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18 夢のつづき/甘い夢



 ルダーさんの友人達は嵐みたいに去っていった。



「クッソ、あいつら…」


 自宅の玄関に座り込んだルダーさんは、ぐしゃぐしゃと金髪を掻き回してから両手で顔を覆い、溜めに溜めた長い吐息をこぼす。


 わたしも正直、呆気にとられたというか、茫然としてるというか───歩けないってわかってるのに、車椅子も松葉杖も置いてってくれなかった。

 病院から、車のトランクに杖を積み込んでたのは見た。でも降ろしてないみたいだし、 …車の鍵も持っていっちゃったみたいだ。

 ええとこれは、介助が必要な人を無理矢理退院させて、部屋に閉じ込め…て、どうするつもりなんだろう?

 ルダーさんの友人の意図がわからない。


 頭の中は疑問符でいっぱいだったけれど、とりあえずは冷たい床に座ったままのルダーさんが気の毒だ。傷にも障るだろうし、暖かいところへ連れて行ったほうがよさそう。

「と、とにかくベッドへ行きませんか。わたし、杖のかわりくらいにはなれます」

 それから……食べ物を調達できないって言っていたから、ご飯の用意。わたしにもいろいろできることはあるはずだ。今までお世話になったぶんもお返しできる。


 顔を上げたルダーさんの眉間には深い皺があった。でも眉尻は下がってて、いろんなものが混じった複雑な表情だ。

 簡単に言うなら、すっごく困り顔、だと思う。

 差し出したわたしの手のひらを、その困った顔のまま、ちらと見つめる。わずかに揺れる翠の瞳が、言葉にしなくても「迷っています」と語っているようだった。


 ……迷惑だろうか。


 わたしの手を借りるより、専門のヘルパーさんを雇ったほうがいいかもしれない。

 それなら差し出すべきなのはわたしの手じゃない。


 そう思って引っ込めようとした腕が、がしりと掴まれた。前腕を簡単にひとまわりする手のひらの大きさに少しびっくりする。

「───悪い、頼む」

 ルダーさんはどこか諦めたように瞳を閉じて、溜め息まじりにそう吐き出した。




 もう少し傍にいる許可を貰えて、安堵する自分がいる。自分勝手なわがままだとは思うけれど。

 そのぶん、しっかりお手伝いしよう。

 栄養のあるご飯を食べてもらって、早く怪我が治るように。それまで、快適に過ごせるように。


 目一杯おさんどんに徹するのだ。








 それからは、毎日ご飯を用意しにお邪魔した。

 作って運んで片付けて。その繰り返し。

 あまりレパートリーは多くないから、わたしの故郷の料理をつくったりもしたけれど、ルダーさんは見慣れないはずの料理でも文句も言わずに食べてくれてる。



 さすがに週一回の通院の時はどうしようかと思ったんだけれど、彼の友人は抜かりなかった。

 颯爽と迎えに現れた彼らがまるで引っ越し業者さんみたいに二人一組で「荷物」を運んでいったのには少し笑ってしまった。

 鍵ごと持って行かれてたルダーさんの車の内装は妙に可愛くアレンジされてて、それを見た持ち主がむすっとしてるのを面白がってるみたいだった。


 彼らのやりとりからは、気安い雰囲気が伝わってくる。すごく仲のいい人達なんだろう。

 ルダーさんの同僚ってことは、みんな軍人さんなのかなと思ってたんだけれど。



「あいつの面倒見るのにかかる諸費用はこれで賄うといい。口座はルダーのだから遠慮なくどうぞ」

 そういって渡されたクレジットカードは、 ……なんだかきらきら高級感あふれてて、名義はわたしの名前になっていて。

 ……どうやってつくったのか、聞かないほうがいい気がした。

 ただの「軍人さん」とはちょっと違うんじゃないかと考えると、彼らがあまりお仕事のことを詳しく話そうとしないのも納得がいく。


 ここから先は入れないよ、そういう境界が置かれるのを時々感じた。

 それでもいい。

 これは夢の続きみたいなものだと思っている。



 毎日はすごく忙しくなって、でもルダーさんと一緒に食べる食事や、たまにお見舞いというよりはにぎやかしに来る彼の友人達との会話は、とても楽しい。

 今までとはまったく違うめまぐるしい日々が日常になりつつあった。


 長い長い、夢のなかにいるみたいな、毎日。







 朝にお邪魔する時は寝ているルダーさんを起こしてしまうかもしれないから、インターホンを押さないことにしている。

 合鍵を使ってドアを開け、視線をあげたところで、バスルームから出てきた彼と鉢合わせた。

 まだ片足を引きずりはするけれど、傷はほぼ塞がってきたから、彼が一人で歩くのもシャワーを使うのも驚くことじゃないんだけれど。


 その格好が、



 ───腰にバスタオルだけって!


 がっちり視線が合ってしまったのに、彼のほうはまったく動じないまま、濡れた蜂蜜色の髪をタオルでごしごし拭きつつ「おはよう」と寝起きのフラットなテンションで呟く。


「お、おは……よう、ございます………」


 どうしてこんなに平然としていられるんだろう。いや、ルダーさんは堂々と誇っていいくらい奇麗に筋肉がついてて、均整のとれた体型は隠す必要もないかもしれないけど。

 包帯をかえたりしているから、初めて目にしたわけでもないんだけど。

 覚悟して見るのと、偶然見ちゃうのとは、全然違う。


 でもどうして目撃した側のわたしだけが恥ずかしくなってるの……


 微妙に目をそらすわたしの事なんて特に気にするふうもなく、ルダーさんは寝室に向かって歩きだした。片足を引きずりながら。

 後ろ姿、その背中には、ほとんど治りかけた打撲の黄色く変色した痕と、抜糸が済んだばかりの傷が剥き出しになっている。歩き辛そうな彼の太腿には、タオルで隠れているけれど、一番深い傷があるはずだった。

 はっとして、駆け寄って、支えになるべくその脇に潜りこんでから、自分の失敗に気付く。


 ああああ馬鹿! わたしの馬鹿っ!


 ここ最近で身についた癖でついやっちゃったけど素肌───!


 内心大混乱のわたしの肩へ、こちらもここ最近で慣れたふうにルダーさんが体重をかけてくる。そうしてくすりと小さく笑った。

「冷たいな。今日も外は寒そうだ」

「…っあ、ごめんなさい。手、冷たかったですね……」

 彼の背に添えた手のひらからは、お風呂上がりでしっとりと温まった肌の感触が伝わってきている。朝の冷たい空気の中を歩いてきたわたしの手は冷えていて、不快だったかもしれない。

「茹だり気味だったからちょうどいい」

 上から優しいバリトンが落ちてきた。


 わたしの肩に乗った、支えにするというよりも、覆うように広がっているルダーさんの手のひら。そこからじんわり広がるぬくもりと一緒に、彼が熱を分けようとしてくれている意図も伝わってきた。



 ───ああ本当にばかだ。恥ずかしくて、しにそう。







   ※  ※  ※







 強引に病院から連れ出され、ねぐらに戻ってから二日目。




「まだ、お風呂入れませんよね。身体を拭くタオル、用意します」

 思案顔でそう言ったミハルに、どう返答するべきかしばし躊躇した。

 そこまでさせるわけにはと思ったが、しばらくは他人の手を借りないとろくな生活が出来ないことは確定している。


 阿呆共の不法侵入によって、携帯電話どころか部屋にあったはずのラップトップまで消えていた。現金やカード類を探しても無駄だろう。外部との繋がりをとことん断たれた状態だった。

 ミハルを通して外と接触したとして───結局は環境が整うまで数日かそれ以上はかかる。


 多少不自由だがシャワーくらいは一人で済ませられるだろう。感染症の類は抗生物質でも喰らっておけば気にする必要もない。ただ今の体力がない状態では、入浴すらかなりの重労働になるのが問題だった。

 出血が多かったせいで未だに貧血の症状も強い。


 情けないことこの上ないが、どうせ世話になるなら今さらだ。

「……悪い、手間かけて」

 諦めと自嘲の混じるひねくれた笑いに、素直な笑みが返された。




 ───さすがに、清拭までするつもりだったとは予想していなかったが。






「足と背中は、わたしがやります」

 寝室まで湯気をのぼらせるバケツを運んできたミハルが、タオルを絞りながら言う。

 どちらも傷のせいで屈めず手が届かない箇所だ。己一人で面倒をみきれないのが明白だと、片意地を張って断るのも滑稽で、大人しく受けることにする。

 他人に触れられること自体には特に抵抗はない。慣れた看護士の清拭は手早く物同然の扱いをされるが、その方がいらぬ羞恥心も持たなくて済む。


 ……が、これは。



 触れてくる手がいちいち遠慮がちで、拭くというよりは撫でられている。皮膚の上を滑る柔い感触にいたわりが込められている分、別の何かを刺激した。

 ベッドに腰掛けた俺の足元に小娘が跪き、指の一本一本、その間まで丁寧に拭き清められて、非常にむず痒い。

 女の太腿の上に己の足を置かれることがこうも奇妙な気分にさせられるとは知らなかった。



「え、と、あとはお任せ、しますね。お湯が冷めちゃったら取替えますから、呼んで下さい」

 やると宣言した箇所をあらかた拭き終え、使用済みのタオルを抱えたミハルに、頷きを返しながらも黙って胸のうちでかぶりをふる。


 ───いやもう結構。


 こんな拷問めいた真似を繰り返すなら、バスルームで這いつくばったほうがまだましだ。 










 小娘は実にちょこまかと、忙しく働いた。

 朝晩の食事の用意、講義がなくて都合がつく時には昼飯も作り置きではなく用意しに来た。

 最初は躊躇いまじりだったくせに、数日もすると容赦なく服もシーツも引っぺがすようになって、マメに洗濯をしていく。

 包帯の巻き方もめきめき上達してずいぶん上手くなった。

 今も掃除でもしているのだろう、ドアの向こう側から小さな足音が絶えず聞こえてきている。



 寝るためだけにあったはずの空間に、馴染みのないものが満ちつつあった。




 初めは───己が休息する時に最も間近にいる者が、何の緊張もなく無警戒にうろうろしているのがどうにも覚束ない思いにさせられた。


 洗われた服やシーツが業務用のそっけないものとは違う香りがするようになった。


 毎日が朝の挨拶から始まって、陽が落ちる頃には別れ際におやすみなさいと締めくくられる。早寝早起き、老人のように規律正しい生活はお奇麗すぎて笑えるレベルだ。


 飯を作るために金属製の重い鍋を用意してきて、さらにその荷物を持ち帰ろうとするのにぎょっとして置いて行けと言ったが、それから日に日に見知らぬ道具がキッチンに増えていっている。


 湯気にのって運ばれる料理の匂い。それに刺激された空腹感で目が覚めて───他人の気配に覚醒することなく眠り続けていた自分には愕然とした。


 欠かさず作られる暖かい食事と、手触りが変わった衣服、毎日の訪問者が纏う、己とは異なる香り。


 著しく変化して、それらで満たされていく。

 



 この部屋に、こんなものを持ち込むつもりはなかった。


 味をしめたところで、これが己の思うままにならないものだと知っている。

 甘い夢を見せる麻薬のようなものだ。依存して手放せなくなる前に、切り離すべきだった。




 これ以上は、もういらない。






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