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異世界恋愛短編集

図書館司書に転生したら、冷血宰相に専属任命されました

作者: 百鬼清風

 その日も私は、王立図書館の片隅で黙々と本を整理していた。

 この世界に転生してから数年――伯爵家の娘として生まれたものの、特に強い魔力や美貌に恵まれたわけでもない私は、穏やかに生きる道を選んだ。幸運にも王都の図書館で司書として働くことができ、毎日を本と共に過ごしていた。


 静謐な空間。高い天窓から降り注ぐ光が積み上げられた古書を照らし、紙の匂いが心を落ち着けてくれる。前世でも本好きだった私は、こうして知識に囲まれていれば満ち足りていた。


(転生したからって、必ずしも波乱万丈でなくてもいい。私は、ただ本と一緒に生きられれば――)


 そう思っていた。あの日までは。


 ――重厚な扉が、音を立てて開いた。

 入ってきた瞬間、空気が張り詰める。鎧をまとった近衛兵が先導し、その後ろに現れたのは一人の青年。


 黒い礼服に金糸の刺繍。鋭い灰色の瞳は一瞬で室内を射抜き、冷徹な威圧感を放っていた。


 若き宰相――ライナルト・フォン・シュタイン。

 冷血宰相と呼ばれる男。


 図書館の職員たちは息を呑み、すぐに頭を垂れた。私も慌てて膝を折る。


「……この中に、エリス・クラウディアはいるか」


 名を呼ばれ、背筋が震えた。私の名前。


「は、はい……私です」


 おずおずと顔を上げると、宰相の灰色の瞳が真っ直ぐ私を射抜いた。

 冷たい視線に、心臓が跳ねる。


「お前を、私の専属司書として任命する」


「……え?」


 耳を疑った。

 専属? しかも宰相の?


「本と知識を管理し、私に必要な情報をすべて提供せよ。余すことなく、だ」


 言葉は命令だった。理由も、説明もない。

 周囲の司書たちは驚愕の表情を隠せず、誰も口を挟もうとはしなかった。


 私は慌てて口を開く。


「ま、待ってください。私はただの司書で……宰相閣下のお役に立てるような――」


「黙れ」


 一言で空気が凍り付いた。

 低く鋭い声。反論の余地を与えない絶対の権威。


「お前は選ばれた。拒否権はない」


 そう告げられた瞬間、私の平穏は音を立てて崩れ去った。


 その日のうちに、私は王宮の宰相府へと連れて行かれた。

 分厚い石造りの廊下を歩くたび、近衛兵の視線が突き刺さる。

 通り過ぎる官僚たちは小声で囁いた。


「冷血宰相に目を付けられた娘だ」

「長くはもたないだろう」


 胸が苦しくなる。

 私はただ静かに暮らしたかっただけなのに。


 案内された執務室は、広大で重厚だった。机の上には積み上げられた文書と地図、そして壁一面の書棚。

 ライナルトは椅子に腰を下ろし、書類に視線を落としたまま言う。


「ここが今日からお前の職場だ」


 私は恐る恐る尋ねた。


「……どうして、私を?」


 その灰色の瞳が一瞬だけこちらを見た。氷のように冷たい光。


「理由を知る必要はない。ただ命じられたことを果たせ。それが生き残る術だ」


 突き放すような言葉。

 だがその奥に、言葉では掬いきれない何かがあるように思えた。


 私は小さく息を吐き、心に決める。

 逃げられないのなら、せめて誇りを持って本と向き合おう。

 私が私であるために――。


 こうして、図書館司書としての平穏な日々は終わり、冷血宰相の専属という新たな試練が始まったのだった。


 翌朝、まだ薄明かりの差す時間に、私は宰相府の執務室へ呼び出された。

 昨日連れて来られたばかりの部屋。巨大な机、積み上げられた書類、壁を覆う書棚――その威容に圧倒されるのはもう二度目だった。


「来たか」


 ライナルトは顔を上げず、淡々と告げた。

 宰相と呼ばれる男の声は冷たく、感情を挟む余地がない。


「そこに並んでいる年代記を三巻。戦乱の記述をまとめろ。要点は二刻以内に」


「に、二刻ですか!?」


「できぬのなら、不要だ」


 言葉の一つひとつが重く響き、背筋が強張った。

 だが、私は深呼吸をして頷いた。


「承知しました」


 膝を折り、慣れ親しんだ書物を開く。

 王立図書館で司書をしていた経験が役立った。索引を素早く確認し、必要な箇所を抜き出し、要点をまとめる。指先が震えていたが、不思議と心は落ち着いていた。


 二刻後、メモを整えて机の前に差し出す。


「……終わりました」


 ライナルトは視線を流し、黙々と読み進める。

 沈黙が長く続き、胸が締め付けられる。


 やがて彼は、淡々と口を開いた。


「……無駄がない。よく整理されている」


「え……」


 褒め言葉とは言い難い。だが、私にとっては初めての肯定だった。


 その後も彼は次々と課題を投げかけてきた。

 軍略書の一節を引かせ、古代法典の条文を対照させ、歴史上の事例を問う。


「この戦役で敗北を招いた原因は何だ」

「……補給線の延長です。兵糧が尽きたのが決定打かと」


「古代法典第十二条、王権の制限について述べよ」

「……議会の同意なく課税できない、という条項です」


 矢継ぎ早の質問に、私は夢中で答えていた。

 まるで知識を試す試験官のようだが、そこに侮蔑はなかった。鋭い問いの奥に、真剣さが感じられた。


 気づけば、手の震えは止まっていた。


 ――この人は、私を試している。

 ただの監視や飾りではなく、本当に「知識を求める相手」として。


 夕刻、ライナルトは書類を閉じ、短く言った。


「明日も同じ時刻に来い」


「は、はい」


 背を向ける彼の姿は依然として冷たい。

 けれどその奥に、わずかな期待が宿っているように思えた。


 私は胸の奥が熱くなるのを感じていた。


 王宮の夜は、昼間以上に静かだ。

 遠くで松明が揺れ、衛兵の足音だけが石造りの廊下に響く。

 宰相府に勤め始めてから一週間ほど経った頃、私は仕事を終えて部屋に戻る途中だった。


 ふと、執務室の扉がわずかに開いているのに気づいた。

 深夜。普段なら誰もいないはずだ。

 胸がざわめいたが、そっと覗き込む。


 ランプの明かりに照らされて、一人の男が机に向かっていた。


 ライナルト。


 冷血宰相と恐れられる彼が、背を丸めて書物を読んでいる。

 肩には疲労が滲み、机の上には積み上げられた文書。

 その横に置かれていたのは――古びた革装丁の本。


(……これは、王立図書館でも滅多に閲覧されない年代記……)


 思わず息を呑んだ。

 重責に追われる宰相が、こんな深夜に歴史書を読み耽っている。


 私は一歩踏み出すか迷った。

 彼の背は孤独そのものに見えた。

 冷徹に命令を下す姿とは違い、誰にも見せない弱さが滲んでいた。


「……眠れないのですか?」


 気づけば声をかけていた。


 ライナルトが顔を上げる。

 灰色の瞳がランプに照らされ、驚きと警戒の色を宿す。


「……お前か。何をしている」


「失礼しました。通りかかって……でも、宰相閣下こそ、お休みにならなくては」


 彼は小さく笑った。だがその笑みは冷たくなく、どこか自嘲を含んでいた。


「休めると思うか? 政敵は日々策を巡らせ、王は私に国政を一任する。弱音を吐けば、即座に食い物にされる」


 淡々とした声。

 その言葉に、胸が締め付けられる。


「……だから一人で本を?」


「本は裏切らぬ。過去の知恵は、愚かな人間よりも確かだ」


 その灰色の瞳に宿る影。

 私は思わず言葉を返した。


「でも、誰かに支えられることだって……」


 言いかけて、唇を噛む。

 立場の違いすぎる私が、軽々しく口にすべきことではない。


 けれどライナルトは目を細めた。


「お前は不思議だな。誰もが恐れて近寄らぬのに、なぜそうして声をかける」


「……宰相閣下が、ただの冷血な方には見えなかったからです」


 静かな沈黙。

 やがて彼は革装丁の本を閉じた。


「下がれ。……だが、今夜のことは忘れるな」


「はい」


 返事をしながらも、心は温かく揺れていた。

 冷血と呼ばれる宰相の孤独を知った夜。

 その距離は、ほんの少しだけ縮まった気がした。


 その日の宰相府は、朝からただならぬ空気に包まれていた。

 官僚たちが慌ただしく行き交い、次々と文書を抱えて執務室に駆け込む。


「宰相閣下! 南部交易都市から急報が!」

「辺境で反乱の兆しがあるとの噂です!」


 矢継ぎ早の報告に、私は思わず身を固くした。

 執務室の中心で、ライナルトは冷静そのものだった。

 灰色の瞳を細め、次々と書類を受け取り、指示を下す。


「南部への補給路を再確認しろ。兵の移動は軽率に行うな。噂の出所を突き止めろ」


 冷徹な声が響き渡るたび、官僚たちは頷き、散っていく。

 だが、積み重なる問題は容易に解決できるものではなかった。


 机に広げられた地図を前に、私は震える手を胸の前で組む。

 交易路、補給、反乱――どれも王国の存亡に関わる重大事。

 そんな場で、私のような司書にできることなど……。


 ――だが、目に留まった。

 机の端に置かれた、数日前に私が整理した古文書。


(……そうだ。この記述なら……)


 思わず本を開き、震える声で口を開いた。


「失礼いたします。……古文書によれば、南部の交易路は昔、河川を使って補給していたとあります。陸路が塞がれても、舟を使えば……」


 声が途切れる。

 執務室の視線が、一斉に私に注がれた。

 官僚たちの表情は「なぜお前が口を挟むのだ」と言わんばかり。

 血の気が引いた。だが、ライナルトだけは動じなかった。


「――続けろ」


 冷静な声に促され、私は震えを抑えて言葉を続けた。


「古の戦役でも、河川を利用した補給で軍を救った記録があります。

 南部も同じ地形ですから、応用できるのではと……」


 沈黙。

 次の瞬間、ライナルトは短く言った。


「よくやった」


「……!」


 灰色の瞳がわずかに和らぎ、初めて私に肯定の言葉を投げかけた。

 その一言が胸に熱く広がり、思わず涙が滲みそうになる。


 官僚たちはざわめいた。


「まさか古文書の知識で……」

「確かに理に適っている……」


 驚きと戸惑いの視線。

 だがライナルトは意に介さず、即座に命じた。


「南部の河川航路を調査しろ。必要なら舟を調達せよ。反乱の噂については別に追及する」


 次々と指示が飛び、官僚たちは慌ただしく動き出した。

 私は胸の鼓動が高鳴るのを抑えきれなかった。


 ――私の知識が、役に立った。

 ただ本を愛するだけでなく、その知識が誰かを救えるのだ。


 仕事を終え、夜。

 執務室に残って書類をまとめていると、ライナルトが不意に声をかけてきた。


「お前の助言で救われた」


「い、いえ……私はただ、本に書かれていたことを……」


「本を知り、適切に引き出すことができるのは才能だ。……自覚しておけ」


 灰色の瞳が静かに光る。

 その言葉に、胸が熱くなる。

 冷血と呼ばれる宰相が、私を必要としている――。


 互いに言葉少なだったが、本を介して芽生えた信頼の糸は、確かに結ばれ始めていた。


 南部交易問題が一段落したのも束の間、今度は宮廷内に不穏な空気が広がり始めた。

 廊下ですれ違う貴族たちが私に向ける視線は、明らかに敵意と軽蔑を帯びていた。


「見たか、宰相の傍らにいる娘を」

「あれは王都の図書館にいたというではないか」

「異国の書ばかり漁って、宰相に妙な知恵を吹き込んでいるらしい」


 囁きは瞬く間に広まり、私は“異国の知識を持ち込む女”と呼ばれるようになった。

 昼食の席で隣に座ろうとする侍女さえ、気まずそうに離れていく。

 孤立――それが私の立場になりつつあった。


 そんなある日の謁見で、ついに公然と矢が放たれた。

 重臣の一人が、王の前で声を上げたのだ。


「閣下。そちらの娘をこれ以上側に置かれるのは問題です。

 異国の思想を持ち込み、王国の伝統を歪めかねませぬ!」


 広間がざわめく。

 視線が私に突き刺さる。膝が震えそうになる。


 だが、ライナルトは眉ひとつ動かさなかった。

 冷徹そのものの表情で、短く言い放つ。


「彼女は私の最も信頼する補佐だ」


 重臣の顔色が変わる。

 広間は一瞬で沈黙に包まれた。


「本の知識を侮るのは愚かだ。彼女の助言はすでに幾度も国を救っている。――異論がある者は、成果を超えてから言え」


 突き放すような声音。

 私は思わず彼を見つめた。

 冷血と呼ばれるその横顔は、誰よりも強く私を庇っていた。


 表向き冷徹に振る舞う彼だったが、その裏では密かに動いていた。

 宰相府の若い官僚が、夜更けに私へ耳打ちしてくる。


「……実は宰相閣下が、貴族連中の讒言を押さえ込んでおられるのです。殿下に直接働きかけ、あなたを守るために」


「え……」


 信じられなかった。

 冷血宰相と恐れられる彼が、裏では私を守るために奔走していたなんて。


 思い返せば、どんなに中傷されても彼は一度も私を遠ざけなかった。

 冷たい声の裏に隠された優しさを、初めて知った気がした。


 その夜、執務室で二人きりになった時、私は勇気を出して口を開いた。


「宰相閣下……どうして、あそこまで私を庇ってくださるのですか?」


 彼は書類から目を離さず、淡々と答える。


「必要だからだ。……それ以上の理由が要るのか」


 冷たい口調。

 けれど、その声の奥にわずかな温もりを感じ取った。


 胸が高鳴る。

 気づけば視線を逸らせなくなっていた。


(……この人は、冷血なんかじゃない)


 孤独と重責を抱えながらも、誰よりも真摯に国と人を守ろうとする人。

 その優しさに触れた瞬間、私の心は確かに彼へと傾き始めていた。


 それは静かな夜に起こった。

 王宮の廊下を吹き抜ける風は冷たく、燭台の炎が揺れていた。

 私は執務室に残り、古文書の整理をしていた。ライナルトはまだ隣室で書簡に目を通している。

 外はいつも通り静寂に包まれていた――はずだった。


 扉の向こうから、低い声が聞こえる。


「……今夜だ。宰相も女も、一緒に……」


 息が止まった。

 近衛兵の見回りではない。誰かがここを狙っている。


(まさか……暗殺計画……)


 背筋が凍る。震える指先で本を抱きしめた。

 ――その瞬間。


 窓ガラスが音を立てて割れ、黒ずくめの影が飛び込んできた。

 閃く刃。

 私は反射的に机の下へ身を伏せ、本を庇うように抱きしめる。


「エリス!」


 駆けつけたライナルトの声。

 鋭い音を立てて剣が抜かれる。


「下がれ!」


 怒号と共に、金属がぶつかり合う音が響く。

 ライナルトが侵入者を剣で受け止め、押し返していた。

 冷徹な指揮官の顔ではなく、必死に私を守る戦士の姿。


「本を……守らなければ……!」


 思わず声が漏れる。

 だが次の瞬間、背後からもう一人の影が迫っていた。


「危ない!」


 ライナルトが駆け寄り、私を突き飛ばす。

 刃が彼の肩を掠め、鮮血が飛び散った。


「っ……!」


 胸が凍り付いた。

 彼は痛みを堪えながら、逆に敵を蹴り飛ばし、剣を振るう。

 灰色の瞳が鋭く光り、冷血と恐れられるその男が、命を賭して私を守っている。


 やがて近衛兵が駆け込み、襲撃者たちは捕らえられた。

 静寂が戻った時、私は床に膝をつき、ライナルトの傷口に手を伸ばした。


「どうして……どうして、私なんかのために……!」


 声が震える。

 ライナルトは薄く笑い、低く答えた。


「……お前を失うくらいなら、この命など惜しくはない」


 冷血と呼ばれた宰相の言葉。

 胸の奥に熱い衝撃が広がり、涙が溢れそうになる。


(――私は、この人を……)


 恐れでも義務でもない。

 確かに惹かれているのだと、自覚してしまった。


 血に濡れた夜。

 刃に晒された瞬間に、私の心はもう彼から逃れられなくなっていた。


 大国ラグランジュの首都に、各国の使節や高官たちが集う国際会議の場。

 広間に並ぶ旗と長卓は緊張を帯び、ざわめきと熱気が入り混じっていた。

 私はその最前列――ライナルト宰相の隣に座っていた。


 居並ぶ視線の中には、見慣れた顔もある。

 私をかつて笑い者にした祖国の社交界の人々。そして……元婚約者の姿。

 彼は驚愕と嘲りの入り混じった表情で、私を睨んでいた。


(逃げない……もう二度と、あの頃の私には戻らない)


 胸の奥で誓いを新たにする。


 会議は交易や軍事同盟の議題で進められていたが、やがて話題は私へと及んだ。

 一人の使節が立ち上がり、声を張る。


「ラグランジュ宰相。その隣に座る娘は、祖国で婚約を破棄された者ではないか? そのような者を伴侶とし、政に関わらせるとは、いかなる了見だ!」


 広間がざわめく。

 元婚約者も立ち上がり、勝ち誇ったように言い放った。


「そうだ! 彼女は捨てられた女。政略には何の役にも立たぬ!」


 視線が私に突き刺さる。

 昔なら怯えて俯いたかもしれない。だが今は違う。


 私はすっと立ち上がり、堂々と声を響かせた。


「――確かに、私はかつて笑い者にされ、居場所を失いました。

 けれど、それを恥じるつもりはありません。

 本と知識に救われ、そして宰相閣下に見出されたからこそ、今ここに立っています」


 沈黙が落ちる。

 かつて私を蔑んだ人々が、驚きの表情で私を見つめていた。


「私は、もう誰かの陰口に怯える娘ではありません。

 誇りを持って、宰相閣下の隣に立っています」


 言葉を終えると、広間に再びざわめきが広がった。

 だがその中で、ライナルトが静かに立ち上がった。


 冷血宰相と呼ばれる男の灰色の瞳が、世界を見渡す。


「勘違いするな。これは政略ではない」


 重い声が広間に響き渡る。


「私は彼女を心から愛している。

 知識を尊び、誇りを捨てずに歩む姿に惹かれた。

 伴侶としても、補佐としても、私は彼女を必要としているのだ」


 雷鳴のような宣言。

 広間は一瞬にして静まり返り、次いで驚きとざわめきが爆発した。


 私は彼の隣で胸を張り、堂々とその言葉を受け止めた。

 冷血と呼ばれた宰相が、政略ではなく愛を示した瞬間――

 かつての屈辱は、誇り高き勝利へと変わっていた。


 国際会議での一件から数日後、王宮は祝賀の雰囲気に包まれていた。

 宰相ライナルトが政略を超えて「愛」を公言したことは大きな衝撃を与えたが、やがてそれは人々の敬意と称賛へと変わっていった。


 その日、広間には王と重臣たち、そして各国の使節が再び集められた。

 荘厳な場で、私とライナルトは並んで立つ。

 王自らが告げた。


「ライナルト・フォン・シュタイン宰相。その伴侶として、エリス・クラウディアを認める」


 静まり返った広間に、やがて大きな拍手が沸き起こる。

 私は胸が熱くなり、思わず目を潤ませた。


 かつて笑い者にされた私が、今は大国の宰相の隣に立ち、正式に伴侶と認められている。

 屈辱の記憶は、最高の幸福へと変わっていた。


 式典が終わり、夜の図書室。

 誰もいない静かな空間で、私とライナルトは並んで本を開いていた。

 積み上げられた古文書、灯るランプの光。

 あの日と同じように――いや、もうあの日とは違う。


「……不思議です」私は小さく呟いた。

「最初はただ逃げ出したくて、怖くてたまらなかったのに……今は、ここが私の居場所だと思えるのです」


 ライナルトが本から顔を上げ、わずかに口元を緩める。


「お前は最初からここに相応しかった。ただ、自覚していなかっただけだ」


 灰色の瞳が静かに私を見つめる。

 その視線に心臓が跳ね、熱が頬に差す。


「……エリス」


 低く名を呼ばれ、胸が震える。

 彼は手を伸ばし、そっと私の手を包んだ。


「お前は私の最も信頼する補佐であり、唯一の伴侶だ。

 ――永遠に、私の専属司書でいてくれ」


 冷血と呼ばれた宰相の声が、今は誰よりも優しく響く。

 私は涙をこらえながら微笑み、強く頷いた。


「はい……何度でも、私は宰相閣下を選びます。本と共に……あなたの隣で」


 互いを選び続けると誓った瞬間、静かな図書室は幸福で満ちていた。

 ページをめくる音と共に、私たちの物語は――永遠へと続いていく。

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