第14話 小野妹子失踪事件
時を刻む振り子時計の音だけが辺りに響く。
沈黙は僅か数秒だったが、多田の登場により場の空気はガラリと変わった。
「あなた、いつからそこにいたの?」
驚きながらも、取り繕うように声を掛ける八重子にはまるで目もくれず、喜八の視線は荒川一点に注がれている。
「先生。まだ、いらしたんですか」
彼はそう言うと、食事の片付けが済んでいないテーブルを囲む3人の所へ歩を進め、座っている荒川の目線までゆっくりと腰を屈めた。その表情は最初にあった時とさほど変わらない温厚そうな微笑だが、それこそが村を守る彼の戦闘態勢なのだろうと今なら理解している荒川である。
「荒川先生、さすが推理小説家ですね、素晴らしい想像力に感服しましたよ。ですが、あまりに妄想が過ぎます。真に受ける人がいないとも限らないですからね」
多田は屈んだ足腰を伸ばすと、表情を曇らせる妻に向き直る。
「あれは失火だ。お前だって知って居るだろう、四条は煙草を手放せない男だ。村のもんは誰だって知ってる」
八重子は押し黙ったまま夫を見つめ、ひよこはいきなり立ち上がり食って掛かる。
「でもあの人、煙草はお店の外で吸ってました!」
喜八は感情を押し殺した――それでいて有無を言わさぬ声で応じた。
「君は、四条の何を知ってる? あいつがいつどこで煙草を吸うのか知って居るのか?」
「それは……」
「そうだ、誰も知らない。あいつが何をしたのか、誰も知らない」
「でも……」
荒川は何か言いかけるひよこを制す。喜八は最早、剥がれ落ちた笑顔を取り繕う気配も無い。
再び訪れた沈黙。だが、それを時報の鐘の音が破った時、荒川は口を開いた。
「ところで多田さん。四条さんの容体はどうなんですか」
「えっ? そんなこと、あんたには関係ないだろう」
「火事の時、四条さんを心配して涙ぐむ女性を何人も見ましたよ。彼は随分と若いお母さん方に信頼されていたようですね」
「当然だ、四条は良くやってた」
「そうなのでしょうね。僕も少しだけお話しさせて頂きましたので、容体は気になります」
荒川の思いもよらぬ態度に一瞬戸惑う多田だったが、全身を覆っていた緊張は心なし緩んだように見える。
「幸い、思ったほど煙を吸っていなかったから軽傷で済んだよ。2、3日中には退院できるだろう。火事も穴蔵のボヤだけだったしな。あまりにも煙がすごかったものだから大騒ぎになったが、建物の延焼は防げたし、大した損害もない。ただ、あの穴蔵がなくなっただけだ」
「それは良かった。安心しました」
「あいつはただ守ろうとしただけだ。だが、全てを守ることは誰にも出来ない。それだけだ」
「彼とは同士、なんですね」
多田はほんの少し目を逸らし、直後、ふぅ、と溜息を吐いた。
「あいつが付いているなら、と出来ぬ我慢をしてくれた親もいる」
その言葉を発すると力の籠っていた両肩はすとんと落ちた。
それでも瞳だけは力強く決意を持って荒川を見据える。
「あんた、さっきの話を……」
祈るような、願うような声だった。
「――ああ、あれは僕の小説の話です。まだラストシーンが思いつかないので、どうにも発表には至りません。多田さん、あなたは僕の物語、最後の部分をどう終わらせるのが良いと思われますか?」
多田はその言葉の意味に一瞬戸惑い、やがて呟いた。
「命を懸けた愚行のせいで神隠しは2度と起こらなかった。だろうな」
「成程。それが良いでしょうね」
荒川がそう応えると、多田は深々と頭を下げ踵を返した。だが、ふすまの手前まで行くと立ち止まり、振り向いた彼は最初に出会った時の堂々たる佇たたずまいを見せた。
「荒川さん」
「はい?」
「あの言葉、撤回させてください」
「あの言葉?」
「あなたたちが詮索してくれたおかげかも知れません。さっき、ゆうきちゃんが見舞いに来ましてね。あんな正気な目、久しぶりに見ましたよ。勿論、ああいった病が一朝一夕に治るモノじゃないのはわかっていますが、多分良い兆候だろうとね。そう信じてみます」
多田はそう言って微笑むと、もう一度頭を下げてその場を後にした。そして後には、それまで成り行きを見守るしかなかった八重子が小走りに夫を追う姿があった。
「先生」
結果的に取り残された形となった2人のうち小さい方が口を開き、先生と呼ばれる理由が定かでない先生は既に違和感なく応じる。
「なんだい?」
「この話、書くんですか?」
「この話、とは?」
「当然、さっきまで話していたやつです」
「君、今までのやり取り聞いてた?」
「もちろんです」
「ふざけているの?」
「大真面目です」
「そうは思えないけど」
「だって、タイトルはもう決まっているじゃないですか!」
「何、言ってるの?」
「小野妹子失踪事件!」
「何時代の話だよ」
そんな馬鹿げた話には付き合えないとばかりに、荒川は歩き出す。
それに纏わり付くかの如く、ひよこもその場を後にする。
どこからかすすり泣く男の声がしたが、そろそろ誰も気に留めない。
◆
「先生、荷物まとめるの下手なんですね」
どうしたらこの入れ物に納まるのか、出したはいいがそれっきり。荒川は途方に暮れていた。
「これって比較的畳み易いような気がしますけど。基本、四角いし」
どれもこれも着物なのだからその気になれば始末は困難とは言えない筈だが、ジャケットをハンガーに通したことさえないとなれば、その難易度は遥かに高い。
そんな荒川を尻目に、ひよこは器用な手つきで荒川の荷造りをする。
「そうだひよこ君。うっかりしていたけど、きみはこの後どうするんだい?」
荒川の着物をいそいそと畳むひよこの手がピタリと止まった。
「確か、帰る場所が思い出せないとかなんとか……」
今の今まで鼻歌さえも飛び出しかねない程ご機嫌だった表情は見る間に曇り、荒川に向き直った時にはウルウルという書き文字が頭上に踊る有様だ。
だが、来月17歳男子。両の手を握りしめて口を覆うのはどう解釈すればいいんだ?
「先生はボクを置いて行くんですか?」
荒川には当然、訳が分からない言動である。
「え? 置いて行くも何も、連れて行く意味が分からないんだけど」
「ボク、帰る所が無いんです! お願いします、先生のお家に置いてください! お手伝いでも何でもしますから!」
「そう、言われてもなぁ」
別に、お手伝いなどしなくとも、ひよこ一人の生活くらい面倒みられないことも無いが、いかんせん未成年だ。どう考えても面倒事の匂いしかしない。
そう言えば、第一印象時に煩雑危機回避センサーが反応していた。
『めんどくさいものを拾ったかもしれない』と……
「先生、どうしてもだめですか?」
「駄目に決まってるよ。だいいち帰る所が無いなんて言っても未成年の……ひよこ君?」
!!
荒川の眼がひよこのそれを捉えた瞬間、まるで全てがスローモーションであるかの如く、彼の右腕は高々と天を掴んだかに見えた。刹那、その手からは3色の光が発せられ、それは高速で回転する。気付くとひよこの右手には奇妙な形状のペンが握られており、それを荒川に向けた。
「ひ、ひよこ……きみは、いったい……」
ペンから発せられた三色の光は混ざり合いながら荒川を捉え、辺りは光の渦に飲み込まれた――――。
「先生! 先生、起きて下さい! もう、ホントに体力無いんだから」
「うん? 僕は寝ていたのか? 何だか目がちかちかするんだが――」
「昨日だって疲れて寝ちゃったでしょう?」
「うーん――何だか頭がぼんやりする」
「時に先生、こんな時間にバスはないんじゃないでしょうか。駅まで歩いたら電車も終わっちゃいますよ」
荒川はくすり、と笑う。
「心配いらないだろう。それよりも用意は出来たかい」
「はい!」
「では、帰ろうか」
「いいんですか?」
「おかしなことを言うね。何故そんなことを聞くんだい?」
「いえ。ちょっと聞いてみただけです」
ひよこのまとめた荷物をひょいと持ち上げ、荒川は言った。
「行こう」
「はい!」
背の高い荒川の歩幅は少しだけ広い。
ひよこはそう、初めて感じた。




