第5話 赤と白
「先生、大丈夫ですか?」
近年、日本の夏は暑い。それはもう、朝だとて容赦ない。
「大丈夫だよ、きみ程元気という訳じゃないが」
午前中から太陽は燦燦と降り注ぐ。とぼとぼと農道を行く荒川には、この道が果てしないように感じた。
佐久間の用意してくれた着替えは全て金田一風ではあるものの、涼やかな薄物も入っており心遣いを感じなくもないが、和装以外選択肢はない。
ひよこはと言えば、出がけに女将から拝借した浴衣を身につけ、すっかり村の一員だ。尤も、女性用であるということは気付いていないひよこである。
徹底した管理体制のもと、原動機付自転車すら見かけない小野村ではエンジン音など皆無。移動は徒歩である。馬なら貸してくれると言う女将の申し出を丁重にお断りした為、2人は目的地へと歩を進める他なかったが、借りたところで裸馬など乗れないのだから馬子になるのが関の山だろう。
◆
昨夜はついに多田喜八と会うことは叶わなかった。だが、手毬唄の謎を含む想像を超えた事象については妻、八重子から聞くことが出来たため、喜八の存在価値は大暴落。荒川の興味の対象は品縫神社とパチンコ屋に移行されていた。
よって、むしろ2人(と、1匹)が目覚めた時、喜八は既に本日のロケ現場に出掛けていたことは、ある意味好都合だったかもしれない。
「私もね、詳しいことはわからないんですけど。――品縫会の人達が何かを隠しているような気がしているんですよ。ずっと思ってたんです、いつまでもこの村の古い因習を引き摺っていちゃいけないって……それならば自分たちで変えていかなくちゃいけないんでしょうけど」
朝食の給仕をしながらそう言うと、八重子は一枚のメモを差し出した。
そこには品縫神社への簡単な地図と神社に至る参道のふもとにあるパチンコ屋の場所が記されていた。
「主人の手前、私にはここまでしか出来ませんが」
小野村に隠された闇が、住民たちの心に何らかの影を落としている。
荒川は今まで感じたことのない使命感のような物を生まれて初めて感じていた。
「私で、出来ることなら」
何故、そんなことを口走ったのか荒川自身にも説明できなかった。だが、間違いなくこの時の出来事が彼のその後を決定付けたと言っていいだろう。
「お願いします先生。小野村の因習を祓って下さい」
「わかりました」
その場の乗りというのは、かくも恐ろしいことであると誰が教えてくれただろう。かくして荒川は『先生』という訳のわからんジャンルの人となることを受け入れたのである。
ひよこは微笑みを浮かべ、満足そうにその光景を眺めていた。
◆
「先生、あれじゃないですか?」
さて、荒川とひよこは女将に託された地図により、品縫神社の参道入り口にあるパチンコ屋『矢場』へ向かっていた。
『矢場』でもないのに矢場という屋号のパチンコ店の外観は木造平屋建て。一見してパチンコ店とはわからない長屋風。どこまでも徹底した景観管理であり、品縫家に雇われた支配人が切り盛りをしているという。
女将曰く。ちょっと風変わりだけれど悪い人じゃないことは保証する、という彼は、この村に於いて確かに少々目立つ存在なのだろう。
目指す建物が見えて来ると、一目でそれとわかる風体が眼に入った。
赤と白のかなり目立つよこしまなTシャツを着たその男は、少し長めのくせ毛をゴムで結わえ、全くもって意味不明な鼻歌を口ずさんでいる。店の前で煙草を燻らせる彼の傍らにはハリネズミのオブジェよろしく吸い殻の刺さった煙草盆が置かれていた。
「おはようございます」
「おはよう」
ひよこの屈託ない挨拶に笑顔を返す。大人の対応である。
これは女将がいう程じゃなさそうだと、次いで荒川が訊ねる。
「こちらの方ですか?」
「はい。支配人の四条ですが、あなたは?」
「荒川……です」
名刺はもう出さない。
「この暑さの中、何故外で煙草を?」
「ああ、うちは店内禁煙なんですよ。昼間は小さいお子さん連れのお母さんが多いもんですからね」
見ると、店の前には手入れの行き届いたプランターが並び、夏の花々が今を盛りと咲き競っている。どうにも予想を裏切る展開だ。
「こちらはパチンコ店だと聞いて来たんですが」
「ええ。でも、パチンコと言っても世間で思うような物じゃないですよ。キッズコーナーもあるし絵本なんかも置いてます。私の書いた絵本も何冊かありますよ」
四条は銜えていた吸差しをハリネズミの山に突き刺すと、今度は如雨露の水を花に注いでいる。
「絵本作家さんなんですか?」
「どうかな……そうとも言えるし、そうでないとも言える」
どうやらこの店、昼間は若い母親たちの社交場であり、遊興施設というイメージではないらしい。矢場どころか健全そのもの――。
しかし、年に数回の神隠しが起きていると噂されている以上、このまま帰るわけにも行かない。荒川はズバリ本題を突き付けることにした。
「ところで。子供たちが歌っている手毬唄、こちらのお店のことだとお聞きしましたが」
如雨露を持つ四条の手が一瞬ピクリと反応し、ゆっくりと荒川へ向き直る。
「荒川さん……と仰いましたか」
「はい」
四条が荒川を見据えると同時に、右手の如雨露から滴る水がプランターを逸れた。
アブラゼミの鳴く声があたりを支配する。
夏の喧騒が暫く続き、男の足元には小さな水たまりが出来ていた。
その沈黙は長く、或いは短かったかも知れない。
やがてセミの音が途切れ、辺りに静寂が訪れると、それを待っていたかのように男は口を開いた。
「あなた、大河ドラマで竜馬やってた人に似てるって言われません?」
「え? いえ、そんなこと一度も言われたことありませんが」
「――でしょうね。全く似てませんから」
――なんだって?
「あ!」
今度は何なんだ! と警戒する荒川。
「今、凄くいい詩が浮かんだんですよ! こうしてはいられない――失礼!」
そう言ったが早いか、ハリネズミの乗った煙草盆を掴むと四条は店内に引っ込んでしまった。
「やられましたね先生」
「やられたね」
「何だかかなり怪しくないですか?」
「うん。手毬唄のことを聞いた途端、明らかにはぐらかされたみたいだね」
「何か、隠しているような気がします」
「ああ、そうだろうね」
硝子の引き戸の内側から覗く『準備中』のプレートが2人を頑なに拒んでいるかのように見える。恐らくこれ以上は追求すべきでない。
荒川は、パチンコ処『矢場』のすぐ脇から続く、緩やかな石造りの参道を見上げた。
「行ってみようか」
「はい」
何かを決意したような荒川の横顔を見上げながら、ひよこは嬉しそうに後に続く。
鬱蒼とした道のその先に、何が待っているのか。
想像すらできぬまま、石段に足をかける荒川だった。