第7話 回答現る
「あの日は、久しぶりに『矢場』が開いたもんだから、この辺の子供は殆どがあそこにいたんじゃないかな。和樹達は――ああ、和樹ってのは上の子。で、和樹達くらいの大きい子は『小野プロ』だから忙しいけど、小さい子供と母親はあそこくらいしか行くところが無いのよ」
*小野プロ……「小野村プロダクション」の通称である。(小野村での観光エキストラを登録管理、運営する非営利団体。貢献に応じた報酬を分配している。因みに小中学生にはスナック菓子などが現物支給される)
小野村は十数年前まで小さな子供など存在しない所謂限界集落だった。しかし、子育て神社を頂く村としてはいささか頂けない現状に、お座なりな行政の計画は効果が無く、結果、立ち上がったのが品縫会だったという。
品縫会は若い世代を外から呼び込むためにあらゆる手を尽くし、品縫神社はそれを経済的に支えた。
「つまり、旦那の仕事も住んでる家もあの人たちに世話して貰ってる。感謝はしてんのよ――。でも、だからって……子供がいなくなったのに、大丈夫の一点張り! こんなのおかしくない!?」
「それにしたって、変な噂のある場所に娘さんを連れて行って目を離すなんて。お母さんだったら……」
「お母さんなら何? 10歳にもなる子をずっと見張っていろって言うの? あなただって子供を産んだらわかるわよ!」
「ボクは子供なんて……」
「止めなさいひよこ君」
荒川は、美佐江の言葉に思わず喰いついてしまったひよこを制すると、涙を浮かべ小刻みに体を震わせる彼女に深々と詫びた。
前触れも無く訪ねて来た2人に、小野里美佐江が思いの丈をぶつけたのは2人がよそ者だったせいだろう。村の者には決して言えない苦しい胸の内を誰かに話したい。その思いを吐露したのだ――と、わかっていたのだ。
「ごめんなさい、ボク言い過ぎました」
荒川は、しゅんと俯くひよこのあたまをポンポンと軽く叩くと、美佐江を見遣り語りかけた。
「どうか許してやってください。最初にお話しした通り、僕らは決してあなたを責めたくて来たわけでも面白半分でもない。ただ、あなた方の力になりたいと思っているのです。それに、お節介にも妹子ちゃんの行方を探してあげたいなんて言い出したのはこのひよこ君なのです。どうでしょう、心当りのことを何でも話してくれませんか?」
美佐江は少し視線をそらすと「あたしもカッとなって悪かったわ」と気まずげに呟き一呼吸置く。そして、頭を下げ「よろしくお願いします」と2人を真っ直ぐに見た。
幼稚園も保育園も遠く、景観管理のため遊具のある公園も無い。
自然は豊かだが、そうそう毎日虫取りばかりしてもいられない。
長時間野外活動にはレトロな服装が義務付けられる。
そんな窮屈な環境の中、極端に少ない母親同士の交流の場がパチンコ処『矢場』。その存在は彼女らにとって唯一の拠り所だったのかもしれない。
そして、似たような境遇故の悩みや情報交換の場としても無くてはならない場所だった。
しかし店は夏の間、頻繁に臨時休業するのだという。だからこそ、あの日は皆にとって待ちに待った開店日だったのだ。
「本当はパチンコ台なんて無くてもいいんでしょうね。あたしたち、何となく横一列に並んで、顔を合わせないまんま愚痴を言うことが救いだったのかもしれない。独り言みたいに好きな事を言って。でも、誰かがそれを聞いててくれる。慰めたり、共感したり――そうやってバランスとって。その距離感が丁度良かったのよ」
ひよこは酷く恥じ入ったように俯いていた。
「ああ、ごめんなさい違うのよ。あなたの言う通り、あたしは妹子から眼を離しちゃいけなかったんだわ。考えてみればあの日、四条さんの様子も何となくおかしくて……」
「四条さん? 支配人の?」
「そう、あの人は夏は暑いから働きたくないなんて言って、ちょくちょく店を閉めちゃうのよ。でも、もしかしたら……」
「何か知っていると?」
「わからない。あの人は親切でホントにいい人だと思う、でも……」
美佐江は少し考える風に目を伏せたが「きっと、暑さに弱いのね」と言ったきり、それ以上四条について語ることはなかった。
◆
午後6時はまだまだ昼間のように明るく室外の熱気も一向に納まらなかった。だが、新たな聞き込みをするには中途半端な時刻だ。何より荒川の体力が既に限界を超えていたことが決定的な要因だが、ひとまずは民宿という名の旅荘多田への帰路に2人はいた。
「先生だいじょ……」
「大丈夫だから」
言葉とは裏腹な歩みは、一見ゾンビである。
「先生、お母さんて弱くて強い生き物なのかもしれませんね」
「そうだね」
美佐江達が互いの顔も見ずに話す光景は想像するに異様で、小さく集って愚痴をこぼし噂話をする主婦のイメージからは程遠いものだった。だからひよこは聞いた。
何故、互いの顔を見て話さないのかと。
『女は皆、愚痴や噂話を意気揚々とするものだって思ってる人がいるけど、それは違う。だいいち、離れていても側に子供たちがいる所で、愚痴を言ってるような恥ずかしい顔は見せたくないのよ。おんなじ思いを抱える者同士だから尚更輪になっちゃいけないの、外が見えなくなっちゃうじゃない? 一列に並んで、子供には背を見せるわずかな時間、心の澱を吐き出して――振り返った時、子供にはちゃんと笑顔を見せたいって……でも、和樹にはかわいそうなことをしちゃったけどね』
妹子の母はそう言った。
例え、その僅かな時間に運命が狂ってしまったとしても――。既にひよこはそれを咎める気持ちにはなれなかった。
「先生。10歳の娘の行方が分からないってどんな気持ちなんでしょうね」
「そうだね、それは当人でなければわからない苦しさなんじゃないかな」
「だったら何故……」
だったら何故、これまで神隠しにあった子供もその親も、一様に口を閉ざすのか。
美佐江が訊ねて歩いても誰一人詳しく話してくれず、被害者であるはずの娘さえもが「私は巫女になった」としか話さないというのだ。
「何故だろうね。ただ一つ言えることは、妹子ちゃんの母親に話してくれないことを我々が聞き出すことは至難の業だろうということだけだね」
「……」
妹子の母、美佐江の心中を思うと、それまで以上に決意を固くするひよことゾンビ荒川は、とぼとぼと畦道を行くのだった。
◆
「あらあら、随分とよれよれですねぇ、荒川先生。金田一っぷりが上がりましたよ」
宿に帰ると女将がにこやかに出迎え、例の猫は火の気のない囲炉裏端にびろんと伸びていた。
「何か収穫はありましたか?」と聞いて来たのは小野フィルムコミッション世話役・多田喜八、ここの社長である。その顔には厄介なよそ者を排除できなかったことへの明らかな落胆が見て取れる。
「そう言えば荒川先生。こんなものが届いていましたよ」
女将の手には小振りの白い封筒。宛名は住所も無く、ただ『荒川クリスティー殿』とだけ書いてある。かなりの達筆だ。
「何でしょうか先生」
ひよこが覗き込む。
荒川には嫌な予感しかない。
封を開けるとセピア色のカードが一枚――
【シナヌイユウキハ5ネンマエニキュウキュウハンソウサレテイル】
「先生、これは一体……この右端の燕尾服を着た羊のマークは一体……」
「ひよこ君。どうやら僕たちは見張られているようだよ」
荒川の背筋にヒヤリとしたものが走ったことは言うまでも無いだろう。
「にゃ~」