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空中庭園の竜

作者: あだち
掲載日:2026/05/31

 

 空中庭園と呼ばれる場所がありました。


 雲より高い山の上の、誰が造ったのかわからない、広い庭を備えた、大きな宮殿のことです。

 中には誰が運び込んだかわからない、たくさんの財宝が眠っています。

 そこには欲深い竜がすみついていて、宮殿と財宝を独り占めしておりました。


 世界には四つの不思議な宮殿があって、それぞれに強欲な竜がすみついています。

 火山の火口、溶岩の湖に浮かぶ宮殿には赤い竜。年長者で口が回り、愉しいことや騒がしいことが大好きです。

 広大な地下迷宮には黒い竜。最も若く、最も大きな身体を持ち、戦うことが大得意です。

 魔法で隠された秘密の宮殿には銀の竜。冷静で知恵が回り、血気盛んな他の三体のまとめ役です。

 そして、空中庭園には金の竜。誰より苛烈で好戦的で、誰より欲張りな竜です。


 四つの宮殿と宝を独り占めする彼らを指して、「竜王」と呼びました。


 ***


 ある日のことです。

 銀の竜が、不可侵盟約を結ぶ他の竜王との会合で言いました。


「竜殺しが現れた」


 竜専門の狩人が、人間の国を発ち、各地の竜を討伐しながら竜王を探しているらしい、と。

 改まって言われた話に、三体の竜王は大きな体をゆすって笑いました。別に人間なんて怖くはないし、竜は薄情なので家族でもない同胞が殺されても気にしません。


 竜王たちは、そんな話をする銀竜を心配性だとからかいました。

 銀竜は気にせず、金竜に向かって言いました。


 竜殺しは空中庭園がある山を探しているらしい、くれぐれも用心を、と。


 名指しされて、金竜はムッとしました。ムッ。金竜は竜王唯一の雌でしたが、他の竜王と同じく、争いごとにおいては人にも竜にも誰にも負けたことがない、正真正銘の竜の女王でした。


「銀の竜は臆病ね。きっとその身を産んだ母が人間だったせいね、そうに違いないわね」


 金竜が鼻で笑います。でも短気な同族とは違い、思慮深い銀竜は怒りません。


「確かに人間は弱いけど、見くびってはいけないよ。空中庭園の金の女王、気をつけて」


 その夜、空中庭園の広間で眠っていた金の竜はぱちりと目を開け、首を持ち上げ、ひと方向を強く睨みつけました。

 銀竜の言う通り、竜殺しが現れたのです。


 金竜はいつものように侵入者に襲いかかりました。大きな身体に見合う大きな尾が空を薙ぎ、大きな爪が大地を抉ります。竜殺しはたちまち傷だらけになり、庭園の東屋に逃げ込みました。

 東屋は小さくて、大きな竜がそのままで近づいたら壊してしまいかねません。空中庭園をとても気に入っている金竜は、侵入者を追いかけて、人間の女の姿に変身しました。


 そして、柱の陰で待ち構えていた竜殺しにまんまと捕まりました。


 長い金の髪が美しい、人間の姿になった竜を地に押さえつけ、白い首に剣を当てた竜殺しが言います。


「このまま殺されるのが嫌ならば、ここで自分の妻となれ」


 竜は魔法のかかった刃を突きつけられたまま、竜殺しを睨み上げ、どう殺す気かと聞きました。

 竜殺しは首をはねると答えました。

 竜はまた、今までの竜はどう殺したのか聞きました。竜殺しはめった刺しにして首を切ったと答えました。


(なるほど。この竜殺し、竜の正しい殺し方を知らないらしい)


 竜は内心ほくそ笑みながら、さも従順そうに約束しました。


「では、あなたの妻になります。私が裏切ったときには、この首をあなたに差し出します。ええ、誓います。竜の言葉は魔法の誓約です。決してたがえることはできません」


 ようやく刃が退かされます。いずれ竜殺しを殺すつもりで、竜の女王は人間の妻になりました。


 夜明けが来ると、竜殺しは竜に人間の姿のままでいるよう命じました。竜が魔法の誓約でそれを了承すると、二人はともに山を下りました。

 どうやら竜殺しは一度、自分の国に帰るようでした。

 竜は大事な空中庭園を空けるのは嫌でしたが、四つの不思議な宮殿は、王がいる限り、他の誰かがそこを支配することはできないとされています。

 どうせ、夫を殺したらすぐに戻って来るからと、竜は自分を納得させました。


 ***


 奇妙な夫婦は二人きり、しばらく旅を続けました。

 長い旅路でした。困難もたくさんありました。

 その間、竜殺しはか弱い女の姿となった竜のことをとても気遣いました。

 不便な道を歩いては手を取り、食事が限られていれば譲り、夜露に濡れぬよう自分の外套を被せ、宿の寝台がひとつなら竜に与えて、自分は床に寝転がるのです。

 それは、常に他の竜に宮殿と命を狙われ続けた竜にとって、初めての経験です。竜はなんだか、自分が宮殿の財宝になったような気持ちになりました。

 

 旅は続きます。

 そのうち、竜は本当に夫を愛するようになりました。

 そしてとうとうたまごをはらみました。竜の雌が心の底から望んだときにのみ授かるのが、竜のたまごでした。

 妻である竜は人の気配のない寂しい岩山で、竜殺しである夫の許しのもとに元の姿に戻ると、たまごを産みました。時間にしてほんの数十分、敵の影を警戒していた夫がご機嫌な妻から渡されたのは、人間の赤ちゃんくらいの大きさのたまごです。夫はそれを大事そうに抱え、荷物の中から取り出した大きな布でくるみました。


 旅は続きます。

 夜毎、妻は夫に寄り添ってたまごを抱えて横たわり、竜に関するいろいろな話をしました。

 竜は、残酷なこと。誰もが大層欲深く、宮殿も宝も一度手に入れたらけして手放さないこと。同族殺しも平気ですること。我が子はとても大事にすること。子も、育ててくれた親にとても懐くこと。名は呪いであり、呼ぶことを許されていない者が口にすれば死が訪れること。それから恋は、生涯に一度きりであること。

 夫に優しく撫でてもらいながら、今まで生きた長い時間の中で一番よく話し、一番満ち足りた時間の中で眠り、昼はたまごを抱えて旅の路を進んでは、見たこともない景色を見てまた喋り倒しました。他者を鼻で笑う以外の笑い方を、竜の女王だった妻は初めて知りました。


 そして、旅は終わりました。

 とうとう夫の故郷の都に辿り着いたのです。


 そして竜は、たくさんの兵士に囲まれました。


 兵士の向こうで、夫だった竜殺しが自分のたまごを王様の家来に渡しています。

 王様が喜んで言いました。お前の手紙のとおりなら、生まれてくる竜を育てれば良い兵器になるだろう、と。


 竜は、罠にはめられたのです。


 誓約で人間の姿から戻れない竜は、牢に閉じ込められました。

 竜は絶望して、今まで生きた時間の中で初めて泣きました。どれだけの時間をかけても、竜の涙が止まることはありませんでした。


 ***


 泣き暮らすようになってしばらく。夜明けの風で、壁の鉄格子の間から吹き込んでくる不運な野の花の色しか見るものがなくなった頃。


 真夜中、竜は外が騒がしいことに気が付きました。何かが壊れる大きな音が聞こえました。焦げ臭い匂いがしました。誰かが叫んでいます。


 竜の襲撃だ!


 牢は衝撃で壊れました。逃げ出した竜はわき目もふらずに王宮へ向かい、王様からたまごを取り返しました。


 人間の王国の都はめちゃくちゃでした。建物は壊され、あちこちで火の手が上がり、空には赤い竜が飛び、瓦礫の向こうに黒い竜の尾が見えます。


 金の竜はたまごを抱え、無我夢中で走りました。

 その進む先に、立ちふさがった男がいます。

 銀の髪の若者は、隠れ宮殿に住む銀の竜でした。


 銀竜は言いました。だから言っただろう、と。

 金竜は震える足で歩み寄り、涙を流して懇願しました。


「たまごを助けて」


 閉じ込められた金竜は弱りきり、かつての力は見る影もなくなっていました。

 銀竜は冷たく応じました。


「ただで助けることはしない。竜は残酷で欲深いのだから」


 その言葉に頷く金竜が、差し出せるものは一つだけです。


「空中庭園をあげる」


 それは竜にとって何より大事なものでしたが、一人でたまごを抱えた金の竜にとってはもうなんの価値もないものでした。


「誓います。あの宮殿と財宝は、命ある限りあなたのもの」


 銀竜は金竜の魔法の誓約を受け入れました。母親が人間だった竜は、受け取ったたまごを抱え、父親のように優しい目で見つめ。


 そして、金の竜の首をはねました。







 竜殺しの男の目の前で。


 力を失った金竜の体を、銀竜が受け止めます。切られた勢いで、金竜の首は竜殺しのもとまで転がりました。


 銀竜は竜殺しに気づきましたが、人間の体で、首のない体とたまごを抱えていては竜殺しに敵いません。銀竜はそのまま逃げました。

 そしてその場には、竜殺しと、金竜の首が残されました。


 雨のように降りそそぐ瓦礫を避けることもなく佇んでいた竜殺しは、頭を打たれて地面に倒れました。

 目の前には、目を閉じ、安らかに眠る金竜の顔があります。


「……スティンジア……」


 地に着く手から、牢の鍵と、野の花が零れます。

 名を呼び、痩せた頬に手を添えた竜殺しは、静かに目を閉じました。


 


「これはこれは。竜殺しでありながら、竜を妻にした男がいる」


 騒音が遠くなった頃、竜殺しは我に返りました。降ってくる声に顔を上げれば、赤い髪の壮年の男がニヤニヤとこちらを見下ろしています。


「金の竜を、取り戻したいか?」


 男の問いに、竜殺しは戸惑いながら、藁にも縋る思いで頷きました。


「なら頭を体につなげておやり。竜は首を切られたくらいじゃ死なない。心臓をな、貫かなければいくらだってよみがえれるんだから」


 ――私が裏切ったときには、この()をあなたに差し出します。


 竜殺しは、竜女王が仕掛けた罠に気がつきました。


 痩せた頬に伸ばしていた手が震えます。そこはまだ、十分温かいのです。

 けれど、その瞼が開くことはありません。


 赤い髪の男は、笑いながらその場を去りました。知恵の回る男にそそのかされてやって来たふりをする、愉しいことと騒がしいことが大好きな年長者でした。



 ***



 人間の王国がひとつ滅んだその日、誰より苛烈で好戦的で、誰より欲張りな金の竜は退治されました。

 そのあとも、空中庭園にはあいも変わらず竜の王がいて、命知らずの竜や侵入者を追い払っています。


 何人たりとも踏み込めない庭園の東屋では、人間の赤ん坊ほどの大きさのたまごが、首のない女の体に寄り添うように置かれていました。

 首のない体でも、胸はゆっくりと上下しています。

 金の竜は、お気に入りの東屋で、長い長い()見て(続けて)いるのです。


 銀の竜王はそれを東屋の外から確認すると、それ以上は近づかないのでした。


 竜の恋は、生涯にただ一度なので。



 ***



 空中庭園と呼ばれる場所がありました。雲より高い山の上の、誰が造ったのかわからない、広い庭を備えた、大きな宮殿のことです。

 中には誰が運び込んだかわからない、たくさんの財宝が眠っています。

 そこには欲深い銀の竜がすみついていて、宮殿と財宝を独り占めしておりました。





 独り占めしておりましたが。


 銀の竜王は首を持ち上げて、ひと方向を強く睨みつけました。




 竜殺しが現れたので。


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― 新着の感想 ―
あーっ! どうしよう! 好きです! 高慢オブザ女王様ヒロイン、ほだされちゃってるところも可愛いし、銀竜からのほにゃららに全っ然気が付いてないのも可愛いです。あと「ムッ」も可愛い。ムッ。 そしてそんな…
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