第1話 あくまで手毬唄
「ひとつ弾けばシュルルルル」
「ふたつ弾けばカァラカラ」
「みっつ弾けば花ひらく」
「開いただけでは実らない」
「やすまず弾け、やすんじゃだめよ」
「赤子泣いてもシュルルルル」
「ヒグラシ鳴いてもカァラカラ」
青々と稲穂が茂る田園風景に少年たちの歌声が響いていた。
覆いかぶさるようにヒグラシの奏でるカナカナという鳴き声が、狂おしいほどに木霊している。
今時、田圃道で毬つきをする子供らは、小学生らしき浴衣姿の男の子ばかりが5,6人。夕暮れに浮かび上がったその光景は昭和。それもかなり初期の風情。
だがそれはまるで映画かスペシャルドラマのロケであるかのようにしらじらしい。
「ふう……」
いっそこのまま畦道に寝転がりたいと、吹き抜ける清しい風が誘惑する。
荒川は疲れていた。
例によって下調べなどと云う煩わしいことの一切をせずに出発した最寄駅からの顛末は、それだけで「30歳、初めての冒険」という番組が組めそうではある。
だが、金持ちの酔狂など視聴率は見込めないだけでなく、苦情が殺到しかねないご時世である。
何が入っているのか、革製の四角い旅行カバンがずしりと重さを増す。
かれこれ6時間以上は提げているのだから当然といえば当然だが、旅慣れた者なら3時間とかからない距離である。
それでも、歌っていた意味深なフレーズに、荒川の好奇心は膨らんだ。
「失礼。少々お尋ねしたいのですが、あの子供たちが歌っているのは?」
先刻から、何やらちらちらと荒川を遠巻きに見遣っていた、野良着に鍬を担いだ70絡みの男は、この時を待っていたかのように偶然通りかかり応える。
「あんうたっこさ、あくまで手毬歌でおます。気にすっこつなかばってん」
どこの方言か荒川には皆目見当が付かない。と言うか、場所の特定を敢えて避ける事が目的としか思えない程の統一性の無さはどういった趣旨なのか。
「あくまで手毬唄?」
「そうずら」
「失礼ですが、その不自然な言葉にはどういった意味があるんですか? 明らかに一貫性がない」
荒川がそう言うと男は鍬を下ろし「これはこれは――やはり俳優さんでしたか」とにこやかに両手を差し出し握手を求めて来た。
一転してどこかの大統領のような振る舞いである。が、目が笑っていない。
「いえね。その衣装でしょう? 勿論主演俳優さんじゃないかとは思ったんですよ。コスプレと呼ぶにはクオリティが高過ぎますからね」
言葉とは裏腹。老人は自分の醸し出すエキストラ感は棚に上げて、怪訝そうに不審人物を上から下まで2回見る。
180センチは優にある体には何とも不釣り合いな絣の単衣と羽織袴。白足袋に下駄ばきとは、まるで昭和初期の書生スタイルである。極めつけは中折れ帽だ。
――これでコスプレでなければなんだというのか。見たことのない顔だが、本当に俳優なのだろうか。
と、探りを入れる。
「この村は地デジ化以降、電波障害が酷いものでして……不勉強で申し訳ありません、申し遅れましたが私こういう者です」
差し出された名刺には『小野フィルムコミッション世話役・多田喜八』と書いてある。
「電波障害とは、厄介ですね」
「ええ。お陰で村のインターネット普及率は100%になりまして、テレビの方はケーブルで見てますよ」
結局見てるんだ。と口に出すのを、すんでの所で留めた荒川は、村人たちの取ってつけたような昭和ノスタルジアの仕掛け人が、恐らくはこの多田喜八であると悟る。
「しかし、役者さんがお一人でロケハンとは珍しい。お見受けしたところ金田一……」
「いえいえ、残念ですが私は役者ではありませんし、ましてや祖父の名に懸けてどうこうしようなんて気持ちは毛頭ありません」
そう言って、荒川も負けじと名刺を出す。
佐久間にすがるような眼で渡されたそれを突き返せずにいて良かった、と初めての名刺交換に少しばかり高揚するのは定職に就いたことのない者の習性である。『三十にして立つ』感慨もひとしおだ。
尤も、自立しているかはひとまず置いておく。
当然受け取る側の心情は猜疑に満ちている。役者でないのならコスプレイヤーと云うことになるのだが、祖父の名に懸ける懸けないの話なら、また別の衣装を身につけるべきなのではないかとも訝らずにはいられない。初老とは云え、多田はフィルムコミッション世話役の肩書を持つ男なのだ。
「フリーミステリーライター・荒川クリスティー?」
「へ!? 声に出して読まないで下さいっ!」
渡された名刺を読み上げる多田に対して、荒川は思わず声を荒げた。
何ということでしょう。荒川は名刺に何が書かれているのか確認もしておりませんでした。
受け取った側から見れば怪しさだけしかない。名刺を出しておきながらその名を呼ぶなと言う。全く以て意味が解らない。
世話役としては捨て置けないし不審以外の感情は湧く余地がないのは明らかである。
背は高いがひょろりとして髪も黒い。少々目鼻立ちははっきりしているものの一見した所日本人であり、明らかに偽名。
では、何の目的でやってきたのだ? 多田の疑念は果てしなく広がる。
まさかその古めかしい旅行カバンから、この村を窮地に追いやる最終兵器を出して来やしないかと居ても立ってもいられない。ここは先手必勝だ。
「この小野村が数々の映画やドラマのロケ地だという事は……」
「勿論知ってます。こんな昭和初期の雰囲気を保ちつつ、都心からもそう遠くない利便性が多くのドラマ、映画製作者から支持されていると評判ですからね。ロケ地めぐりの観光客も引きも切らないとか」
「ほんなら、おまんも観光ばしよっとか?」
つい口を滑らせた、と言わんばかりにバツの悪そうな多田。その使い方で合っているのかも怪しい似非方言が体に染み付いていると見える。
そんなやり取りの中、件の少年たちへつかつかと歩み寄る女性が目に入る。
歳の頃は30程で服装もごく普通のTシャツとジーンズ、少しばかり茶色く染まったサラサラセミロングの髪は無造作に束ねられている。にも拘わらず、これが実に目を引く。
――と言うのも、この村に入ってからというもの荒川が目にした人々は誰彼かまわず昭和初期ムード漂う出で立ち。荒川の書生スタイルはむしろ目立たない筈と言ってよく、平成の主婦っぽい彼女は異世界からやってきたようにさえ見える。
「和樹! またそんな歌を歌って! あんたは妹が心配じゃないの!?」
そして、未来からの来訪者は中の一人を目掛けて、そう怒りを露わにするのだった。
「あいつがいなくなったのはママのせいじゃないか! みんな言ってるよ! ちゃんと見てないママが悪いんだ!」
ぴしゃん。と云う音があたりに響き、和樹と呼ばれた少年は左頬を抑えた。が早いか平成からやってきた市井のママは彼の腕を掴むなり、周囲の視線を一身に浴びることなど厭う様子もなく引き摺るようにぐいぐいと連行した。
その一部始終があまりにも衝撃的かつ流れるように展開し、目撃者一同はただただ呆気にとられてそれを見守る。
はっと気付いた時、彼女らは既にかなりの距離を歩いていた。
「あ、あれはっ、あくまで手毬歌ですから。何でもありませんから。今の親子はどうか気にしないで下さいっ」
暫し呆然としていた荒川に対し、聞かれてもいないことを否定するという不手際。
小野フィルムコミッション世話役・多田喜八にはっきりと表れた狼狽の色は”どうぞご自由に疑って下さい”といっていた。