドだった。セオドールは彼が見ている方をちらっと見る。
「大丈夫じゃないのかもしれないが、気にしていたら私も飲まれる気がするから気にしないようにしている」
「それは現実逃避と言うんだぞ、セオドール」
アーサーにツッコミを入れられ、セオドールは苦笑を浮かべた。その辺は微妙なところである。ものすごく心配ではあるのだが、心配し過ぎると当の本人が怒るのである。
「それ、妊娠で不安定になってるんじゃ……でも、リリアンはいつでも情緒不安定だね」
まだ育休中なのに乗り込んできたエイミーは勝手に自分の中で納得していた。まあ確かに、落ち着いて見えるエリザベスは、意外と短気であるが。
くだらない話をしていると、エリザベスと彼女を診察していた女医リンジー・スクワイア・カーライルが戻ってきた。リンジーはエリザベスの兄の嫁であり、セオドールから見ても義理の姉にあたる女性だ。
「まだ十週目くらいね。ちょっと悪阻がひどいみたいだから、無理せずに休んだ方がいいわよ。でも、もう少し太った方がいいわね」
いつも言ってる気がするけど、とリンジーは肩をすくめた。セオドールの隣に収まったエリザベスは「善処する」と答えた。たぶん、聞かないんだろうな、と思った。そうなるとセオドールの方に話は飛び火してくるのだが、基本的に、エリザベスはセオドールの話を聞かない。
「っていうか、ジェイミーは?」
もともと色白だが、今はどちらかというと青い顔をしてエリザベスが尋ねた。ジェイミーとは、エリザベスの兄でリンジーの夫だ。現在のカーライル侯爵でもある。
「強化魔導師の解析中だ。やはり人形のようだが」
と、アーサーは首をかしげる。エリザベスは低い声で「そうだろうね」とうなずく。
「本物だったら怖いだろう。どんな整形技術だ」
「一応言っておくと、まだそんな高精度の整形技術はないわね。せいぜい、傷跡を目立たなくするくらいだからー」
と、女医リンジーからの指摘が入る。彼女の専門は外科らしいが、一般的な医学知識は、当然だが持ち合わせているのだろう。
それから沈黙。人形であったとしても、その顔が現れたことが、セオドールたちに重い空気を作らせていた。
アレック・シグラン。今から五年前、混乱の中戦死した男の名だ。エリザベスの初恋の男で、彼女が撃ち殺した男。そう思うと、セオドールも何とも言えない気持ちになってくる。
忘れられないだろう。セオドールですら、忘れられないのだ。初恋であったエリザベスは、余計にそうだろう。ましてや、好きだった相手を打ち殺す羽目になったのだ。
そんな相手と同じ顔が目の前に現れたら? それは、悪阻でなくとも気分が悪くなるだろう。そして、そんな相手を今回撃ったのは今の旦那である。どういう状況だ、これは。
「……なんか雰囲気暗くない?」
いろんな意味で空気を読めない男、カーライル侯爵ジェイミーことジェイムズが現れた。
「ジェイミー、ちょっと空気読んでみようとか思わないわけ」
不機嫌な声でツッコミを入れたのは、妻ではなく妹の方だった。長身に、金に近い茶髪。あまり似ていないのだ、と本人たちはいうが、彼女らが思っているよりもこの兄妹は似ている。
「空気って読めるの?」
いつも思うが、ジェイムズは本気でやっているのだろうか。だとしたら、むしろすごい。
「……まあいいだろう、それは。ジェイミー、どうだった?」
「技術的には、強化魔導師と変わりません」
問われたことを正確に読み取ったジェイムズが簡潔に答えた。質問は読み取れるのに、空気は読めないのか……。
「アレックの姿をしているのは、モデルがあった方が作りやすいからでしょうね」
たったそれだけの理由か。本当にジェイムズの言う通りなのだとしたら、自分たちの動揺を返してほしい。
「ということは、他のやつもモデルがあるってこと?」
エイミーが尋ねた。彼女は効きにくいことをずばずばと聞く。エリザベスもそう言うところがあるが、今はダウン中なので彼女の役割になっている。
「……戦後、研究所のデータを押収しましたよね。うちの大学で預かってますけど」
ジェイムズとリンジーは、普段は夫婦で大学の方で教鞭をとっている。侯爵がそんなことでいいのか、と思わないでもないが、本人の好きにさせておけばいいのかもしれない。基本的に、カーライル侯爵家の人間たちは自由だ。
「そのデータを見れば、いくらかモデルになる強化魔導師が出てくると思いますけど……」
「……アレックの件はこちらの動揺を誘うための可能性が高い。アーサーというより、私の動揺を誘っている気がするが……」
エリザベスが口を開いたと思ったら、そんなことを言いだした。マティアスがぽつっと言う。
「じゃあ、リリアンが狙われてんじゃねぇの」
「何のために?」
冷静に返されて、マティアスは黙った。思いつかなかったのだろう。あいにくと、セオドールも思いつかない。
「まあ、そこまで深刻に考えることではないんじゃないか? 今は宮殿に強化魔導師が侵入したことが問題であって」
クライドが言った。さすがに、この中では最年長なだけあって冷静だ。テーブルに肘をつき、手で顔を覆ったエリザベスに視線が集まる。それに気づいたのかはわからないが、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……深くまで侵入されたわりには、引くのが早かったし、被害もほとんどない。偵察、もしくは陽動が目的だと考えられる」
「陽動……?」
エイミーがいぶかしげに繰り返したが、返答が返ってくることはなかった。エリザベスはふらふらと立ち上がる。
「ごめん。やっぱり無理……」
と、席を外した。頭脳戦の最大戦力が不調である。いや、いいことなんだけど。エリザベスは部屋から出ることはしなかったが、置いてあるソファに勝手に横になった。リンジーがエリザベスの側にしゃがんだ。とりあえず、リンジーに任せることにする。
「リリアンの予測が当たっているとして。陽動や偵察だったとしても、何が目的なんだろう?」
「そこまではわかりませんね。ですが、どちらにしても目的のものは宮殿の外にあるんでしょうね……」
セオドールがエリザベスを気にしながら気もそぞろに言う。アーサーが「何故だ?」と尋ねてくる。
「偵察しろ陽動にしろ、宮殿に侵入者があれば宮殿の警備は強化される。それはつまり、宮殿に人が集まってくることを示します。つまり、他が手薄になる」
「……なるほど。お前、やっぱり頭いいな……」
クライドが感心したように言った。たまにエリザベスも言っているが、これは頭がいいとか、そう言う問題ではない気がするのだが。
「でもさぁ。結局どこが狙われているかわからないじゃない」
ちらっとエイミーに見られる。さすがにセオドールもそこまではわからなかった。だが、離れたところからエリザベスが言った。
「いや、予想はつく。大聖堂だ」
「……大聖堂? というかリリアン、大丈夫か?」
横になっていたエリザベスはとりあえずと言うように上半身だけ起こしていた。セオドールとしては、この後彼女を屋敷まで連れて帰ることができるかが不安である。
「それは後だ。……大聖堂には、選定の剣がある」
「選定の剣って、ナイツ・オブ・ラウンドの叙任式で使うやつよね」
エイミーが尋ねた。確かに、アーサーの戴冠式に参列していない彼女としては、その認識だろう。しかし、戴冠式に参列、もしくは実際に参加したセオドールたちには少し違う認識がある。
「選定の剣、エクスカリバーはブルターニュを支配する王であることを示す剣だ。尤も、大聖堂に飾られているものはレプリカだが」
セオドールが言うと、エイミーは「え、そうなの?」という表情になった。まあ、知らないのも無理はない。
「存在感薄いしな」
「正直言われるまで、私も忘れていた」
クライドはまあいい。しかし、それでいいのか女王。
「えーっと。ブルターニュの君主であることを示す剣だから狙われているということ?」
「いや……どちらかというと、狙われているのは、選定の剣が持つ魔法能力なんじゃないか? 確か、強力な守護能力がある……という話じゃなかったか?」
とは、ジェイムズの言だった。たぶん、興味があるのだろう。だが、またもエリザベスから「違う」という指摘が入った。
「あの剣は、ただ人でもヴァルプルギスを斬れるのだそうだ。それが転じて、守護能力がある、ということになったんだろう……。と、ウィルが言っていた気がする」
彼女の口からウィル……彼女の一番上の兄、ウィリアムの名が出たことの方が驚いた。アレックと同時期に戦死した、カーライル兄妹の一番上の兄。
「……なんだそれ。そんなの、クライドさんにもたせりゃ無敵じゃねぇか!」
マティアスのツッコミに、セオドールは顔を引きつらせる。ちらっとクライドを見ると、ものすごくほしそうな顔をしていた。
「これ以上クライドさんを強化してどうする。本当に化け物に片足を突っ込むぞ」
「お前、相変わらず俺に冷たいな!」
あ、ちょっと泣きそう。クライドはエリザベスのことも妹のようにかわいがっているし、付き合いも長いのでこれが照れ隠しだとわかっているだろうけど。でも確かに、クライドがヴァルプルギス退治までできるようになったらちょっと怖い。
「冗談はともかく、ウィル曰く、誰も試したことがないそうだ。本当に斬ることができるのかはわからん」
「え、なんで? やってみればいいじゃん」
エイミーが驚いたように言ったが、エリザベスは冷静に言った。
「お前、普通、パラディンでもない人間が、ヴァルプルギスと相対してちょっと剣で斬ってみよう、なんて思うか? 斬れるかどうか、わからないんだぞ。やってみようなんて言う変態はクライドさんだけで十分だ」
「リリアン、さすがに失礼。すみません、クライドさん」
「いや、セオもリリアンの夫が板についてきたな……」
ちょっと遠い目でクライドが言った。しかし、言い方はあれだが、エリザベスの言うことはおおむね正しい。
「でもそれ、どうするんだ?」
誰もが気になったが、マティアスの問いに答えられる人間はいなかった。
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