第3話 民宿多田、乙!
於いて『民宿多田』
小野フィルムコミッション世話役・多田喜八の発言通り、彼の住まいでは民宿が営まれていた。
藁ぶきの厚みが、その価値を物語るほどの豪勢な造り。広い土間から爽やかな風が吹き抜け、エントランスを兼ねた囲炉裏はそれだけで6畳ほどはある。民宿と云っても庄屋風とでも称すのが妥当なちょっとした邸宅だ。
「社長、いつまで玄関開けて置くんですか。電気代も馬鹿にならないんですよ」
民宿の女将と思しき年配の女性に促され、多田は急いで引き戸を閉める。よく見るとこれもまた木目の見事な近代建具。爽やかな風は人工的な電化製品のなせる業である。
「それにしても、見ない顔よねぇ」
多田の妻らしき民宿の女将は、社長とコスプレ男の拾ってきた少女をまじまじと眺める。
幸い、と言っていいかは知らないが本日の予約客はないらしく、囲炉裏端には近隣の住民が集っている。と云うのも、みな一様に昭和ノスタルジースタイルであるから小野村民と見分けられるのだ。
「それにしても、神社の方はどうしたもんかなぁ」
「いやぁ、まさかいくらなんでも……」
こそこそと話す内容はわからないが、多田の咳ばらいを合図に噂話は中断した。
「そんなら、おらたつは帰るとすっぺ」
「んだな、なまら邪魔したっけ」
「ほなな」
「乙!」
「ご内儀、馳走になった」
「乙!」
ゲストである荒川の存在を認めた村人たちは、口々に無国籍方言をひねり出しながら、そそくさと退場した。彼らの言葉の出自は帰り際の一言で何となく察しがついた方もおられようが、荒川はそう云った方面にはとんと疎い。よって、それに気付くには些かの時間を要するが、この場合さして重要でもあるまい。
一方、多田にとってはこのおかしなコスプレ男と同少女をめでたく帰路につかせるまでがミッションである。
しかし残念なことに、彼にとっての地雷原である村民たちがお引き取りになったのと入れ替わりに、息を切らした女性が民宿多田の引き戸を勢いよく開け飛び込んできた。
「多田さん! 喜八さん! 今日という今日はもう我慢できないわよ!」
それは、先程手毬唄のパフォーマンスをしていた子役たちの中の一人を平手打ちにし、あまつさえ引き摺って帰って行った平成ママ。一番の爆弾と言っていい。
「まあまあ、ここじゃなんだから」
それ以上話すな、口を閉じてろ! と心で叫ぶも虚しい限りの多田。もう40も若ければうるさい女の口を塞ぐ手立てもあろうという物だが……いや、それはない。恋愛ドラマじゃあるまいし。と余裕も無いのに妄想する喜八69歳。
「喜八さんが何もしてくれないつもりならあたしが直接宮司さんに聞くわよ! 何なら村長に掛け合ってもいいわ! 一体いつまで待てば……」
「わかったから! わかったから! 美佐江さん、とにかくここじゃ話せないから」
多田は涙ながらに訴える美佐江の左手首を掴むと、彼女が今入ってきた引き戸を開けて強引に出て行った。
「ごめんなさいね。吃驚したでしょう?」
女将は熱い煎茶と共に小鳥の形をした饅頭を荒川に差し出すと、何事も無かったように微笑む。
「東京からいらした方には珍しくも無いでしょうけれど、主人が好物でしてね。拘って福岡から取り寄せていますの。味に違いがあるのかどうか私にはわからないんですけどね」
そう振られた方は『え、これって東京銘菓でしょ?』という誘導に危うくはまりそうになる関東以北人。うっかりすると小鳥型饅頭の話にすり替えられそうになるが、それの出自が東京だろうと福岡だろうと、この場に於いて何ら興味の対象とはならない。
女将も、そんな荒川の恨めし気な視線に気付かぬ程鈍感では無かった。
「――先程の方は小野里美佐江さんと云って、この村では数少ない若い世代のお母さんなんです。実は先日、美佐江さんの下のお子さんが行方知れずになってしまいまして、まだ10歳のお嬢さんですからとても心配なさっているんですよ」
こんな時、隠し立てをするのはむしろ愚かなことであると心得ている。なかなかに聡い女性だ。
「う、ううん……」
「あら、お嬢さんが気付いたようですね」
見ると、発見時から傍を離れない猫が少女の顔を肉球でぺしぺしと叩いている。それ程痛くもなさそうだが、おちおち気絶してはいられない状況だ。
「……今は、何時代ですか」
今の今まで正体を失くしていたというのに、いきなり起き上がったかと思うと何時代か、などとというタイムトラベラー然とした質問である。少々お頭の心配をしない訳にはいかないが、無理もない。一度正気を取り戻した際目にした二人組がどうにも時代錯誤なコスプレコンビだったのだ。
そう言えば「昭和……」と、明らかな落胆を浮かべた直後、今見たモノを消去しそうな勢いでリセットボタンを押した。――かのように再度落ちて見せたのだ。
さてはタイムスリップでもしてしまったと勘違いしているのだろう。
「まごうこと無き平成ですよ」
「平成――平成? 良かった! ボク迷っちゃったのかと思いました」
ボク――って何で? 女将と荒川はひとたび顔を見合わせると、それぞれが目の前の僕っ娘を見た。再びゆっくりと視線を合わせる。またもやそれぞれ僕っ娘に照準を合わせる。もう一回顔を見合わせる。埒が明かない。
「きみ、名前は?」
まさかのスルー――という訳ではなく、名前から性別を判別する作戦だ。何しろ「きみ僕っ娘なの、男の娘なの?」と聞くのは、どうにも間の抜けた話であり、女の子ならば無礼千万、その後の展開が思いやられる。
「ひ……ひよこ」
――いや、ちょっと待って。今、饅頭見てたよね。それきみの名前なのか?
それとも眼にしたモノの名前を言ってみただけなのか?
荒川の小さな胸には俄かに暗雲が立ち込める。
――めんどくさいものを拾ったかもしれない。
煩雑危機回避センサーが反応している。
「ひよこです。ボクの名前は三毛ひよこです」
今度は苗字まで付いた所を見ると、これはいよいよ人名らしい。だが、少女改め自称ひよこが『三毛』という前に、ちらりと傍の猫を見たことを見逃さない荒川だ。というよりも身に覚えがある展開は記憶に新しい。
――結論、偽名だろう。
尤も、猫は三毛ではないことを付け加えて置く。
「あの、ここは――」
「映画・ドラマの里、小野村ですよ。私はここで民宿を営んでいる多田八重子。こちらの金田一耕助風な方はミステリー作家の荒川クリスティー先生よ」
――しまった! 多田喜八め、さては名刺を渡したな!
と思った所で先の発言が回収できる筈もない。だが、がっくりと項垂れる荒川に追い打ちをかけたのはひよこだった。
「あなたが――荒川クリスティー先生!」
――まだ一文字も書いていないと知っての狼藉なのだろうか、『あなたが』だなどとは嫌味にすらならない。ところが、発言した本人は至って真剣な表情だ。ともすると同名の作家が?
「ボク、先生にお会いしたかったんです」
荒川はふと、大切なことを思い出した。
そう言えば女将がすっかり安心しきった顔をしているではないか。この不思議少年の介入によってすっかり行方知れずになっていた問題。その疑問の答えをまだ聞いてはいない。
「奥さん、先程の続きなんですが」
「え?」
気を抜いていた女将は唐突な展開に面喰って間抜けな顔をしているが、ひよこは動じる素振りも見せずニコニコと膝の上の猫を撫でている。
――面倒なことを後回しにしたわけじゃない、断じてない。
と自分に言い聞かせる。が、いささか強引であるのは否めない。
「ですから、10歳の娘さんがいなくなって、どうして喜八さんの所へ捩じ込んで来るのか不思議に思えるんです。警察は捜索してくれないんですか?」
「それは……」
「だったら、先生が調べてあげたらいいんじゃないですか?」
「ふぇ?」
取り敢えず棚上げにしようと心に決めた問題が、新たな問題を提示する二次災害に見舞われ、荒川は思わず間の抜けた声を出す。
ただ単に興味本位の質問だった筈が、執拗に食い下がったためにろくでもない展開に発展する。心はピュアな少年だからか世間知らずだからか。
図らずも探偵のコスプレに役立つ時がやってきた。