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11 かわいい / 降伏宣言



 俺の休日はそう多くない。

 月に一、二度来るだけのこの部屋で、生活することは考えていない。来客用の備えがないのもそうだが、キッチンの棚にはインスタントコーヒーのみ、冷蔵庫の中は水とビールだけだ。

 起きて朝飯も無しじゃ小娘が哀れかと、外に出てすぐに食えそうなものを適当に買ってきた。


 そろそろ起きていると思うんだが。

 雑多な手荷物をダイニングテーブルの上に置き、ベッドルームの方角を見遣る。

 …様子を見に行くか。



 自分の寝床のドアをノックするという行為に激しい違和感を覚えつつ、軽く拳で叩く。

 数秒間を置いて、乱れた音がベッドのあたりから響いてきた。

 踵よりデカい骨を打ちつける音が混じってたな───ベッドから下りようとしてコケたか。


 挫いてなきゃいいが。もし動けなくなっているならこちらからドアを開けるつもりで耳を澄ますと、有って無いようなごく僅かなはだしの足音が、ひたひたとドアの前まで来て止まった。

 向こう側から逡巡する気配を感じ、促すつもりでもう一度ノックを繰り返す。


 恐る恐る、といった風にゆっくりと、ドアノブが捻られた。

「ああ、起きたか。おはよう」

 部屋の内側へドアが引かれ、出来た隙間から小娘がそろりと顔を覗かせる。

「お、おはよう、ございます…っ」


 ───頭から水をかけたら間違いなく湯気が出るな。


 比喩ではなく当然の物理現象として、そうなるだろうと予測する。それくらい、目の前の娘は真っ赤だった。首筋や耳朶まで。

 この分だと全身がそうかもしれない。


「あ、ああの、ごめ、ごめなさっ」

 とりあえず、ひどい興奮状態にあるようだ。まともに喋れていない。

 喋る時には相手の目を見ようと顔を上げるが、こちらを正視できないらしい娘はすぐに顔を俯かせ、つっかえた言葉を言い直そうとまた顔を上げ、そうしてまた俯く。


「わ、たし、夜中に酔って電話なんか、してっ、ご、ご迷惑を、ごめんなさい」

 なるほど、そういうことか。

 先刻こちらをぎくりとさせてくれた小娘が、昨夜の醜態を恥じ、紅く染まって震えている姿は、 …ちょっと面白い。

 そそられるこの嗜虐心を、どうしてくれようか。


「大した事じゃない。 ───それより」

 黒髪を掻き分け、指の背を額に当てる。

「熱でもあるのか? 顔が赤いな」

 当然、その理由が発熱なんかじゃねえのは知っている。今朝方まで体温の変化に異常は見当たらなかった。

 己の失敗の後悔と羞恥からくるものが原因だろうが、それをあらためて口にするのはさらに恥ずかしいことだろう。

 目尻に涙を溜めてぷるぷるしているのが面白い。


「ち、違、…」

 小娘は何も言えずに小さな口を開けたり閉じたりした末に、眉尻を下げて視線を落とした。

 警戒心の足りない暢気な小娘に少々灸をすえてやろうとは思ったが、別に落ちこませたいわけじゃない。

 からかうのはこの辺で許してやるか。


「大丈夫なら、朝飯を食おうか」

 乱した前髪を直してやりながらそう告げれば、小娘は下を向いたままこくりと頷く。


 …ちまいのに俯かれると、顔が見えなくてつまらないな。








    ※  ※  ※





「シャワー使うか?」

 寝室から廊下に出たところで、思い出したようにそう問われ、おもいっきり首を左右に振った。

 とんでもない。酔っ払って電話して迎えに来させて寝た挙句にシャワーとか、図々しすぎる…!

「か、顔だけ、洗わせてもらえ、たら、と…」

 すごく申し訳ないけど、さすがに洗顔くらいはしないと外に出られない。


 すたすたと先を歩くスウィフトさんは、シャツ一枚にスラックス、素足のままの、くつろいだ格好だった。

 プライベートな時間に割り込んでしまっているようで、本当に申し訳ない。

 何気ない動作に時折肩甲骨が浮いて見える背中を追いかけて、ついて歩いていくと、彼はするりと一室に消えて、すぐに戻ってきた。


 バスルームはあっち、と指し示す手に、ビニール袋もさしだされる。

「使えそうなものがあったら使ってくれ」

 ちょっと口を広げて中を覗いてみたら、歯ブラシやコーム、一泊使い切り用のスキンケアセットなんかが入ってるのが見えた。

「あ、ありがとうございます…!」

 これはとってもありがたい。いたれりつくせりすぎる。


 タオルは棚の中に入っているはずだから、とバスルームに通されて、ひとりきりになった事に思わず安堵の溜息がついてでた。

 なんていうか、さっきはすごく簡単におでこに触れてきたし、用意してくれたものといい、距離感が近いというか、女性慣れしてる空気を感じる。

 格好良い人だから、それも当然なのかな。

 でもこっちは慣れてなんかいないのだ。緊張しすぎてどうにかなりそう。


 洗面台の鏡にうつる自分を見たら、異常なくらい真っ赤だった。これは体調を疑われても仕方がない。

 …むしろ体調を疑われるだけですんで良かった。

 どうして赤いのかなんて、掘り下げて聞かれたら。


 ───っ。


 思い出しそうになって、慌てて蛇口を捻った。

 かお、顔冷やそう、そうしよう。


 夢だとしても、そうじゃなかったとしても、平然としているスウィフトさんの様子からすると、きっとたいしたことではないのだ。たぶんわたしなんて、彼にとってはうっかり懐かれちゃった野良犬程度のものだろう。

 流れ落ちる水をすくって、熱をもった頬に押し当てる。

 忘れよう。

 あんまり格好良い人だから、すごく優しくしてくれる人だから、わたしは浮かれてるんだ。 


 ───端っこに置いてある、濡れた髭剃りにまでちょっとどきどきしてしまうのは、意識しすぎな気がする。



 忘れなきゃ。






 顔を洗って、歯を磨いて、どうにか気分を落ち着けて。


 それから、スウィフトさんと一緒に朝ご飯を食べた。

 彼が用意してくれたのはテイクアウトのサンドウィッチで、わたしが惰眠を貪ってる間に歯ブラシなんかもまとめて買いに行ってくれてたみたいだった。


 どっちがいい? って聞かれたオレンジジュースとミルクも、いかにもたった今買ってきましたと言わんばかりの紙パックが袋から出てきて、ここまで気を遣わせてしまってほんとに申し訳ないと思ったんだけど。

 同時に、スウィフトさんって、たぶんゴハン作れない人なんだろうなあって、ちょっと思った。

 ちらりと見えたキッチンはぴかぴかすぎて、使われている雰囲気を感じない。

 見た目からして完璧で、出来ないことなんて無さそうに見えてたけど、ゴハンが作れないとか。なんとなく、かわいい。

 零れそうになる笑いをサンドウィッチにかぶりつくことで誤魔化して、わたしはそれを平らげた。



「ごちそうさまでした」

 どうやってお礼をかえそうか考えながら頭を下げると、スウィフトさんは何でもないことのように軽く頷いた。

「じゃあ家まで送ろう」


 …さすがにそれは。

 めいっぱい首を横に振る。

「そ、そこまでご迷惑かけられないです!」


 もう酔っ払って前後不覚になってるわけじゃない。深夜で交通機関がないわけでもない。

 さすがにそこまでお世話になるのは申し訳なさすぎる。


 ぶるぶると頭を左右に振り続けるわたしに、スウィフトさんは綺麗な眉をハの字に歪ませて、懇願するように言う。

「昨日の夜からそのつもりでいるんだ。俺に本懐を遂げさせてくれないか」

「…その言いかたは、ずるいです…」

 自宅がどこかも告げずにわたしが寝たりなんかするから、彼はわざわざ自分の部屋にわたしを連れてきて、朝の身支度のあれこれまで面倒を見るはめになってる。ほんとうなら昨日の夜に、酔っ払いを引きとってアパートに送るだけで済んだ話だったのだ。


 わたしが、寝たり、しなければ。そもそも酔っ払って電話をかけたりしなければよかったんだけど。


 事態をややこしくして迷惑をかけたわたしを、そのまま外に追い出したってかまわない。でもそうせずに昨日の話を持ち出して、そうしたかったんだから送らせろって、『お願い』のかたちで言うのは、 …ずるい。

 断れないじゃないか。


 敵わないなあ。



 白旗をあげて「お願いします」と言うわたしに、スウィフトさんはにこりと笑って見せた。

 成功した悪戯を満足げに見るこどものような、きらきらした翠の瞳で。



 ───叶わない、なあ。



 


Σd(`・ω・´;)ご、誤字じゃないよ!

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