愚かな兄
お時間がある時にでも、気が向いた時にでも、
よろしかったら見ていって下さい。
初心者ですので、アドバイス等があったら遠慮なくお願いします。
お兄ちゃん、行ってくる
小さなノックが二回、うす暗く雑多な部屋に響く。
兄と呼ばれた男はスッ……と起き上がると、そのまま部屋を出た。
途端、夕暮れの眩しさが容赦無く男の目を襲う。反射的に腕で遮ったが、少しのけ反った。
「まだ寝てたんだ」
直ぐ隣で靴を履きながら少女は淡々と言う。
それには返さずに、後ろ手に元いた部屋のドアを閉めた。
「今日は帰り遅くなるから」
そう告げながら踵を押し込み一通り身支度を済ませた少女は、狭い玄関の下駄箱の隅から傘を掴みとった。
男はやっと口を開いた。
「調子はどうだ、受かりそうか?」
少女の動きがピタリと止む。同時に、玄関に設置された電子時計が鳴り出した。
ピピピピ、ピピピピ、
「……そんな事、聞かないで。分からない」
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、
心底嫌そうな声でそう返すと、少女は耳障りなアラームを停止させた。
男は少女に向けて続けた。
「大丈夫だろ、お前はしっかりやってる」
時計の音が止むと、途端に玄関先が静けさで満ちていく。
「……なにそれ」
一度区切ると、少女のドアノブを握る手に力が篭っていった。
「お兄ちゃんこそ、いつまでも、そこでなにしてるの」
それは少女からの問いかけだったが、男は何も言わない。ただ少女の背の、幾つもの教材で重くなったリュックを眺めていた。
「もっと、ちゃんと、しっかりしなよ」
少女は、振り返らずにおもいきりドアを開け放った。
そして駆け出すと、その大きな横長リュックを背負った小さな背中が、早足で向こうに消えていった。
その瞬間に、車がコンクリートを擦る音や、鉄骨響く工事現場の喧騒が一気に室内に押し寄せなだれ込んで、男に覆いかぶさってきた。同時にそれを阻止するかのように、玄関ドアがもとある場所に戻ろうとゆっくりと閉じてきて、雑音はたちまち遠くなった。
終いにガチャリと鳴ると、全ての音が枯れて、時が静止した。男は電子時計が17時と表示しているのを目の端に捉えながら素早くドアを施錠すると、振り返って戻ろうとした。
すると今度は電話のコールが遠くから鳴り響いた。
プルルルル、プルルルル
もと居た部屋のドアノブに手をかけ、動きを止めた。
プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、
玄関からまっすぐ伸びた廊下の先、赤く点滅するそれをじっと見つめる。
それから2コール程すると、電話は鳴くのをやめて留守電のアナウンスへと移った。
ピーっという音の合図の後、お名前とご用件が狭い家中に告げられていく。
『……僕だよ。今日は帰らないからね。ご飯は二人で食べて下さい。カレー、それかビーフシチューを温めるときは"けーいち"が、お兄ちゃんがいるときに、火の元に用心してお願いね。それと、もうすぐそっちも雨が来るだろうから、洗濯物を中にしまって。二人とも風邪を引かないように、暖かくして、早めに休んでね…………………』
続いて留守電を処理した旨を告げると、電話はピタリと、まるで命を失ったように何も言わなくなった。
部屋からは音が消えて無くなり、兄はまた再び静けさに満ちた廊下でただ一人ドアノブを掴んだまま、死んだ電話機の方に視線を送って立往生していた。
いつの間にか、廊下は急激に色味を失い暗くなっていった。窓から差し込んでいた真っ赤な夕陽が、その役目を終えたようだった。
兄はいつの間に握ったままにしていたドアノブが暖かく熱を帯びていた事に気がつくと、その握を緩めてもう一度掴み直し、扉の向こう、一層暗くなった部屋へ、静かに消えていった。
お時間を頂き、誠にありがとうございました。
よろしければご指摘おねがい致します。




