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16 かくしごと



 最初は、ルダーさんからだった。


 二度目はわたしが、電話をかけた。

 三度目は忘れ物を持ってきてくれて───あまりにもタイミングが良すぎてびっくりした。

 四度目も驚くくらい偶然に逢えたから、次もきっとそんなふうに、って思ってた。



 こういうの、思い上がってたっていうのかな。


 公園で子犬と一緒に眠るルダーさんを見てから、もう一ヶ月が過ぎている。あれきり、逢えていない。

 思い切って電話もかけてみたけれど、電源が入っていないというアナウンスが流れるだけだった。何度かけても同じ。


 わたしが以前吐いた『彼のほうから連絡くれるまで電話は繋がらない』という嘘は、皮肉にも本当のことになったわけだ。


 もっときちんと謝っておけばよかった。

 そもそもあんな失礼な真似をしなけれよかった。

 彼がわたしをからかったのも、発端を突き詰めていけばわたしの下手な交友関係が原因だ。

 身から出た錆、自業自得。


 勝手にのぼせ上がって、勝手に怖気づいて、 …ばかみたい。


 後悔するほどに、謝りたい気持ちも強くなったけれど、もしかしたらこれが『終着点』なのかなって、だんだんと思うようになった。

 あんなに格好良い人とわたしが関わりあうなんて、もともとあるはずがなかったことだ。最初から、接点なんてなにもない。

 わたしの気持ちも果たされることはない。

 そういうことなんだろう。



 諦めてしまおう。



 わたしの携帯が鳴ったのは、そんなことを考えた矢先だった。






 ディスプレイに表示されたルダーさんの名前に、慌ててそれを耳に押し当てたんだけれど。

「あっミハルちゃん? いま時間ある? あるよねー」


 予測していたものとは違うハスキーな女性の声が聞こえて、固まってしまった。


 ───誰だろう、聞き覚えがない。でもわたしを知ってるらしい。わざわざ電話をかけてくるんだから。 …これ、ルダーさんの電話のはず、だよね。

 どういうこと??


「あの、どなた、ですか」

「あ、ごめーん。わたしね、ルダーのお仲間なんだけど、あいつのことでお願いがあって。今からちょっと付き合ってもらえないー?」





 ルダーが貴女に逢いたいって駄々捏ねてんのー。


 電話の向こうの女性はそう言った。

 ルダーさんが駄々を捏ねてる? ちょっと想像がつかない。

 きっと言葉のあやというか、本当のところは別の事情があるんだろう。

 説明されたのは、ルダーさんはとある理由で今電話に出れない状態なんだって事だけれど、その『とある理由』の説明はなかった。

 もしかしたら携帯電話を奪われるようなトラブルに巻き込まれている可能性も考えた。怪しそうだったら遠目から確認するだけにして、どうにかしなくちゃ。

 

 

 真意はよくわからないまま、でもなにより彼に逢いたいのはわたしのほうだったから、承諾した。








 待ち合わせ場所に指定されたのは、わたしも通学に利用する駅の駐車場だった。


 ルダーさんの銀色の車が停まっていて、そこに男性が寄りかかっている。短く刈られた茶色いくせっ毛があっちこっちにぴんぴん跳ねて、やんちゃな少年みたいな雰囲気を纏っていた。

 その隣には女性がひとり。たぶん電話をかけてきた人だろう。

 外見を見た感じでは特に怪しそうだとか柄が悪そうとか、そういうマイナスな印象はない。


 近付いていくと、あちらはわたしの顔も知っていたらしくて、女性のほうがすぐにわたしを見つけて小刻みに手を振ってきた。

 ゆるい癖のある金髪に、ぱっちりした大きな瞳。睫毛の先までメイクは完璧で、びっくりするくらい綺麗な人だった。

「ミハルちゃんこっちー! よかったー来てくれて」

 嬉しそうな笑顔を作るその人は、振っていた手を自分の胸元へもっていく。

「わたしのことはライラって呼んでね。こっちは今日の運転手」

 そういって指し示した先の男性は、寄りかかっていた車から身体を起こすと、一歩わたしのほうへ足を進めてきた。

「へえ…君がミハルちゃんか。悪いね、突然。俺はバトーリ、ルダーと同じチームなんだ」

 なんだか興味深そうに見つめられ、手のひらを差し出される。

「こん、にちは。ミハル・クラタです」

 握手を求めているんだろうと思って手をのばせば、彼はそれをぶんぶん振ってにかりと笑った。

 いたずらっ子みたいな笑顔の、頬骨のところに絆創膏が貼ってあるのが、とても目を引く。額にも治りかけた擦り傷の痕があって、それらがいかにも腕白少年っぽい。背も高めだし体格もしっかりしてて、きちんと大人な男性なんだけれど。


「ささ乗って乗ってー、ルダーのなんだから遠慮はいらないよー」

 気早かに車のドアを開けたライラさんに後部座席へ押し込まれ、その彼女もわたしの隣に乗り込んだ。

「出して」

「Aye, Sir」

 運転席にはバトーリさん。よくよく見れば、ステアリングを握る指や甲のあちこちにも痛々しいかさぶたがある。ごく最近になにかの事故に遭ってしまったようだった。

 動かして痛んだりしないだろうか。怪我をしている人に運転をさせるのはなんだか申し訳ないけれど、替わって運転することもできないし、詮索するのも失礼だと思うと、わたしは結局なにも言い出せなかった。


「あの、ルダーさんはどこに……?」

 かわりに、一番気になっていることを隣に座るライラさんに訊ねてみる。

「んふーちょっと待ってね、今連れてってあげるからー」

 電話で会話した時もそうだったけれど、ずっとにこにこ笑っているわりに、結局答えは教えてくれない。有無を言わせない押しの強さがある人だ。

 どうアプローチすればいいのか考えあぐねて、思考は足踏みばかりを繰り返す。


「はいこれ、あいつの携帯端末。貴女に持っていって欲しいの」

 彼女は座席に置いてあったバッグから小さな機械を取り出し、わたしに差し出してきた。


 これをわたしが持つことになにか意味があるんだろうか?

 ライラさんの目的が何なのかがまったくわからない。

「どうしてルダーさんは携帯を持っていないんですか?」

 ───または、どうしてルダーさんの携帯をあなたが持っていたんでしょうか。

 わたしの問いに、ライラさんは軽快に笑った。

「あいつにしては珍しいよねーこんな凡ミス。しょーがないから忘れ物を届けてやってよミハルちゃん」


 忘れ物。


 ……この車も、忘れ物?

 なんだか釈然としない。

 なぜわたしを知っているのか、なぜわたしに電話をかけてきたのか訊こうと話しかけても、ライラさんのお喋りはそれらの質問をはぐらかして煙にまいてしまう。

 何度か試みたけれど、もともと口下手なわたしは彼女のペースにのまれて結局何も訊き出せなかった。


 揺れをあまり感じさせずに車を走らせるバトーリさんの運転は、ルダーさんがそこに座っている時と同じようにスムーズに進んでいく。

 あっという間に街から郊外へと抜け出して、その先にあるものは何だっただろう、と頭の中で地図を広げる。


 たしか、変電所と、病院が───国立の、 …軍病院が。




 冷たい氷で全身を撫でられたような気がした。

 手足が錆付いたみたいに固まって、周囲の音が遠ざかっていく感覚に襲われる。


 病院。携帯を持っていない。車も、


 うそだ、お願い───

 


 頭の中をぐるぐる巡るのは嫌な想像ばかりだ。違う、こんなの、つまらない憶測でしかない。

 否定したい気持ちが思考を凍らせて、あとはもう、勝手知ったる様子ですいすいと病院内を進むふたりのあとを必死でついていった。


 もつれそうになる足をどうにか動かして辿り着いた、病室の真ん中。

 真っ白なベッドの上の彼が、以前と変わらない翠の瞳をこちらに向けてきたことにすごく安堵して、その場に座り込みそうになってしまった。


 ───よかった……、


 お見舞いにきた人と談笑していたらしいルダーさんは、わたしを見てずいぶん驚いたみたいだった。

 身体を起こしてお喋りするくらいはできるようだけれど、頭には包帯が、頬と耳には大きなガーゼが貼り付けてある。

 でもそれだけじゃなくて、たぶん身体のどこかにもっと大きな傷があるんだろう。その痛みを庇ってか、動き方がぎこちなかった。

 なにがあったなんて訊くまでもない。

 この人は、軍人だ。


 ルダーさんのベッドの横に座ってお喋りをしていた人も、手首から先に包帯を巻いている。バトーリさんだってそうだ。最初に彼の怪我を見たときにどうして思いつかなかったのか。同じチームだって言ってたのに。

 彼らは、軍人なんだ。


 わたしはなんてばかなんだろう。

 彼らがこんなに傷つくほど大変な思いをしている時に、電話が繋がらないとか、自分の気持ちがどうとか、そんなことばかり考えていた。能天気すぎる。

 厳しい命のやりとりをしている彼がわたしに声をかける余裕なんかあるはずもない。

「───ルダーさんがこんなに大変だったのに、わたし、何も知らなかった…」

 なんてばかなんだろう。


 情けなくなって、悔しくなって、痛々しい傷が悲しくて、目の奥がじんと痛む。

 本当にばかだ、わたしが泣いたってなんにもならないのに。


「あらら。びっくりしちゃったの? 泣くことないのよー、今回はちょーっとヘマやらかしただけなんだから」

 ライラさんの戸惑った声。

 わたしの両目からぼたぼた落ちる涙のせいで、周囲に微妙な空気が流れるのがわかったけれど、堪え切れなかった。

「何も、知らなくて……っ、ごめんなさい……!」


 知らなかったから。それでゆるされるものなのだろうか。ばかなわたしが、彼に想いを持つことは。

 自分が恥ずかしい。無知な自分が、泣いている自分が、恥ずかしい。消えてしまいたくて両手で顔を覆った。

 早く泣きやまなくちゃ、そう思うのに、涙はなかなか止まってくれない。

「ごめん、なさい───」

 

「ミハル」

 ルダーさんの低い声が、わたしの名前を呼ぶ。

 そろそろと視線を上げたさきの彼は、涙で歪んでよく見えないけれど、すごく困惑しているようだった。

「あー……いろいろ、守秘義務だのと面倒くさい決まりがあってな。血縁や家族にも言えない事が多い。任務に向かう場所も日程も知らないのが普通だ」

「か、ぞく……」

 つまりは、プライベートな関わりもない赤の他人のわたしには、何も教えられないということだ。

 なぜ、どこで怪我を負ったのかも、わたしにはたぶん知る権利がない。


「でも家族ならもうちょっとゆるいよー。お嫁さんになってみたらー?」


 傍らに立つライラさんが、場の空気を変えようとするかのように明るくまぜっかえす。

 口角をきゅっとあげて悪戯っぽく笑う彼女の表情を見れば、軽い冗談なんだってことは理解できた。


 ───でも、あまりにもすとんと自分の胸の奥を撃ち抜くような台詞に、身体も思考もまったく動かせなくなってしまった。



 諦めたふりをしていながら、願望を捨て切れない。心の奥底に沈めたつもりのそれを見抜かれ、当てられてしまった、そんな気がして。







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