表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4.八五郎、異世界へ行く

ヘイ、いらっしゃい。

えー、いつもご贔屓ありがとうございます。

こうして高座に上がらせていただきますと、客席の皆さんの顔がよく見えるもんでございます。

若い方もいらっしゃれば、人生の先輩方もいらっしゃる。

まことにありがたいこってございます。


近頃は、世の中もずいぶんと変わりました。

我々の子供の頃なんざ、遊びといえばメンコかビー玉、せいぜい野球くらいのもんでしたが、今のお若い方々は大変でございますね。

なんでも「いせかいてんせい」というのが流行っているそうで。

聞くところによりますと、今の世でパッとしない人生を送っていた人が、ある日突然、車にでもはねられて命を落とすと、神様みてぇなのが出てきて、「おめでとうございます! あなたは選ばれました! 剣と魔法の世界で第二の人生をどうぞ!」なんつって、すごい力をもらって大活躍する、てな話だそうで。

まことに都合のいい、もとい、夢のある話でございますね。


我々落語の世界にも、似たような噺はございます。

「地獄めぐり」なんてぇのがそうですね。

うっかり死んじまった男が、閻魔様の前に引きずり出されて、地獄の釜で茹でられたり、針の山を登らされたり、そりゃあもう大変な目に遭う。

もっとも、こっちの主人公は特別な力なんざもらえませんで、ただただひどい目に遭うばかり。

まあ、日頃の行いが悪いから自業自得なんでございますが。


しかし、この「異世界転生」。

もし、我々がよく知っている江戸っ子が、この異世界とやらに行ったらどうなるか。

今日はひとつ、そんなお噺をこしらえてまいりました。

題しまして、「八五郎、異世界へ行く」。

しばしのお付き合いを、お願い申し上げます。


◆◇◆


さて、江戸は八百八町、どこにでもいるような男がおりました。

名前を八五郎、通称「八っつぁん」。

腕のいい職人というわけでもなく、さりとて商いの才覚があるわけでもない。

毎日ブラブラ、日がな一日、長屋の連中と無駄話をしては、日が暮れると一杯飲みに行く。

そんな、まことに気楽な男でございます。


ある夏の暑い日のことでございました。

空には入道雲がもくもくと湧き上がり、遠くでゴロゴロと雷の音が鳴り響いている。

「おっ、こいつぁ一雨来るな。夕立の前に、ちいと一杯ひっかけてぇな」

八っつぁん、なじみの居酒屋へ向かおうと表へ出た、その時でございます。


ピカッ!

天を裂くような閃光が走り、間髪入れずに、

ドッシャーーーン!

腹の底まで響き渡るような、ものすごい音。

運の悪いことに、八っつぁんの立っていた真ん前の大きな柳の木に、雷が落ちたんでございます。

八っつぁん、黒焦げになりまして、あっけなく死んじまいました。

享年二十と八。

まことに、しょうもない人生の幕切れでございます。


「……んん……ここは……どこだ……?」

八っつぁんが次に目を覚ました時、あたりは真っ白な光に包まれておりました。

まるで霧の中にいるようで、右も左も分かりません。

足元もおぼつかず、まるで雲の上を歩いているかのようでございます。


「目が覚めましたか、江戸の者よ」

どこからか、透き通るような、それでいて荘厳な声が響きます。

声のする方を見やりますと、後光の中に、それはそれは美しい女の人が立っておりました。

天女様か、観音様か。

金色の髪を長く垂らし、真っ白な衣を身にまとい、慈愛に満ちた微笑みを浮かべております。


八っつぁん:「へ、へぇ……どちら様で?」

女神:「わたくしは、この世界の理を司る女神。あなた、先ほど雷に打たれて死にました」

八っつぁん:「へぇ、やっぱり。なんだか体が軽ぃと思ったんだ。そんで、俺ぁこれからどうなるんで? 地獄行きかい? それとも極楽かい?」

女神:「ふふっ、面白いことを言うのですね。あなたの魂は、輪廻の輪に戻ることも、天国や地獄へ行くこともありません。あなたには、特別な機会を差し上げましょう」

八っつぁん:「特別な機会?」

女神:「はい。わたくしの管理する、別の世界へ転生させてあげるのです。いわゆる『異世界』というものですね」

八っつぁん:「いせかい……?」

女神:「ええ。そこは、あなたがいた江戸とは全く違う世界。剣と魔法が支配し、人間だけでなく、エルフやドワーフ、そして魔物たちが生きる世界です」


八っつぁん、話がさっぱり飲み込めません。

けん? まほう? えるふにどわーふ?

なんだか、南蛮渡来の言葉のようで、さっぱり要領を得ない。


八っつぁん:「あのぅ、お言葉を返すようで申し訳ねぇが、俺ぁそんなワケの分からねぇところへは行きたかねぇんで。できれば、元の江戸に返してもらえませんか?」

女神:「それはできません。あなたの体は、もうありませんから。黒焦げです」

八っつぁん:「黒焦げ……。そりゃあ、ちいとばかし見栄えが悪いな……」

女神:「ご安心なさい。異世界へ行くにあたって、あなたに一つ、特別な力、『チート能力』を授けましょう。どんな願いも一つだけ、叶えて差し上げます。例えば、どんな魔物も一撃で倒せる最強の剣技、あらゆる傷を癒す回復魔法、巨万の富、不老不死……さあ、何がお望みですか?」


それを聞いた八っつぁんの目が、ギラリと光りました。

どんな願いも一つだけ。

こいつはとんでもねぇ話だ。


八っつぁん:「へっへっへ……女神様、そいつは本当かい? どんな願いもかい?」

女神:「ええ、一つだけですよ」

八っつぁん:「よしきた! それじゃあよ、まずは金だな! 一生遊んで暮らせるだけの大金! それから、病気にならねぇ丈夫な体! それに、うまい酒と美味い肴が毎日食えて、綺麗な姐ちゃんに囲まれて……」

女神:「一つだけ、と言っているでしょうが」


ピシャリと釘を刺され、八っつぁん、しょんぼり。


八っつぁん:「けち……。一つだけかい。うーん、そいつは悩むな……。最強の剣技ねぇ……。俺ぁ、刀なんざ持ったこともねぇし、血を見るのはごめんだ。魔法ってぇのも、なんだかよく分からねぇ。不老不死なんつったら、周りのみんなが先に死んじまって、寂しい思いをするだけだ」


八っつぁん、腕を組んで、うーんうーんと唸っております。

女神様も、こんなに悩む転生者は初めてだと、少々呆れ顔。


八っつぁん:「……よし、決めた! 女神様、俺ぁ、難しいこたぁ分からねぇ。でもよ、どこへ行ったって、楽しくやりてぇんだ。だから、こうしてくんねぇか」

女神:「はい、なんでしょう?」

八っつぁん:「『どんな相手とでも、すぐに打ち解けて、一杯おごってもらえる能力』! これで頼む!」

女神:「……は?」


女神様、あまりに予想外の願いに、あんぐりと口を開けて固まっております。

無理もありません。

これまで何百、何千という転生者を送り出してきましたが、そんなしょうもない、もとい、ユニークな能力を望んだ者はいませんでした。


女神:「……本気、ですか? 最強の魔王さえもひれ伏す聖剣とか、天変地異を操る大魔法とか、そういうものではなくて?」

八っつぁん:「おうよ! 俺ぁ、喧嘩は嫌ぇだが、酒盛りは好きでね。知らねぇ奴とでも、酒を酌み交わせば、すぐにダチ公よ。それに、ただ酒にありつけるってんなら、こんなにありがてぇこたぁねぇや。な、頼むよ女神様!」

女神:「……分かりました。あなたの願い、確かに聞き届けました。その『コミュニケーション能力特化・対人魅力(酒席限定)』のスキルを授けましょう。では、行ってらっしゃい。あなたの新たな人生に、幸多からんことを」


女神様がそう言うと、八っつぁんの足元が、すぅーっと消えていく。

体がどんどん下に引っ張られていくような感覚。


八っつぁん:「おっとっと! こりゃあ、たまげた! 女神様、ありがとよーっ!」


こうして八っつぁん、世にも珍しい能力を携えて、剣と魔法の世界へ旅立ったんでございます。


◆◇◆


さて、八っつぁんが次に気が付いた時、彼は鬱蒼とした森の中に立っておりました。

天を突くような巨木が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。

見たこともない色の鳥が鳴き、嗅いだことのない花の匂いがする。


八っつぁん:「へぇー、ここが『いせかい』ってやつかい。確かに、江戸とはずいぶん違うな。空気がうめぇや」


服装も、いつもの着流しではなく、麻でできたような粗末なシャツとズボンに変わっています。

腰には、小さな革袋が一つ。

中を覗くと、何枚かの銅貨が入っておりました。

これが当座の資金ということなのでしょう。


八っつぁん:「さてと、まずは人里を探さねぇとな。腹も減ったし、喉も渇いた」


森の中をあてもなく歩き始めますと、ガサガサッと、茂みの中から何かが飛び出してきました。

見れば、緑色の肌をした、背丈の低い、醜い顔の化け物でございます。

手には錆びた棍棒を持っている。


ゴブリン:「グギャギャ! ニンゲン! オイシソウ!」

八っつぁん:「うわっ! なんだい、てめぇは! 顔色が悪ぃぜ、どっか具合でも悪いのか?」

ゴブリン:「コロス! クウ!」


棍棒を振り上げ、八っつぁんに襲いかかってくる。

絶体絶命のピンチ!

普通ならここで悲鳴を上げて逃げ出すか、あるいはなすすべもなく殴り殺されるかでございます。

しかし、我らが八っつぁんは、一味違った。


八っつぁん:「おっと、待った待った! 旦那、そう殺気立つなよ。そんなに腹が減ってるのかい? よし、分かった! ここは俺がおごる! 景気よくパーッとやろうじゃねぇか!」


八っつぁん、懐から銅貨を一枚つまみ出すと、ニカッと笑ってゴブリンに見せました。

すると、どうでしょう。

あれほど殺気立っていたゴブリンの動きが、ピタリと止まったではございませんか。

振り上げた棍棒も、そのままカチンと固まっている。


ゴブリン:「……オゴル? パァーッ……?」

八っつぁん:「おうよ! 俺ぁ八五郎ってんだ。見ての通り、しがない旅の者よ。旦那こそ、こんな森の中で一人かい? そりゃあ寂しいだろう。さ、こいつで一杯やって、憂さを晴らそうじゃねぇか。近くに酒場はねぇのかい?」


八っつぁんがそう言って肩を叩くと、ゴブリンの醜い顔が、みるみるうちに緩んでいく。

さっきまでの殺意はどこへやら。

目をしょぼしょぼさせて、なんだか嬉しそうな顔をしている。


ゴブリン:「……グギャ……。イイヒト……。サカバ、アッチ……」

八っつぁん:「よしきた! それじゃあ、案内してくれよ、ゴブリンの旦那!」


こうして八っつぁん、異世界に来て初めての友達、いや、飲み仲間ができました。

ゴブリンに案内されて森を抜けると、やがて小さな村が見えてまいります。

木造の家が立ち並び、道の真ん中を鶏が歩いている。

村人たちは、八っつぁんの隣を歩くゴブリンを見てギョッとしていますが、八っつぁんがお構いなしに手を振るので、なんだか毒気を抜かれたように、ぺこりと頭を下げています。


村に一軒だけある酒場は、昼間だというのに、ガラの悪い連中で賑わっておりました。

屈強な傭兵、怪しげな魔術師、ドワーフの商人。

皆、腰に剣をぶら下げたり、物騒な杖を立てかけたりしている。

八っつぁんとゴブリンが入っていくと、一斉に視線が突き刺さりました。


酒場の親父:「おい、てめえ! ゴブリンなんざ連れ込んで、どういうつもりだ! そいつは魔物だぞ!」

八っつぁん:「やかましいこと言うな、親父! こいつは俺のダチだ。なぁ、旦那。さ、こっちへ座んな」


八っつぁん、一番汚いテーブルにゴブリンを座らせると、カウンターへ向かいます。


八っつぁん:「親父、一番安い酒を二つ! それと、何か腹にたまるもんをくれ。勘定はこいつで頼む」


銅貨を差し出すと、親父はまだ訝しげな顔をしていましたが、しぶしぶエールを注いでくれました。

八っつぁん、木のジョッキを二つ持って、ゴブリンの待つテーブルへ。


八っつぁん:「さ、旦那、お待ちどう! まずは景気付けに、グイッといこうじゃねぇか! かんぱーい!」

ゴブリン:「グギャ! カンパーイ!」


カチン、とジョッキを打ち合わせ、二人同時にエールを呷る。

これが、なんとも言えない、酸っぱくて気の抜けたような味。

お世辞にも美味いとは言えません。


八っつぁん:「ぷはーっ!……ちいとばかし、ぬるいな。まあ、ただ酒だ、文句は言うめぇ。で、旦那。どうだい、最近の景気は?」

ゴブリン:「グギャ……。サイアク……。ニンゲンノユウシャ、ウルサイ……。オレタチノモリ、アラシマワル……」

八っつぁん:「へぇ、勇者ねぇ。そいつは、江戸でいうところの火付盗賊改みてぇなもんかい?」

ゴブリン:「ワカラナイ……。デモ、ツヨイ。キラキラノケン、モッテル。仲間、タクサン、ヤラレタ……」


そう言うと、ゴブリンは大きな目に涙を溜めて、ぐいっとエールを飲み干しました。

八っつぁん、なんだか不憫になって、ゴブリンの背中をバンバンと叩いてやります。


八っつぁん:「よしよし、分かったよ。そりゃあ、つれぇ思いをしたな。だがよ、いつまでもメソメソしててもしょうがねぇ。飲め飲め! 飲んで忘れちまえ!」


◆◇◆


それからというもの、八っつぁんは、行く先々でこの調子でございます。

街道で出会った、人を喰らうという凶暴なオークの一団に出くわせば、

「よぉ、旦那方! いいガタイしてるじゃねぇか! 力仕事の後の一杯は美味いだろう! 俺がおごるぜ!」

と声をかけ、一緒に酒盛りを始める。

オークたちは、最初は警戒していますが、八っつぁんのペースに巻き込まれ、しまいには「俺の嫁が最近冷たくてな……」「息子の反抗期がひどいんだ……」などと、家庭の愚痴をこぼし始める始末。


山道で巨大なドラゴンに遭遇すれば、

「おぉっ、龍の旦那! その鱗、見事なもんだな! まるで業物の鎧みてぇだ! どうだい、この絶景を肴に一杯やらねぇか!」

と、懐から持参した徳利を取り出す。

ドラゴンも、その気迫に押されたのか、「ほう、面白い人間よ」と、人間の姿に化けて、八っつぁんと酒を酌み交わす。

「我も、もう歳でな。最近は、高く飛ぶと腰が痛むのじゃ……」なんて、年寄りじみたことを言う。


八っつぁん、この世界に来て、まだ一度も剣を抜いていません。

それどころか、魔物たちとすっかり意気投合し、彼らの生態や悩みに、やけに詳しくなってしまいました。

ゴブリンは意外と綺麗好きだとか、オークは子煩悩だとか、ドラゴンは腰痛持ちだとか。

みんな、見た目は怖いが、話してみれば悪いやつらじゃない。

人間と同じように、日々の暮らしに悩み、ささやかな喜びを見つけて生きている。


◆◇◆


そんなある日、八っつぁんは大きな城下町にやってまいりました。

石畳の道が続き、立派な建物が立ち並んでいる。

活気のある、大きな町でございます。

広場では、大勢の人が集まって、何やら騒いでおりました。


人々の輪の中心にいたのは、きらびやかな鎧に身を固めた、いかにもといった感じの若者でございます。

金色の髪を風になびかせ、腰には宝石をちりばめた立派な剣。

その隣には、知的な雰囲気の、ローブをまとった美女と、慈愛に満ちた表情の、可愛らしい僧侶の少女が控えている。


勇者:「皆の者、聞いてくれ! 我こそは、魔王ザルゴスを討ち滅ぼし、この世界に平和を取り戻す勇者アレスである! 我々と共に、魔王軍と戦おうではないか!」


おおーっ!と、民衆から歓声が上がります。

八っつぁん、人垣をかき分けて、その様子を眺めておりました。


八っつぁん:「へぇ、ありゃあ、ゴブリンの旦那が言ってた勇者様か。なるほど、なかなかのいい男じゃねぇか。こりゃあ、女にモテるだろうな。……ん? てことは、あいつを倒せば、俺がモテる……いやいや、俺ぁ喧嘩はしねぇって決めたんだ」


演説を終えた勇者一行が、人々の喝采を浴びながら、一番立派な宿屋へと入っていきます。

八っつぁん、それを見送ると、ニヤリと笑いました。


八っつぁん:「よし、いっちょ、お手並み拝見といくか」


八っつぁん、宿屋の中へずかずかと入っていく。

勇者一行は、一番良い個室に通され、テーブルで祝杯をあげておりました。

八っつぁん、臆することなく、そのテーブルに近づいていきます。


八っつぁん:「よぉ、勇者の旦那! さっきの演説、聞いたぜ! いやぁ、大したもんだ! 江戸っ子の俺も、思わず涙がちょちょぎれたね! この通りだ!」


そう言って、八っつぁん、懐から銅貨を一枚、テーブルの上に、チャリンと置きました。


八っつぁん:「てなわけで、だ。俺ぁ八五郎ってんだ。見ての通り、しがない旅の者よ。旦那方の武勇伝を肴に、一杯おごらせちゃあくれねぇか?」


勇者アレスは、突然現れた見すぼらしい男に、眉をひそめます。

隣の魔法使いの女は、露骨に軽蔑の視線を向けている。


魔法使い:「何ですの、あなたは。馴れ馴れしい。勇者様のお時間を、あなたのような者が無駄にしていいとお思い?」

八っつぁん:「おっと、姐さん、そうつれねぇこと言うなよ。いいじゃねぇか、一杯くらい。な、勇者の旦那。俺ぁ、あんたのファンになっちまったんだよ」


八っつぁんがニカッと笑いかけると、不思議なことに、あれほど不機嫌だった勇者アレスの表情が、ふっと和らぎました。

これもまた、チート能力のなせる業でございます。


勇者アレス:「……ふっ、面白い男だ。いいだろう、そこに座るがよい。君のような者にまで、我らの偉業が届いているとはな。愉快、愉快」

魔法使い:「アレス様!?」

勇者アレス:「まあ、よいではないか、ミランダ。彼も我らを慕ってくれているのだ。無下にはできん」


こうして八っつぁん、なんと勇者一行のテーブルに、席を得ることができました。

僧侶の少女が、おずおずと八っつぁんのジョッキにエールを注いでくれます。


八っつぁん:「へへっ、嬢ちゃん、すまねぇな。あんた、いくつだい? 俺の死んだ妹に、ちいとばかし似てるや」

僧侶:「えっ……わ、わたくしは、セリアと申します。十六です……」

八っつぁん:「そうかい、そうかい。達者でなによりだ。さ、勇者の旦那、もらおうぜ!」


乾杯をすると、八っつぁん、早速切り出します。


八っつぁん:「しかし、旦那は大変だな。魔王退治だなんて、とんでもねぇ大仕事だ。俺みてぇな凡人には、想像もつかねぇや」

勇者アレス:「ふん、当然のことをするまで。この聖剣グラムがある限り、我に敵はない」

八っつぁん:「へぇ、聖剣グラム。そいつは、さぞかし切れるんだろうな。……でもよ、旦那。本当は、ちいとばかし、怖かったりしねぇのかい?」


その一言に、勇者アレスの動きが、ピタリと止まりました。

隣の魔法使いミランダが、カッと目を見開きます。


ミランダ:「無礼者! 勇者アレス様が、恐怖など感じるものですか!」

八っつぁん:「いやいや、そうじゃねぇんだ。どんな豪傑だって、人の子だ。プレッシャーってやつもあんだろう。町中の期待を一身に背負ってよ。俺が魔王を倒さなきゃ、みんなが不幸になっちまう。そう思うと、夜も眠れねぇんじゃねぇかと思ってな」


八っつぁんが、さも自分のことのように言うと、勇者アレスは、ぐっと言葉に詰まりました。

そして、手に持ったジョッキを、ぐいっと一気に飲み干すと、大きなため息をつきました。


勇者アレス:「……八五郎、と言ったか。……お主の言う通りだ。……正直、怖い。毎晩、魔王に敗れる夢を見る。民衆の歓声が、私を責め立てる声に聞こえる時があるのだ。『なぜ、もっと早く魔王を倒してくれないのだ』と……」

ミランダ:「アレス様……」

勇者アレス:「私は、王家の生まれだが、ただの三男だ。本当は、兄上たちのように、国政を担いたかった。だが、聖剣に選ばれてしまったばかりに、勇者としての道を歩むことになった。……本当は、パン屋になりたかったんだ……」


ぽつり、ぽつりと、勇者が本音を漏らし始めました。

八っつぁん、それを黙って聞いています。

そして、おもむろに勇者の肩を叩きました。


八っつぁん:「そうかい、そうかい。パン屋ねぇ。いいじゃねぇか。旦那の焼いたパンなら、さぞかし美味いだろうな。よし、分かった。魔王を倒して平和になったら、俺が一番弟子になってやるよ。一緒にパン屋を開こうぜ」

勇者アレス:「……八五郎……。お主……」


勇者アレスの目に、うっすらと涙が浮かんでおりました。

それを見て、八っつぁんは、ふと思ったんでございます。

魔物たちも、根は悪いやつらじゃない。

この勇者様だって、ただの真面目で、ちょっと気の弱いアンちゃんだ。

こいつら、なんで殺し合いなんかしなきゃならねぇんだ?

話し合えば、分かり合えるんじゃねぇのか?


八っつぁん:「……よし、旦那。俺にいい考えがある」


◆◇◆


それから数日後。

八っつぁんは、オークの友達に手紙を運び屋に頼み、ドラゴンの知り合いに空を飛んでもらい、なんと、魔王ザルゴスとのアポイントメントを取り付けたんでございます。

もちろん、勇者アレスには内緒で。

「ちいとばかし、魔王の野郎に、一言文句を言ってくる」

とだけ言い残し、八っつぁんは一人、魔物が住まうという北の暗黒大陸、魔王城へと向かいました。


魔王城は、黒い岩を切り出して作られた、禍々しい城でございます。

空には常に暗雲が立ち込め、不気味な雷が鳴り響いている。

城の門では、骸骨の兵士が槍を構えておりましたが、八っつぁんがオークの親分からの紹介状を見せると、すんなりと通してくれました。


玉座の間。

そこには、巨大な椅子に、いかめしい姿の魔王ザルゴスが鎮座しておりました。

山羊のようなねじくれた角、燃えるような赤い目、鋭い牙。

まさに、悪の化身。


魔王ザルゴス:「……ほう。貴様が、最近、我が配下の者たちを誑かしているという人間か。八五郎とか言ったな。何の用だ。命乞いに来たか?」


地響きのような、威厳のある声。

普通なら、腰を抜かして動けなくなるところでございます。

しかし、我らが八っつぁん。


八っつぁん:「よぉ、魔王の旦那! いやぁ、噂には聞いていたが、とんでもねぇ威厳だな! さすがは魔王様だ! 俺ぁ、すっかり感心しちまったよ!」


そう言うと、八っつぁん、懐から一升瓶を取り出しました。

これは、ドワーフの友達に特別に作ってもらった、岩をも溶かすという、アルコール度数96度の代物でございます。


八っつぁん:「てなわけで、だ。旦那のその器のデカさに免じて、一杯おごらせちゃあくれねぇか? こいつは、ドワーフの奴らが命がけで作った秘蔵の酒だ。これを飲んで、ひとつ、ゆっくり話でもしようじゃねぇか」


魔王ザルゴス、あまりに不遜な八っつぁんの態度に、一瞬、言葉を失いました。

しかし、その目には、怒りよりも、好奇の色が浮かんでおります。


魔王ザルゴス:「……ふ、ふはははは! 面白い! 実に面白い人間よ! 我に酒を勧めるとは、一万年ぶりだ! よかろう、その酒、受けて立とうではないか!」


こうして、信じられないことに、魔王の玉座の間で、八っつぁんと魔王の差し向かいの酒盛りが始まったんでございます。

最初は警戒していた魔王も、ドワーフの秘酒の力か、八っつぁんのチート能力の力か、次第に打ち解けて、身の上話を始めました。


魔王ザルゴス:「……我もな、好きで魔王をやっているわけではないのだ。先代の父が偉大すぎた。その跡を継がねばならぬという、プレッシャーが……。本当は、城の裏手で、ひっそりと花でも育てて暮らしたいのじゃ……。ダークローズという、美しい黒い薔薇があってな……」

八っつぁん:「へぇ、花ねぇ。そいつは、風流でいいじゃねぇか。旦那の育てた花なら、さぞかし綺麗だろうな」


話を聞けば、魔王も勇者も、抱えている悩みは同じようなもんでした。

世襲の重圧、周囲の期待、本当の自分とのギャップ。

八っつぁん、ポンと膝を打ちました。


八っつぁん:「よし、分かった! 旦那、今度、勇者の野郎と会ってみねぇか? あいつも、悪いやつじゃねぇんだ。話せばきっと、分かり合えるぜ」

魔王ザルゴス:「なに、勇者と? 馬鹿を申せ。我と勇者は、相容れぬ宿敵ぞ」

八っつぁん:「まあ、そう言わずに。一杯飲みながら話せば、案外うまくいくかもしれねぇぜ? あいつも、本当はパン屋になりてぇ、なんて言ってたぜ」

魔王ザルゴス:「……なに? パン屋だと……? ふははは! それは面白い! よかろう、八五郎! お主の顔に免じて、一度だけ会ってやろう!」


◆◇◆


話はとんとん拍子に進みまして、ついに、勇者と魔王の頂上会談が、中立地帯の古城で開かれることになりました。

もちろん、仲介役は、我らが八っつぁんでございます。


最初は、互いに鎧やローブで身を固め、緊張した面持ちで睨み合っていた勇者アレスと魔王ザルゴス。

しかし、八っつぁんが間に入り、例のドワーフの秘酒を酌み交わすうちに、だんだんと雰囲気が和らいでまいります。


勇者アレス:「……魔王よ、貴様が花を……?」

魔王ザルゴス:「……うむ。勇者よ、お主がパンを……?」


互いの意外な夢を知り、なんだか親近感が湧いてきた様子。

酒が進むにつれて、話はさらに弾みます。


勇者アレス:「実は、私の聖剣、最近、鞘との相性が悪くて、抜くたびにギギギと嫌な音が……」

魔王ザルゴス:「おお、分かるぞ、勇者よ! 我が魔剣も、最近、柄の部分の宝玉が曇ってきてな。磨いても磨いても、輝きが戻らんのだ……」

ミランダ:「(なんて低レベルな会話ですの……)」

セリア:「(でも、なんだか、楽しそう……)」


やがて、二人は肩を組み、高らかに歌い始めました。

すっかり意気投合したようでございます。


勇者アレス:「魔王よ! 我らは、今まで何と愚かな戦いをしていたのだ!」

魔王ザルゴス:「うむ、勇者よ! 戦など、もうやめじゃ! これからは、手を取り合って、平和な世界を築こうではないか!」


固い、固い握手を交わす二人。

それを見ていた八っつぁん、満足げに頷きながら、最後の一杯をくいっと飲み干しました。


八っつぁん:「へっへっへ……。いやぁ、よかった、よかった。これで一件落着だ。俺の能力も、なかなか大したもんだな。世界を救っちまったぜ。……さて、と」


八っつぁん、すっくと立ち上がると、パンパンと手を叩きました。


八っつぁん:「よーし、旦那方! 宴もたけなわだが、そろそろお開きだ! で、肝心の……お会計は、どっちが持つんだい?」


その一言に、さっきまで肩を組んで笑い合っていた勇者と魔王の顔が、ピタリと固まりました。

そして、ゆっくりと顔を見合わせると、示し合わせたように、ビシッ!と八五郎を指さしました。


勇者・魔王:「「お前だよ!!」」

八っつぁん:「へっ!? なんで俺がおごる流れになってんだい!?」

勇者アレス:「何を言うか、八五郎! この会談をセッティングしたのは、お主であろう!」

魔王ザルゴス:「そうだそうだ! 仲介役が払うのが、筋というものじゃ!」

八っつぁん:「そんな無茶な! 俺ぁ、ただ酒が飲める能力のはずじゃ……あれ? そういや、おごってもらえるとは言ったが、俺がおごらねぇとは一言も……あちゃー、やっちまった!」


見れば、テーブルの上には、空になった高級酒の瓶がゴロゴロと転がっている。

請求書の額は、天文学的な数字になっておりました。


八っつぁん、真っ青になって、天を仰ぎました。

世界は救ったけれど、自分の懐は救えそうにない。


えー、お後がよろしいようで。

世界平和の立役者は、その後、魔王城と王国で、一生かかっても返せないほどの借金を背負い、皿洗いとして働くことになったとか、ならなかったとか。

本日のところは、これにて一席。

どうも、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ