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15 休息時間 / 休息時間



 ───疲れた。



 一昼夜寝ずのひと仕事を終え、目に突き刺さる朝日から逃げるようにねぐらに戻り、ベッドに横たわってきっかり5分後。

 寝入り端にけたたましく響いた騒音に殺意を抱いた。

 どこかの阿呆が呼び鈴をしつこく連打してやがる。



「……うるせえ!」


 誰かは大体予想がつくが、何の用だクソ野郎!

 枕の下のものを引っ掴んで足音も荒く玄関に向かい、ドアを開けると同時にそれを突きつけた。

「帰れ!」


「ハァーイ」

「よっ」

 暢気な挨拶をしてきたのはクライド、適当なほうはサナイ。お前ら何しにきやがった。

「おはよー? ちょっとこんな可愛い子にいつまで銃向けてんのー」

 手にした銃の先にこつんと黒い鼻先があてられ、次いで小さいくしゃみから生まれた風がトリガーにかけた指先を掠める。


 ……なんだその毛玉は。



「───何の用だ」

 苛々する、俺は眠いんだ。

 とりあえず腕は下ろしたが、クッソ腹が立つ。 


 クライドが両手で掲げる毛玉はくしゃみをしただけでおとなしい。が、その後ろに立つサナイの肩に下げられたでかい袋から複数の犬の鳴き声がする。

「ほら、ウチの敷地に迷い込んで赤ちゃん産んじゃった犬がいたでしょー」

「俺には関係ない」

 関わる気もない。

 できることならさっさとドアを閉めちまいたい。挟まれて餌食になる位置にこの阿呆が犬を持ってきていなければ。


「飼い主らしい人物から広報見たって連絡があったんだけどー、ホントかどうかわかんないし? だから先に面会させて確かめようと思ってさー。ちょっと遠いからこの子達はここで留守番ね」

「俺が面倒を見なきゃならない理由がみつからない」

 帰れ。眠い。

「だって、勤務中はいつ何があるかわからないじゃん。あんた非番だからずっと見てられるでしょー、この部屋ペット可でしょー、ほらぴったり」

「ふざけんな一昨日きやがれ」

 いちいち犬を掲げてカマトトぶった仕草に腹が立つ。擬装していても鳥肌ものだが、してない今は尚のこと気持ちが悪い。

「またまたあー。ホントはスキなくせに、こういうちいさいカワイイモノ。誤魔化そうとしたって駄目ー、ハイっ」

 毛玉を胸元に押し付けられて、シャツの上をずるっと滑るそれを慌ててすくいあげた。

 受け取ってもいないのに手を離すな、落ちる!

「黒いのと白いのの組み合わせも好きだよな」

 犬に気を取られた隙に、サナイが身体を捻じ込んできた。中身が不穏にうごめく袋を抱えて。

「なんか最近落ち込んでるみたいだから触れ合いをあげようというこの優しい気持ちに感謝しなよー。ほらペットセラピー、癒されるでしょー」

「体よく子守を押し付けてるだけだろうが!」

 サナイは素早く袋を置いて身を翻し、クライドもすぐさまそれに続いた。

 音をたてて閉じたドアの向こう、全速で走る二つの足音が遠ざかっていく。犬を抱えて後を追うのは不可能に近い。


 袋からは黒い犬と、白というよりはアイボリーの犬がもそもそとあふれ出てきた。

 そのうちの一匹が執拗に床を嗅ぎ回っている。嫌な徴候だ。

「……やめろ、頼むからそこで垂れ流すな」


 どうしようもなく溜め息が洩れた。頭痛がする。



 ───俺は、眠いんだ!





    ※  ※  ※





 今日はとても天気がいい。

 風がほとんどなくて、日陰になる屋内にいるよりも、外に出てぽかぽかの日差しの下にいたほうが暖かいくらいだった。

 こんな陽気はめったにない。レポートを書くのに必要な文献に目をとおそうと思っていた今日の午前中は、せっかくだからと、すこし遠出をして、広い公園で読むことにした。

 季節が春か夏なら、きっと色んな花が見れる所なんだろう。あいにく今は冬でほとんどの木々が葉を落としていたけれど、枯れ葉のやさしいグラデーションには心がほっとする。



 日当たりがよくて暖かそうなベンチを見つけ、座って課題の参考文献を読んでいると、視界のはしっこをぷりぷりと左右に揺れる白っぽいものがかすめた。


 本を閉じてみたら、足元にクリーム色の子犬がいた。いつのまにそばまで来ていたんだろう。

 熱心にわたしの靴の匂いを嗅いでいる。垂れた耳ところころした手足がかわいい。

「どこからきたの? ご主人様は?」

 声をかけると子犬はわたしを見上げ、すぐに尻尾をぷるぷるふった。ちいさな前足をわたしの脛のあたりにのばし、ぴょこぴょこと跳ねる。あああかわいい。遊んで遊んで、と全身でうったえる姿に悩殺されそうだ。

 我慢できずに伸ばした手のひらに濡れた鼻先がくっつけられて、ふんふんと匂いを嗅がれる。警戒心がまったく見えない。きっととても可愛がられているからこんなに人懐こいんだろう。

 飼い主さんはどこかな、迷子ならすごく心配してるはずだ。はやくかえしてあげないと。


 本はバッグにしまって、そっと子犬を抱き上げた。ふわふわで暖かい感触が気持ちいい。




 ちょっとまわりに注意を払えば、どこからきたのかはすぐに見当がついた。生垣の向こうから子犬の鳴き声がする。

 ぐるりと迂回していくと、枯れ葉色の芝生の上で寝そべり、仔犬を好きに遊ばせている人がいた。


 ───髪が蜂蜜色の、大柄な、男性。


 まさかと思ったけれど、仰向けになってまぶたを閉じた横顔にはものすごーく見覚えがある。


 …どうして、こんなところで。



 ……子犬にまみれているんだろう。


 彼の首から肩にかけてのくぼみに丸く納まって、彼とおなじようにまどろむクリーム色が一匹。

 厚みのある胸板の上によじ登ろうと前足をかけ、後ろの足もかけようと片方を必死に持ち上げている黒いのが一匹。

 登った彼の太腿から両脚の隙間に転がり落ちていったのは黒い子だったと思う。

 投げ出された手のひらをずっと舐め続けている子と、靴の端っこをあぐあぐ噛み続けているのはどっちもクリーム色だ。

 ジーンズの裾をくわえて懸命に引っぱるものの、びくともしなくて顎が外れた拍子にすてんとこけた子は黒。

 少し離れた所で虫でも追いかけているのか、不規則に走り回っている子も黒。

 全部で七匹の仔犬に埋もれている。わたしが抱いているこの子も入れたら八匹だ。

 いろんなところでいたずらされ放題なのに、それを意にも介さず身動きしないままなのを見て、思わず笑ってしまった。


 どうして子犬に埋もれているのかはわからないけど、動物が好きならやっぱり優しいひとなんだろう。

 そう思うと同時に、先日の自分の行動を思い出して情けなくなった。厚意で優しくしてくれた人から逃げ出すなんて失礼にもほどがある。


 謝りたい。

 …でも近寄りがたくて、迷っていたら、黒い子が一匹こっちにやってきた。

 わたしがためらう距離をその子はあっさり越えて、さっきと同じように靴をふんふん嗅がれる。それを抱き上げて、 …近付いてみることにした。


 黒とクリーム色の子犬を両手に、そっと足を忍ばせて触れそうな距離まできたけれど、彼が起きる気配はない。

 少し安心して、その場に座ってみた。やっぱり起きる気配はなかった。

 腕の中の仔犬を撫でつつ寝顔を眺めてみる。気持ちよく寝ているようだった。


 ───何度見ても格好良い人だなあ。

 ミルクティみたいな褐色の肌、睫毛が金色にキラキラして砂糖をまぶしたみたいで、とても甘そう。


 こうやって見ている、だけなら。


 抱えた子犬のふかふかした毛皮を揉むように撫でつつ、ぼんやりと考える。



 ───キャン!


 どれくらいそうしていたんだろう、かん高い鳴き声にびっくりして、我に返った。

 腕の中の二匹が互いに吠えあっている。

「あ、あ、駄目静かにして、ケンカしないの!」

 口から飛び出た自分の声にはっとした。

 ───ばかっ、わたしが一番騒がしいじゃないか───!

 すぐに息をひそめ、おそるおそるルダーさんのほうを見下ろして…、 心臓が止まるかと思った。


 蜂蜜色の睫毛が持ち上がって、翠の瞳がけだるそうにこっちを見ている。


 おおお起きちゃった───!!


「こ、こんにち、は…」

 必死の思いで搾り出した挨拶に、ゆっくりしたまばたきだけが返される。

 無言のまま、物憂げにじっと見つめられて、ぽかぽか暖かいどころじゃない汗がにじむ。

 どうしよう邪魔しちゃった、怒ってる? 怒ってない?

 眠たそうな表情は何を考えてるのかわからない、どうしよう───!


「あ、ああの、こ、この子あっちで見つけて、迷子かなって……」

 ああああ、わたし何を言っているんだろう。言いわけじみた言葉と一緒に抱きしめた子犬に、頬を舐められた。


 翠の瞳がぼんやりと子犬をみつめ、緩慢にまばたく。

「───こいつらも馬鹿じゃない。俺の匂いがしない所まではいかないんだ、向こうは風下…」

 そういって、広い芝生のまんなかで跳ねている黒い子を指し示す。

 な、なるほど。


 ルダーさんは相当眠いようだった。語尾は消えるように掠れて、まぶたが重たげに閉じていく。


「あの、この前はごめんなさい。失礼な真似して」

 また眠ってしまう前にと思って、早口にそれだけ言うと、ルダーさんの腕がぬっと伸びてきて、わたしの頭の上に大きな手のひらがべたっと乗っかった。

 それから、頭のかたちを探るようにぺたぺたぺたと動いていく。

「……な、何です、か」

 突然の不思議な行動に驚いて身体を固めつつ聞けば、とろりと夢を見ているような瞳のままじっと見つめられた。

「───たんこぶが出来てるんじゃないかと」

 ぺたぺた、ぺた。

「…無いな」

 一通り触って確かめ終えたらしい腕が、ぼとっと芝生の上に落ちた。

 翠の瞳はもう閉じられて、すっかり寝入っているようにみえる。


 …たんこぶって、強引に車を降りた時に頭をぶつけたあれのことだろうか。

 そこまで強くはぶつけていない。そもそもぶつけたことなんて、今まで忘れてた。

 こんな小さなことまで心配してくれていたんだろうか───わたし、本当に失礼なことをしてしまった。


 もっときちんと謝りたかったけど、そろそろ準備しないと午後の講義が始まってしまう。ルダーさんが目を覚ます時までは居られない。


 仕方ない、また機会もあるだろうし───



 ───そう考えて、わたしは足音を立てないように気をつけながら、そこを離れることにした。


 


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