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打ち付ける雨は幻影を洗い流す

 貴方は、ソクラテスという人物をご存知だろうか。

 ソクラテス、彼は哲学の祖とも呼称されることのある人物である。非常に有名であるところの彼はそもそもこの『哲学』という単語を作った人物でもあるのだが、…勿論、日本語の『哲学』という単語ではなく、哲学という単語の英訳であるところの『philosophy』の更に語源である『φιλοσοφία』という単語を作ったということである。このφιλοσοφίαとは、つまりギリシア語で「知を愛する」という意味を示す。

 この哲学というやつは、全世界に存在するありとあらゆる学問の元祖であると言われている。それはまあ、即ち哲学の根源的なところである『知識への愛』の概念こそがまた、ありとあらゆる学問の大基であるということを意味するのではないか、と私は勝手に考えている。

 このソクラテスという人物は、『ソクラテスよりも知恵のあるものはいない』という信託を受け、自らの一生を民衆に『無知の知』を自覚させることに費やした。

 『無知の知』とは即ち、周知の事実であるところの、自らが何も知らないという事実を事実として知っているということである。


 さて、この『無知の知』あるものこそが賢人であるという発想に基づくならば、私はソクラテスに匹敵する賢人になるのではないか。


 ―と、一人の人物、今年高校に進学したばかりのその男は、そう考えていた。

 彼の名前は、仮にYとしよう。

 Yは、今日、ひどく憂鬱であった。そのマイナスの感情の奔流の原因は、正直に言ってY自身の自業自得であり、因果応報なのであるが、しかし本人曰く「世界で最も無知である」ところの彼は、しかしまた、それすらも自分の無知を身代わりとして、ただ一人、悶々と、絶対に終わらない感情のらせん階段を下降していた。

 彼は「世界で最も無知である」としているが、日本国憲法のいうところの「義務教育」については修了しており、すなわち学業における成績は、まあちょっとしたものだった。だからこそ彼は有名進学校に進学したのであって、それによって元来好きでない勉学を強要され、真に天才と呼称される成績上位者に圧倒的な差を付けられ、全国的な偏差値はまだしも、校内順位は最低に落ちぶれた、実によくある境遇の彼は、ナーバスになっていた。

 しかも、今日のひどい大雨は、芥川龍之介の言葉を借りるならば曰く、「この平成の田舎の高校生のサンチマンタリズムに少なからず影響した。」といったところである。

 ひどくテンションの低いYは、帰りのバスを、屋根のないバス停で待っていた。自転車通学である彼がバスを待つのは、自転車で50分かかる距離を雨天の中疾走するよりは、5分後のバスを、傘を忘れた身で雨に打たれながら待つほうが得策であると判断したためだ。ちなみに、バスの運賃はここから家まで680円である。なけなしの小遣いから出すには少々痛い出費ではあるが、しかし50-5=45分雨に打たれることに換算すると、まあしょうがない出費ではあった。第一、雨に打たれて風邪を引いてしまったりしたら面白く無い。主にY本人が、である。しかし、そう考えると俺の健康の価値は680円ということになってしまうのではないか、とふと考えたYは、その発想を、髪に溜まった雫ごと、頭を振って追い出した。

 このひどい大雨に打たれるYの、圧倒的自然現象に対するいらだちは、次第に「全国統一一斉模試」という休日をエンジョイしたい学生には非常に辛いプログラムを提示することで休日登校を無理強いした学校に対して矛先を向けていった。まあしかし、Yの休日のエンジョイの仕方など、せいぜい漫画を読むかゲームをする程度のエンジョイなのであるし、学校が無理強いしたと感じるのも、Yの非常にひねくれた、尚且つ責任転嫁的な発想のしからしむるところなのであるが。

 雨に打たれる彼の後ろから、声がした。

「何してんだお前。次のバスは1時間後だぞ。」

振り返ると、そこにあったのは、傘をさしたYの友人であった。この人物の名を、仮に友人Mとしよう。Yは、友人Mに対して、ほぼ条件反射的に言葉を放った。

「は?」

「いや、お前、今日は日曜日だぞ。バスの運行日程、平日とは違うんだよ。」

「え、いや、じゃあ俺が待ってた意味は?」

友人Mは、紺色のこうもり傘をくるくると回転させながら、黒い笑顔で言った。

「ど・ん・ま・い。」

Yは、間髪入れずに言った。

「学校死ね。」

日曜日の雨が、傘を叩き、一人をぐしゃぐしゃに濡らしていた。Yの怒りの矛先は、まだ学校を向いたままである。


ある日の、昼のことである。

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