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7 たすけて / 救難依頼



 だい、ピンチ、だとおもう。

 おさけなんてそんなに飲んだことない、もうこれ、限界、なんだ、きっと。


 視界がぐるぐる回るのと一緒に、自分の身体もぐらぐら揺れている気がする。

 ものの遠近がよくわからなくなって、手足をあちこちにぶつけてしまったけれど、ぜんぜん痛くない。

 絶対飲みすぎてる。気分が悪い。

 自分が今にも意識を失いそうになっている事実に慄いた。


 他の人が用事できたからって、人数合わせで代わりに参加しただけ、頼まれたから。なのに。

 こんなことになるなんて思ってなかった、もう2度とこんな集まりこない───!


 どうにか逃げ出してきて、トイレの個室、フタが閉まったままの便座の上に座り込んで、わたしは項垂れた。

 お願い、なんて頼み込まれて断りきれずに頷いてしまった自分はなんて馬鹿だったんだろう。

 あの人の噂は聞いたことがある。必ず『お持ち帰り』する人だって。それがステータスのひとつだと勘違いしてるんじゃないの、と嘲笑われていた気がする。

 みんな、知ってたんだ。数合わせじゃなくて生贄だった。やっかいなものを押し付けるためだったんだ。

 最初に座らされた席の位置から考えても、意図的なものがあったとしか思えない。


「ちょっとお、クラター? 吐いてんのぉ? 様子見て来いってアイツがうるさいからさぁ、早く戻ってよ」

 カツコツと硬いヒールの足音を響かせながら、聞き覚えのある声の主が化粧室へ入ってきたようだった。

 最悪だ。本気で狙いをつけられているみたいだし、彼女達はそれを助けようなどと思っていない。

 メイクを直しているのだろう、小物を弄る音がする。

「もう、少し、したら戻ります…」

「あ、そ。どーでもいいけど飲みすぎて倒れたりしないでよねー」

 …飲みたくて飲んだんじゃないのに。


 グラスを受け取らないと、持たせることを口実にあちこち触られる。それが嫌で。

 そうして一度受け取ってしまうと、今度はその減り具合を理由にからまれるのだ。この手のあしらいは苦手だった。


 まるく場を収めつつ拒否することがうまくできなくて、うかうかと飲まされ、この状態だ。

 自力でもう逃げ出せる気がしない。


 どうしよう。


 携帯を握り締めて、頼れそうな人はいないか、友人を順番に思い浮かべる。

 …駄目だ、そもそも近くに車を持ってる知人がいない。

 もうこんな時間だし、いまから公共の交通機関を使ってきてもらっても、終電に間に合わない…


 どうしよう。どうしよう───



 …───前にもこんなふうに考えたことがあったような、気がする。

 真っ白だった頭の中が、真っ白な雪のフィールドへ塗り変わって、首をゆっくり傾けてライフルをかまえる、ハンターさんが───



 脳裏で蜂蜜を連想させる金の髪がさらりと揺れた。

 ミルクをたっぷり注いだ紅茶の香りがしそうな、日に焼けた肌の色を思い出す。

 ともすれば甘くなりすぎる組み合わせの顔立ちを、ピリッと引き締める清涼な翠眼が、強い光を放ってこちらを見据えて。


 そうだ、スウィフトさん。あの人なら。


 困ったことがあったら、って渡してくれたメモ、確かスケジュール手帳に挟んでおいたはず。よかった、あの場所に置いておく気になれなくて、バッグも一緒にここへ持ち込んで来ている。

 わたしは肩にかけっぱなしだったトートバッグを開くと、その中へ手を探りいれた。







    ※  ※  ※






 プルタブをおこし、圧縮された空気が抜ける音をなんとはなしに聞きながら、テーブルの上に投げ置いていた雑誌に目をやった、その時だった。

 携帯が震えたのは。


 バイブレーションの鳴動で微かに空気が揺れている。


 開けた缶ビールを一口飲み下し、ソファの背に投げたコートの胸ポケットに入れっぱなしだったそれを引き出した。

 ディスプレイに表示されているのは登録された名前ではなく、数字の羅列。


 ───見覚えは、ある。


 デートのお誘いにしちゃいささか非常識な時間帯だ。

 まさかとは思うが、俺が非番で不在の時を狙って阿呆どもが妙な事をしでかしたのかと、嫌な考えが一瞬頭をよぎる。


 どんな用件かと多少肝を冷やしつつ、持った片手でそれを開き、耳に押し当てた。


「───あ! あ、ああの、あの、わたし、せんじつごはんをごちそうにな、た、倉田…美春、くらたです」

 舌っ足らずで、いろんな意味で甘口な声が耳に触れる。

 まず小娘本人である事にほっとしたが、どうも呂律が怪しい。ラリってんのか。

「すいません、あの、よる、おそく…」

「いや。かまわないが、どうした?」


「ごめんなさい、ぶしつけ、で、もうしわけ、ないんですけれど、たよれるひとがほかにおもいつかなくて…」

 トラブルか。

 とりあえずは手にしたままだったビールの缶をテーブルに置いた。出張る事になりそうだ。

「何かあったのか」

 問いただせば、以前と同じように遠慮がちな返答がかえってくる。


 ロジカルとは言いがたい切れぎれの会話から推察するに、どうやら小娘は大学のコンパで飲みすぎて、一人では帰れそうにない、ということらしい。

 言外に含まれたSOS、小娘が感じている脅威にも大体想像がつく。

 青いのが盛って調子付く時分だ。女に無理矢理酒を飲ませて泥酔させ、己の都合のいい場所へ連れ込もうと考える屑はどこにでも湧いてでるのだろう。

 お人好しでろくに嘘も吐けなさそうな甘い小娘じゃ、格好の餌食だ。


「わかった、迎えにいこう」

 そう返すとあからさまにほっとした様子で礼を言われた。

 声が震えている。泣き出す一歩手前って所だな、急いだほうがよさそうだ。


 店名を聞き出し、すぐに行くと伝えて通話を切った。

 コートの袖に腕を通しつつ、テーブルから車のキーを拾い上げる。


 さて、お姫様の救出に向かうとしよう。

 一口飲んだアルコールは忘れたふりをして。





飲酒運転は法律で禁止されています。

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