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21 喰らう





 ───喰われる。


 初めてのキスは、正直そう思った。


 きすって、くちと、くちが、ふれあうことなんじゃないの。


 わたしがみた本とか映画とか、友人から聞いた話とは、最初から違ってた。


 立ち上がって、上から覆い被さるように迫ってきたルダーさんの美貌が、角度をゆるり、傾けて。その形のいいふっくらした唇が、がっと開いた時には、もう近すぎてなにがなんだかわからなかった。

 唇の上をべろりと滑っていく感触に悲鳴をあげたつもりだったけど、実際はちょっぴり洩れただけのそれをあっという間に吸い取られて、逆に開けた隙間から熱いものが滑るように侵入してくる。

 抵抗を考える暇もないままぐるりと中を掻き回されて、あまりのことに首を振って逃げようとした。

 でも、ルダーさんの大きな手が、わたしの髪を後頭部で一掴みに捕らえて、ぐいと下へ引っ張る。ヘアサロンの人がするような優しい手つきで痛みはなかったけれど、反らされた首に、おとがいがなお開いて。

 さらに深く。


「───!!」


 本気で喰われると思った。

 絡めとられて、吸い上げられて、撫でられて、かるく噛まれた。

 くすぐられて、注がれて、飲み干される。


 時折ルダーさんの喉がこくりと鳴って、ああ、わたし、たべられてる。




 どうしてこんなことになってるんだろう。


 ルダーさんは明日からお仕事に復帰するらしい。いろいろと助かった。彼がそう言った。

 わたしも今までのお礼ができてよかった。そうかえした。


 これでもう、関わりあうようなことはないんだろう、って思った。助けてもらった分のお礼は返せたと思うし、そうすると他に接触を持つ理由はない。ルダーさんもお仕事で忙しいだろう。


 ふわふわして、きらきらした、夢みたいな、思い出を貰った。

 これでじゅうぶん。



 そう考えることにしようと、思ってたのに。



 どうして、わたし、キスされてるの―――!




 わけがわからなくなった思考は完全に停止してしまって、わたしはろくな抵抗もできずにいた。


 息が苦しい。意識が遠のきそうになったところで、やっと呼吸を許される。吸って吐くのに必死になって、飲み込めずに唇の端に溜まった唾液を、温かくて柔らかいものが掠め取っていった。


 なんっ、なんてことを───!


 目を疑うような行為に見上げたら、彼がこちらを伏し目がちにみつめたまま、濡れて光る己の唇をぺろりと舌でなぞる、その瞬間を目撃してしまった。

 途端に心臓が打つ早さを増していく。胸の奥で暴れる鼓動に、身体がどうにかなりそうだ。

 いやだ泣きそう、これ泣いてもいいよね。こんなのありえない。

「ど、して、どうしてこんなことっ、するんですか―――!」


 もう必死になって叫んだ。

 けれどルダーさんは、わたしの訴えなんかまるで聞こえていないような、妙な晴れやかさで見下ろしてくる。

「ああ、すまん。俺は……ずっとこうしたかったらしい」

 謝罪の言葉を口にしているくせに、ちっとも悪びれる風がない。どこか陶然としたミントの瞳はむしろなんだか満足げに、ミルクティ色の頬はいまにも口角が上がりそうな、そういう雰囲気だ。


「こ、こうって、こ……き、ききききすのこと? なんでわたし? わ、わたしじゃなくてもいいですよね、キ、スなんて」

「キス? いや、違うな。キスじゃない。俺がしたいのは───」


 顎に指先を引っかけられて、上向かされた。ルダーさんの綺麗な顔がぐっと近づいてくる。

 思わず逃げようとした身体が───もうすでに、そのしっかりした腕に拘束されていたことに気が付いた。


 腰にまわった左腕に押さえつけられて、ルダーさんの身体にぴったり密着している。

 い、いつから?!

 まごまごしているうちに翠の瞳がとんでもない至近距離までやってきて、じいっとわたしを見つめていた。焦げて穴が開きそうなくらいの、熱をまとって。


 あつい。

 わたしを捕らえている左腕も、顎に触れてる指先も、くっついているその身体も、 ───その吐息も。


 ルダーさんはゆっくりといちど、まばたきをして、ささやいた。


 ───お前に向ける感情のままに、触れたい。


「触れてもいいだろうか」

 い、いまさら?! すごく事後承諾じゃない?!

 だってもうなんだか、途方もなく触られちゃったし、今も進行形で触られてるような気がするんだけど、違うの?!

「ほ、ほかの人じゃ、ダメなんですか?」

 勘弁してほしい。わたしは無理だ、こんなこと、一生忘れられなくなってしまう。


「お前に触れたいんだ。ミハル」

 低いバリトンが、触れあう身体から直接伝わってくる。

 大きな手のひらがわたしの頬を覆うように撫で、指先が耳の縁をなぞっていく。

「お前だけに」

 こんな触れ方、ほかの誰にだってされたことがない。くすぐるのとよく似て、でも明確にそれとは違う、もっと奥深くのものを呼び起こすような。


 うそだ、と思った。まさか、って思った。

 それこそありえない。

 でも、それって。


「そ、れ、それ、て、その……す、わ、わたしの…こと、す、す、す、」

 混乱と緊張でつっかえて、単語すらまともに喋れてない。でもルダーさんは、わたしの言いたいことなんてすぐに察したらしい。

「この感情の名前が『好き』だって言うなら、好きなんだろうな───どうしようもなく」

 そういいながら目を細めるルダーさんの表情が蕩けるようで、きらきら、視界いっぱいを星が埋めつくす。

 埋まる。きらきらに首まで埋まってあっぷあっぷする。

「そ、そ、そんなの、あ、あとから言うなんてっ、」

 全部すっ飛ばして、いきなりあ、あんなキスなんて、心臓が壊れそうだ!

「ちゃんと、こ、言葉で、言ってもらわないと、わからないです───っ」

 苦しまぎれにわめいたら、キスが、額に降ってきた。


「好きだ」

 こめかみに。

「愛している」

 まぶたに。

「お前のことを知りたい」

 頬に。

「お前しか目に入らない」

 鼻の先に。


 柔らかな感触が、ついばむように。熱いものが滑って、濡れた痕を残していく。

「ちょ、まま待って、まって……!」


 さらにキスを降らせるべく迫ってくる彼をどうにかして遠ざけようと、その胸板に両手を突いてめいっぱい押し返した。

 ルダーさんは心外そうにわたしの抵抗を受けとめる。彼との間にはほんのちょっとだけ隙間ができたけれど、涼しい顔した彼はそれ以上遠くへは行ってくれない。歴然とした力の差で、わたしの必死の足掻きを手のひらの上で遊ばせていた。


「これじゃ足りないか。どれだけ言えばいい」

 急に真剣みを帯びた表情に変わられて、動揺する。

「いいいいっぱい言われても、そんな大量入荷大セールみたいなの、イヤですっ」

「それなら、お前が気に入る言葉を教えてくれ、ミハル。俺の全てをかけて、その一言をお前に告げよう」

 まるで神様の前で宣誓を捧げるかのように、真摯に聞かれた。

「……っそん、そんなこと、急に……っ」

 急に聞かれても思いつかない……っじゃなくて、どうして急にこんな状況になっちゃったの───!!



 頭の中はぐるぐるで、心臓はばくばくで、なにがなんだかわけがわからない。

 答えに詰まったわたしは、きらきらのオーラを纏った彼を直視できなくて、おたおたと視線をあたりにそらしてみたけれど、でもじりじり焼け付きそうなビームみたいに注がれるものがやっぱり気になって、恐る恐る、見上げてしまった。


 見なきゃよかった。

 泣きたい、泣いてしまいたい。

 その翠のまなざしに宿る力の強さに魂すら喰われる気がした。

 蛇に睨まれた蛙のごとく固まったわたしを、ルダーさんはまじまじとみつめる。


 そうして、唐突にくしゃりと表情を崩した。


「ミハルは可愛いな」


 さっきまで獲物を狙う野生動物みたいな、突き刺さる眼光を放ってたくせに、急に破顔して悪戯っぽく笑うものだから。

 その落差に驚いて、すごーく可愛く見えてしまって。

 見惚れて抵抗を忘れてしまった。


 突っ張っていた腕がゆるんだ、瞬間。

 大きな手のひらが、わたしの頭をがっしり掴み上げて、わたしはまたたっぷりと食べられるハメになった。






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