第4話 妹子と品縫神社
荒川は勧誘に弱い。
誘いに乗ったら面倒なことになるとわかっていても、断わることも面倒なのだ。
同じ面倒ならば問題を先送りにしたいのが面倒くさがりの習性。この短い文章の中で一体何度面倒と言えば彼の面倒くさがりを伝えられるか段々と面倒になってきたが、彼ほどの面倒くさがりを見付けるのは並大抵の面倒ではないだろう。
結果、荒川は面倒事を背負込む体質である。
「でもひよこ君、調べると言っても僕は警察でもないし、ましてや探偵でもないんだけど」
と云う程度の拒否は当然する。
「大丈夫です。先生なら必ず事件を解決に導いてくれます」
「そ、それはどうだろうか……」
既に流れは、根拠のない自信に満ち溢れた相手方のペースである。
その自信が何に基づくものなのかもわからぬまま、いつしか荒川はこの村にやってきた時点からの経緯を説明させられていた。
「つまり、その妹子さんの行方を探せばいいのですね?」
――え? 行方不明の少女の名前は妹子だなんて聞いてない。
荒川が面喰っていると、女将が首を傾げて訂正した。
「確かに漢字は同じだけど、小野里さんの娘さんは妹子ちゃんて読むのよ。でも、どこでそれを――」
「そうなんですか!? もう、当てにならないんだから」
「え、何が当てにならないの?」
「いえいえ何でもありません、気にしないで下さい。では妹子ちゃんのお母さんが言っていたという宮司さんに話を聞きに行きましょう先生」
え? 僕ですか? と言った風に目を見開き、己で鼻先を指す姿が何とも間抜けな荒川だ。
「そんな、いきなり訪ねてもいらっしゃるかどうか。もうそろそろ日も暮れますし、だいいち神社の場所をご存知ないでしょう?」
どうやら女将は二人をどうでも引き留める心づもりのようだが、次のひよこの一言を聞いて力が抜ける。
「この村で神社と言ったら、ひんぬう神社のことでしょう?」
隣に座っている女将の表情を覗き込むわけにも行かないが、肩が震えているのは荒川にもはっきり伝わる。
「いえ……そう読めないこともないけど、あれは品縫と読むのよ」
その声も震えている。
『いもこ』の次は『ひんぬう』――こんな子供を警戒しても仕方ないと思ったのか、笑いをこらえながらも二人に語った女将の話は概ね次の通りだった。
品縫神社は小野村を抱く連山の一つ、品縫山の中腹にある小野村の守り神である。
現在神社のある場所には古くから湧水が出て、そこには乳房によく似た形の天然岩があるという。昔、乳の出ない母親がその湧水を飲んだところ、たちどころに乳が出るようになり、その二つ並んだ乳房岩は御神体として崇められた。
やがて、その噂は各地に広まり、津々浦々から乳に恵まれない母子が訪れるようになった。それにより集落が発展し、子育ての神を頂く小野村が出来たという。
ご神体を守る神社は古くからこの辺りを治めていた品縫家が建立し、その子孫が現在も宮司としてこれを守っている。そういった事情から、小野村では村長と同格、或いは各上に品縫家は存在し、氏子の会である『品縫会』を取り仕切る女将の連れ合い、多田喜八の権限もそれ相応に及ぶらしい。
「だからと言って、子供の行方が定かでないことを警察ではなく神社に届けるんですか?」
ひよこが当然の疑問を投げかけると、女将は「そりゃそうよね」とため息を吐き重い口を開いた。
「実は、女の子が行方不明になる事件は今回が初めてじゃないのよ」
今から4年前の夏休み、10歳と11歳の女の子が相次いで行方不明になるという事件が起きた。だが、何故か警察が介入することは無かった。幸い2人は2週間後元気な姿で発見されたが、当人も家族もその間のことについて頑なに口を閉ざし、周囲の者もそれ以上の追及をせず、次第に村人の記憶は薄れていった。
ところが次の年の夏休み、またも同様な事件が起きた。母親がパチンコに興じている最中、10歳の女の子が行方知れずとなったのだ。
実は最初の2人も、母親がパチンコをしていた時に行方がわからなくなったという共通点があった。だが、それでも警察による捜査は行われず、半月後には怯える様子も無く少女は戻った。
その後も夏休みに10歳前後の女の子が行方不明になる事件は繰り返され、決まってパチンコ店周辺で消息を絶っている。だが、必ず無事に戻って来るところから「プチ神隠し」と呼ばれ、今では夏の風物詩となっていた。果ては、親がパチンコに興じる隣で娘が神隠しに遭うということを揶揄した手毬唄が横行する始末なのだという。
「この村にパチンコ屋さんがあるんですか?」
「そう、パチスロじゃないわよ、パチンコ。昔は子育て神社として名を馳せた品縫神社も今ではすっかり閑古鳥が鳴く始末で、村は映像ビジネスに躍起になるしで。名士である品縫家も収入の減少を穴埋めするべく娯楽産業に手を出した――それがパチンコ屋よ」
聞けばそのパチンコ店、弾を一打ずつ弾いては釘の間をカラカラと抜け、チューリップが開くという、何とも風情のある古の台を備えているという。
「それって、どこにあるんですか?」
――テレビで見たことのあるパチンコ台は、真ん中のスロットマシンが回ったり女の子の絵が出たりと、それはもう面倒そうな印象だった。だが、一つずつ弾を弾くならできそうな気がする。
そう考える荒川の瞳に好奇心の灯がともったのを見逃すひよこではなかった。
「先生! 話が逸れてます」
大きな少年のささやかな野望はあえなく迎撃される。
「それよりも、そんな危険を冒してまでお母さんがパチンコだなんて!」
「そう言われるのは仕方ないけど、こんな閉鎖的な所へお嫁に来た人は少しでも息抜きする場所が欲しいのよ」
自分も小野村の出身ではないから気持ちはわからなくもないと、女将は目を伏せた。
「でも、品縫さんは儲けようとしてあれを始めたんじゃないんじゃないかしらね。あんな呑気なパチンコで利益が出るとは思えないんだけど」
女将の知っていることがこれで全てなのかはわからないが、その後の沈黙は何やら重苦しく、ひよこもそれ以上は追求できなかった。
「それはそうと、ひよこ君。お家の方が心配してるんじゃないの? 見た所まだ中学生でしょう?」
「ちっ、違います! ボク、来月には17歳ですから!」
そうは見えない。
だが男にも見えないから、そんなことは些細なことにも思える。
というか、荒川にとって既に面倒くさい問題となって来た。
この話はきっとどこまで行っても平行線の匂いがする。だったらもうどっちでもいいのではないだろうか。
行き倒れが女子中学生であったならそう言う訳にもいくまいが、本人がそう言っているのだからきっとそうなのだ。そういうことにしておこう。
三毛ひよこ来月17歳男子。上書き完了。
意外な順応性を見せる荒川である。
一方、先程まで余裕に溢れていたひよこの態度は俄かに怪しくなり――いや、むしろ全てが怪しいのだが、家に連絡したくない何らかの事情があるらしい素振りだ。
「ボク、あまり記憶が定かでないというか、何というか、連絡したくても出来ないというか……」
「まぁ、連絡先がわからないというならば仕方がないじゃありませんか。今日の所はここへ泊めて頂いて――明日になったら思い出すかもしれませんし、宿代は僕が持ちますから」
荒川、豹変す。多分今は探偵ごっこの方が魅力的なのだろう。
「ええ、それでしたら……」
「先生、お世話になります!」
「みゃぁ!」
かくして、3人と1匹それぞれの思惑が複雑に絡み合い、そこはかとない合意を取り付けた。
そこはかとないからには互いに深く追求しないのが大人の嗜みであるが、猫だけはやたらと「みゃあみゃあ」もの言いたげな素振りで、荒川とひよこに宛がわれた部屋で存在感を放ち、二人を睡眠不足に追いやったのは蛇足である。