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14 名前を呼べずに



「…ル、ダーさ 」

 スピーカーから響く柔らかい声音は、常日頃耳にする野郎共のがなり声と比べると羽毛のように頼りない。

 だが、聞いていて不快になる要素はひとつもなかった。

 つっかえた己の言葉がまるで重大な罪を犯したかのように息をのむ、その音をマイクに拾われている事実に、小娘は気が付いているのだろうか。

 いや、気付くわけねえな。その呼吸すら無意識なんだろう。


 噴出しそうになるのをどうにか逃がして堪えつつ、もう少しからかってやろうと口を開いたが、道の先で行き交う人垣にふと視線が吸い寄せられた。

 大学から吐き出される学生の群れの中に、ちまっこくて今にも埋もれそうな人影がひとつ。

「今、門を出た通りにいるのか。見える」

 数秒のタイムラグを経て、電波にのったこちらの音声が届いたのだろう。俯きがちだった黒い頭が跳ねるように上げられ、きょろきょろと何かを探す視線がこっちを向いて留まった。眼球が落ちそうなほど見開かれていくその表情は、何を考えているのか非常にわかりやすい。

 急に訪ねてこうも簡単に見つかるとはさすがに俺も予測していなかった。逆に拍子抜けする。



 適当なところで車を歩道に寄せ、黒髪の小柄な娘の元へ足を運ぶ俺の前に、女が駆け寄ってきて道を塞いだ。

「一昨日ぶりですね、私のこと覚えてますかー?」

 ───投げかけられた高い作り声にげんなりする。

 どこで見た顔なのかは覚えているが、わざわざそれを教えてやる義理はない。そもそもこの手の輩が期待している『記憶』とは意味合いが違う。職業柄それが癖になっているだけだ。

「ああ…ミハルの友達?」

 もちろん本当に『友達』だとも思っちゃいない。あの夜に小娘が俺に頼る以外の手段をもたない孤立無援だったことを鑑みれば、どんなものかはおのずとわかる。

 下手に構うのは余計な勘違いを招く。極力関わらずやり過ごすに限るが、さてどうするか。

 思案しつつ小娘を見遣れば、妙に慌てふためいている。どうやらあの様子だと、この面倒くさい状況を予測していたようだった。


 お前のせいだとは言わないが、俺だけ割を食うのは面白くねえ。ここは一蓮托生で厄介事をひっかぶってもらおう。

 俺の口角が上がって笑みを作るのを見た小娘が、びくりと身体をふるわせた。

 鈍くさいくせに半端に賢しいと損をするな、「ミハル?」


 名前を呼ばれた娘は「続きを」と催促した俺の意図におそらく感付いている。喘ぐように唇を開閉し、顔色を赤くしたり青くしたりと実にせわしない。こうも器用に顔色を変えられるのは一種の尊敬に値する。真似しようとは思わんが。

 やがて観念したのか、小娘は黒い瞳を伏せたまま、ぽそりと呟くように洩らした。


「ルダー、さん」

 声が小さい。

「もう一回」

 先日の芝居でまだ足りないというのなら、あれよりさらに上乗せする必要がある。

「ルダーさん」

「ん」

 羞恥心からか、顔を上げようとしない娘は、俯いたまま黒い瞳だけを上げてもの問いたげな視線を寄越してきた。

「…ルダーさん?」

「うん」

 まだまだ。

 わざとらしく笑みを浮かべてにじり寄ってみせれば、小娘は怯んだように首を縮めながら胡乱げに眉を歪める。

「遊んでませんか?」

「いいや? もっと」

 本当の所はその通り、遊んでいるけどな。

「───ルダーさん!?」

 顎を引き、こちらを睨むように力を込めた視線を投げてきたが、残念だ。ちまっこい娘に下から凄まれたところで迫力はまったく無い。

 娘の顔は羞恥に足して怒りやら屈辱やらをにじませて、もとから赤かった頬の色がみるみる広がり、首元まで真っ赤に染めていく。

 昨日の朝の染まりっぷりを思い出し、ふと視線を落とした。服の裾から覗く指が赤い。

 やっぱり全身赤いのか、わかりやすいな。


 打てば響くような反応が面白くて、 …不味い噴き出しそうだ。

 手遅れになる前に、己の顔を娘の影に埋めて周囲から隠した。


 、面白い。


「っもう!」

 忍び笑う俺を恨めしそうに見る小娘は、両手を小さな拳の形に変え、ぷるぷると震えている。涙目で睨まれたところでやはり迫力は皆無。




「ばっかじゃないの?!」

 背後から響いた女の声に、すっぱり意識の外に投げていた存在が思い出される。

 …ああ、小娘が面白くて本来の目的をすっかり忘れていた。

 喚く女が何かを投げつけようとしている。軌道を予測して間に立ったが、すぐにその必要もなかったことに気が付いた。

 折り目がついて真っ直ぐに飛ばすことは難しそうな紙幣が数枚、空気の抵抗を受けて落ちていく。

 なんの反撃にもならなかった紙切れを腹立たしげに睨みつけ、女は踵を返した。

 これで関わるのも馬鹿馬鹿しいと思ってくれれば上々なんだが。


 とりあえずもう面倒ごとは御免だ、とっととずらかるに限る。


 風に吹かれて地面を滑る紙幣を追いかけ、兎のように跳ねて拾い集める小娘を手伝ってから、車のほうへ促した。




 

「ど、どうするんですか、ああああ、あれ! 明日にはいろんなところで話の種にされてますよ!?」

 車内に身を滑らせるなり信号機のように顔色を変え、無駄に視線をあちこち投げたりと小娘は忙しい。

 付き合ってる男でもいたかとカマをかければ、すぐに勢いを失って否定の言葉を返してきた。

 だろうな。

 恐らく惚れてる男もいないはずだ。クソ真面目で、そういう相手がいながら他の男を頼るような器用な真似は出来ない娘だろう。

「なら大した問題じゃない。言わせておけばいいさ、そのうち飽きる」

「あ、飽きるって……」

 あんぐりと口をあけてしばし固まった小娘の肩がゆっくり落ちていった。結構な暴論だとは思うが、そうするのが一番労力が少なくて済む。

 どうみても隙だらけでつけこみやすそうなちまいのを野放しにしておくよりは、多少の噂があったほうが下種な連中の餌食にもなりにくいだろう。頃合を見計らって別れたとでも言えばいい。


「確認してくれ」

ダッシュボードの上に置いていたノートを取って手渡せば、小さな手がぎこちない動きでそれをぱらりとめくった。

「───わたしのです。ありがとうございます」


 視線を落としてそれきり押し黙った小娘は、手にした幾枚かの紙幣を丁寧にそろえ、指先で撫でるようにして汚れを取り払う。さらに数枚、別の紙幣を取り出して、数を確認し始めた。

 表で数え、裏で数え、念入りに枚数を数えてから再度丁寧にそろえる。


「あの、これ。本当に、迷惑かけてごめんなさい」

 赤信号で停止したタイミングで横から差し出されたそれをみとめ、視線を小娘にやれば、じっと懇願のにじむ瞳で見つめてきた。

 …ああ、何となくわかった。金の扱いもきっちりしていそうな娘だから、これがなにがしかのトラブルの元になったんだろう。

 返ってこなくても構わないと思っていた金だが、これは受け取らないと頑なにこだわりそうだ。

「いや。むしろ余計な事をしたかも知れないな、悪かった」

 そう謝罪を口にすれば、残像が残りそうな勢いで首を横にふる。

「いえ、ほんとに、ごめんなさい。ありがとうございました」

 小さく頭を下げて譲らない姿勢に苦笑しつつ金を受け取った。

「ついでだ、自宅まで送ろう」

 脇のドアポケットに紙幣を捻じ込みながら告げた言葉に、またもぷるぷると首がふられる。

「だ、大丈夫です! 用事があるのを思い出したので、その、ここで! ありがとうございました!」

 捲し立てるようにそう言って、小娘はドアに手をかけた。


「待て、ミハ───」

 ごっ

「ぁ痛っ」

 まろび出る時に頭をぶつけたらしい。小さく呻いたが、それ以外は実に素早く鮮やかに脱出して、振り返りもせずに路地へ駆けていく。空気をはらんで揺れる黒髪と、必死に振る腕の先で固く握られた小さな拳が、妙に目に残った。



 ───逃げられた。



 紛うことなき逃亡だった。


 いつの間にシートベルトを外していやがったのか、クソ。

 わかってる、やりすぎた。反応がいちいち面白いもんだから苛めすぎた。


 ステアリングに身を伏せると同時に、盛大な溜息が洩れる。

 何をやってんだ俺は。


 この状況はいつかのアレと同じじゃねえのか、アホすぎる。


 …いや、標的に気付かれて逃亡されてんだから前より悪い。

 後ろでやかましく鳴りたてるクラクションが、くさくさした気分をさらに煽ってくれた。



 あんの、小娘め。






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