第10話 品縫家の掟
小野村の鎮守である品縫神社は、代々品縫家男子が宮司を務めるしきたりを厳格に守り、今日まで村に君臨してきた。しかし現当主、品縫誠一に授かったのは宮司継承権の無い、女児の『ゆうき』ただ一人のみであった。今にして思えば、それがこの悲劇を招いた一番の要因だったのかもしれない。
誠一とは幼馴染の間柄であった妻の『綾子』は元来体が弱く、跡取りの問題を第一に考える先代は二人の結婚を決して快く思ってはいなかった。だが誠一の母、即ち先代の妻の執り成しもあり、息子たっての願いを聞き入れたのは、誠一が綾子以外の女性と添う気持ちが無いと譲らなかったこともある。
しかし、悪いことに綾子はゆうきを産むと更に病がちになり、第二子はおろか床に就く日が増え、日常生活すら困難になって行った。
そんな中でも息子夫婦と夫の間に入り、ゆうきを育ててくれた優しい祖母も、彼女が7歳の年に病であっけなくこの世を去り、翌年には綾子自身も儚いこととなった。
その後、残された誠一が後妻を頑なに拒み続けたことも災いしたのだろう。先代はそれら全ての厄災をもたらしたのが綾子であると口にするようになり、何もかもが上手く行かない苛立ちの矛先はゆうきに向けられた。
父の誠一は優しい男ではあったが、綾子を亡くしてから暫くの間は抜け殻のようで、当時、幼いゆうきを守ってくれる者は誰一人としていなかった。
――自分さえ男の子に生まれていれば。
8歳の少女がそう思い詰めるには十分な環境だったのだろう。
ゆうきはやがて心を閉ざし、引き籠るようになった。
時を前後して小野村に一人の青年が流れ着いて来た。名を四条といった。
彼は村の空き家事業に応募してこの村に移り住み、子供向けの学習塾を開いたが生徒は一向に集まる様子も無く、すぐにそこは閉鎖された。
その話を聞いた誠一は、活路を見いだせない四条を娘の家庭教師にと雇い入れたのである。
その頃はもう笑うことはおろか、ほとんど他人と会話をしなくなっていたゆうきだったが、不思議と四条には懐いた。彼の心に潜む傷がそうさせるのか、ゆうきは次第にかつての穏やかな表情を取り戻して行った。
祖父である先代も、塞ぎ込むゆうきに責任を感じない訳では無かったのか、学校にさえ行かないことにも口出しをしなくなった。
そんな落ち着いた日々が4年近く続いた頃、段々と娘らしくなったゆうきも中学生になろうとしていた。
数年間登校していない彼女にも小学校は平等に卒業証書を渡してくれる。勉強はむしろ楽しい時間だったためか同年齢の子供たちよりも遥かに進んでいた。
「ゆうきをこのまま学校に通わせないつもりなのか?」
先代がそう言い出したのはその頃だった。彼女の教育について誠一に意見したのは実に4年ぶりのことだったが、孫を心配する心があるなら、そう言っても不思議はない。いや、それにもまして誠一自身も中学入学が環境の変わる良い切っ掛けであるとは思っていた。
「それに……ゆうきも随分と娘らしくなってきた。お前も父親なら、そろそろ男と二人きりで何時間も放っておくことは感心できないと思わないのか?」
ともすると、先代の真の憂慮はそれだったのかもしれない。
そうして、ゆうきは中学校へ、四条はパチンコ処を任されることとなった。
だが、ことは男二人の考えるほど単純な物では無かった。
何年も満足に他人と接して来なかったゆうきが突然、何事も無かったかのように通学できる筈も無く、家に籠る日々へと逆戻りするには幾らも時間を要さなかったのだ。
「四条さんに来てもらいたい」
入学から数か月が過ぎ、夏の訪れを感じる頃。あまり自分の想いを口にしないゆうきが思い切ったようにそう言った時、頑なに反対したのは祖父だった。
「お前はもう子供ではない。あんな……どこの馬の骨かわからない男に傷物にでもされたら取り返しがつかんのだぞ!」
その言葉はとても許せるものではなかったのだろう。ゆうきはこの日、初めて祖父に歯向かった。それはとても激しい怒りと、言いようのない悲しみが込められた叫びだった。
しかし結果はどのみち同じ。今の品縫家で祖父に逆らえる者などいないのだという深い絶望が、彼女の心に刻み込まれたに過ぎない。
そして1年後、事件は起きた。
深夜、静かな村内に救急車のサイレンが響き渡った。
老人の多い集落であるから、それ自体はさして稀とも言えない物だったが救急車両の向かった先が品縫神社であるともなれば、自然村人は集まって来る。
中には心配して神社まで様子を見に行った者もいたようで、社へと向かう車道は救急車の復路を妨げるという珍事も起きる始末だった。
だが、そうした見物人の目にした物は胸の辺りから出血しているゆうきが搬送される姿だった。
◆
「あんなこととは?」
「理由は知らないんですけど。四条さんが家庭教師を辞めてから……ゆうきちゃん、一層引き籠っちゃったらしくてね」
女将は少し躊躇うように間を置くと、声を落とした。
「ゆうきちゃん、自分で自分の両胸を切り取ったらしいって……」
荒川とひよこは耳を疑った。
「そう、村では噂されていたんです。実際のところは見た訳じゃないのでわからないんですけどね。うちの人は品縫を守ることが最優先みたいな人だから、真相を知って居たところで私になんて話さないの。でもね、搬送現場を見た人は、いつもおとなしいゆうきちゃんがね『私が女になんて生まれたから』とか『女になんかなりたくない』とか、半狂乱で叫んでいたって言ってましたから、あながち嘘じゃないのかもしれないってねぇ……」
女将の話が終わると、荒川とひよこは暫く何も言えずに只々放心していた。いや、戦慄していたと言ってもいい。
――あの少女の違和感の正体が、まさかそれ程までに凄惨な過去だったとは考えてもいなかった。いや、不自然に薄い胸が脳裏を離れなかった理由とすれば合点も行く。
「ひとつ、お聞きしたいのですが。ゆうきさんは現在入院なさっているということは?」
荒川の質問に眼を丸くして、ひよこが口を挿む。
「なに言ってるんですか、ゆうきさんはお家にいたじゃないですか」
「――いええ、確か……ゆうきちゃんはその後、寮のある遠くの高校に進学したって、うちの人が言ってましたよ。多分、誰も自分のことを知らない所へ行きたかったんでしょうね」
「では、今は大学に?」
「恐らく、そうなんじゃないでしょうか。だから今年も夏休みに帰って来たんだと思いますよ。それが何か?」
荒川はゆっくりとかぶりを振る。
「いえ、ありがとうございます」
ここまでの経緯に思いを馳せ、一つ一つを丁寧に紐解く必要がある。
「ひよこ君、出掛けよう」
「は、はい! でも、どこへ?」
「まずは鈴木小町君の所だね」
「はい!」
思ってもみない話の衝撃は2人の間でウズウズとした胸の痛みになっていた。
この村に、何が起きているのか。それを突き止めるという使命感が荒川を突き動かしている。
「ちょっと待って先生。今朝方表にこんな物が届いていたんですが、またあの羊マークのカードが添えられていまして」
呼び止めた女将の指し示した方へ視線を向けると、そこには高級感溢れる車椅子が鎮座していた。
「先生、どこかお悪いんですか?」
「いえ、いたって健康です。それは進呈しますよ、ご自由になさってください」
あらまぁ、どうしましょう、こんな高そうなもの。とのホクホク顔を見届け、荒川とひよこは民宿を後にした。
◆
数10分後、今日も畦道を並んで歩く珍妙な2人連れがあった。
「先生、筋肉痛は治ったんですか? 車椅子、良かったんですか?」
「うん、まぁね。昨夜の温泉が効いたのかもしれない」
「ああ、確かに良いお湯でしたね。でも温泉まで付いてるなんて、平成の民宿ってすごいんですね」
「え? 僕も民宿は初めてだからみんなこんなものなのかと思ってたよ」
ひよこは相当な天然ボケらしく、時折おかしなことを言う。が、荒川も負けてはいない性質であるので会話は常に若干のずれを伴いながら、ぎりぎりの線で繫がっていると言える。
「先生、一つ気になっていることがあるんです。さっき聞こえてた絶妙なタイミングのヴァイオリン。あれって、なんだったんでしょうか」
「ああ、ヴァイオリンは彼の趣味の一つなんだよ」
「彼? もしかして、ひつじさんですか?」
「君、どうしてそれを? そんな話、した覚えは……」
「だって、あの車椅子だってそうなんでしょう? ボク、怪盗っていう物の意味を間違って覚えてきちゃったのかなぁ」
「何言ってるのかよく分からないけど、今日は急いで行くよ」
昨日、著しく時間を浪費した自覚がないのか、しれっと物言う荒川。
「期待していいんですか、先生」
昨日の今日では流石に疑惑を抱くひよこ。
お嫁に行った娘の物だとか言って、今日も女将が貸してくれた浴衣は女物。
当然、金田一も……いや、荒川も推して知るべしだ。
2人の背後に彼らを追う黒い影があることを知る由もない訳がない荒川だった。




