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3.伝説の水獣を捕まえた魚屋

ヘイ、いらっしゃい。

えー、またのお運び、誠にありがとうございます。

同じ顔ぶれが揃いますと、こちらも、やりやすいようで、やりずれえようで。

まあ、噺家なんてものは、お客様の顔色を伺いながら、その日その日で、出す噺を変えていくもんでございます。

しかし、どうやら、皆様、あっしの異世界噺を、いたく気に入ってくださったようで。

調子に乗りまして、今宵も一席、お付き合いを願おうかと思います。

前回は、ぐうたらな大工の八兵衛が、異世界でその腕を振るう、というお噺でございましたが、江戸には、職人が、星の数ほどおります。

それぞれに、譲れない意地と、誇りを持っている。

もし、そんな連中が、ひょんなことから、剣と魔法の世界に迷い込んだとしたら、一体、どうなっちまうのか。

考えただけで、なんだか、おかしくなってまいります。

今回、ご紹介しますのは、日本橋は魚河岸で、威勢の良さでは誰にも負けない、一人の魚屋の物語でございます。


◆◇◆


日本橋の魚市場、威勢のいい掛け声が、朝の空気を震わせております。

その中に、ひときわ甲高い声で、客を呼び込んでいる男がおりました。

名を、吉兵衛。

日に焼けた顔に、ねじり鉢巻き、ぴんと張った背中には、屋号の「魚辰」が染め抜かれている。

「へい、らっしゃい!今日のカツオは上物だぜ!脂の乗りが、昨日とは違うんだから!」

吉兵衛の自慢は、己の目利き。

どんな魚でも、一目見れば、その鮮度、味の良し悪しを、ぴたりと当てることができる。

その日も、夜明け前から、市場を駆けずり回っておりました。

と、その時、吉兵衛の目に、ある一匹の魚が留まったんでございます。

それは、一本釣りの、見事な初ガツオ。

銀色に輝く肌、張り切った体。

まるで、海の魂が、そのまま形になったような、惚れ惚れするような魚でございます。


吉兵衛:「なんだ、こいつは……。こんな上物は、この十年、お目にかかったことがねえ」


血が騒ぎました。

こいつは、何としても、手に入れなければならない。

競りが始まると、吉兵衛は、矢継ぎ早に、声を張り上げました。

周りの仲買人も、そのカツオの良さには気づいておりますから、競りは、どんどん、白熱していく。

しかし、吉兵衛は、一歩も引かない。

懐具合も考えず、最後には、店の売り上げ、一月分に相当するような、とんでもない値を付けて、見事、そのカツオを競り落としたんでございます。

周りからは、呆れる声も聞こえましたが、吉兵衛は、得意満面。


吉兵衛:「へへん、どうでぇ。江戸っ子の意地ってやつよ」


大事に、大事に、そのカツオを担いで、店に戻ろうとした、その時でございます。

吉兵衛の肩の上で、そのカツオが、ぴくん、と、大きく跳ねた。

かと思うと、するりと、吉兵衛の手をすり抜けて、地面に落ち、そのまま、ぴちぴちと、跳ねながら、逃げ出したじゃありませんか。


吉兵衛:「あっ、こんの、馬鹿野郎!どこへ行くんだ!」


慌てて、後を追いかける吉兵衛。

カツオは、まるで、生きているかのように、市場の雑踏を、器用にすり抜けていく。

吉兵衛も、必死でございます。

なにせ、一月分の稼ぎが、ぴちぴちと、目の前を逃げていくんでございますから。

カツオは、市場を飛び出すと、日本橋の、入り組んだ路地裏へと、逃げ込んでいきました。


「待て、こら!」

「止まれってんだ!」


そんな吉兵衛の叫びも、どこ吹く風。

夢中で追いかけているうちに、吉兵衛は、自分がどこにいるのか、さっぱり分からなくなってしまいました。

そして、とある酒屋の裏手、うず高く積まれた、空の酒樽の山に、カツオが、ひょいと、飛び込んだ。

吉兵衛も、後先考えず、その樽の山に、頭から、突っ込んでいったんでございます。

ゴン、と、鈍い音がして、吉兵衛の意識は、そこで、ぷっつりと、途絶えてしまいました。


◆◇◆


どれくらいの時間が、経ったでありましょうか。

ふと、気がつくと、吉兵衛は、乾いた地面の上に、大の字になって、寝ておりました。


吉兵衛:「いてて……。なんだってんでぇ。あの、魚はどこへ行った」


体を起こして、あたりを見回した吉兵衛は、あっけに取られて、口を開けたまま、固まってしまいました。

さっきまでいたはずの、江戸の町並みは、どこにもない。

あるのは、見渡す限りの、赤茶けた荒野。

空は、どんよりと黄色く濁り、乾いた風が、砂埃を巻き上げております。


吉兵衛:「なんだ、こりゃあ。夢でも見てるのか」


自分の頬を、思いっきり、つねってみる。

痛い。

どうやら、夢じゃ、なさそうでございます。

肝心のカツオは、影も形もありません。

途方に暮れた吉兵衛は、とにかく、人のいる場所を探そうと、あてどなく、歩き始めました。

半日ほど歩いたでしょうか。

ようやく、遠くに、土壁で囲まれた、小さな町が見えてまいりました。

町の入り口には、いかつい鎧を着た、門番のような男が立っておりましたが、吉兵衛の、奇妙な身なりを見ても、特に、咎める様子もない。

どうやら、言葉も、通じているようでございます。

町の中は、活気がありましたが、どうも、江戸の賑わいとは、何かが違う。

人々は、皆、くすんだ色の服を着て、表情も、どことなく、暗い。

吉兵衛は、腹が減っておりましたので、一軒の、酒場のような店に入ってみました。


店主:「へい、いらっしゃい。旅の方かい」。

吉兵衛:「おう。腹が減って、死にそうだ。何か、美味いもんを、食わせてくれ」

店主:「へへ、威勢のいいお客さんだ。うちは、この辺りじゃ、一番の料理を出すって評判でさ。自慢の、丸焼きだ。食ってきな」


そう言って、どんと、出されたのが、何かの獣の、毛もそのままの、足の丸焼き。

お世辞にも、美味そうとは言えません。

吉兵衛は、眉をひそめました。


吉兵衛:「おい、親父。なんだ、こりゃあ。もっと、こう、さっぱりしたもんはねえのか。魚とかよ」

店主:「さかな?なんだい、そりゃあ。食い物かい」

吉兵衛:「なんだと?てめえ、魚を知らねえのか。海で泳いでる、あれだよ」

店主:「うみ?ああ、古文書で読んだことがあるな。塩辛い水が、果てしなく広がってる場所だろ。そんなもん、この大陸には、存在しねえよ。俺たちゃ、生まれてこの方、そんなもんは、見たこともねえ」


吉兵衛は、愕然としました。

この世界には、海がない。

ということは、魚が、いない。


吉兵衛:「馬鹿なことがあるか。じゃあ、てめえらは、いつも、こんな、硬え肉ばかり、食ってやがるのか」

店主:「うるせえな、客。文句があるなら、食わなくていいぜ」


吉兵衛の、江戸っ子としての、魚屋としての誇りが、頭のてっぺんまで、突き上げてきました。


吉兵衛:「冗談じゃねえや!てめえらに、本当の食い物の味を、教えてやる!魚ってのはな、ただ、焼くだけじゃねえんだ!薄く切って、生のまま食う、刺身ってのがあってな!それから、酢で締めた飯の上に、ちょいと乗せて食う、寿司ってのが、こりゃまた、絶品でな!ああ、それに、煮付けに、塩焼き、天ぷら!考えただけで、よだれが、止まらねえや!」


吉兵衛が、身振り手振りを交えて、熱弁を振るっておりますと、酒場にいた客たちが、なんだなんだと、集まってまいりました。

誰も、魚というものを、知りませんから、吉兵衛の話が、まるで、おとぎ話のように聞こえる。

その噂は、あっという間に、町中に広まり、ついには、この土地を治める、領主の耳にまで、入ったんでございます。


◆◇◆


その日の夕方、吉兵衛が、宿屋で、不味いパンをかじっておりますと、鎧姿の騎士たちが、どやどやと、入ってきました。


騎士:「貴様が、キチベエか。領主様が、お呼びである。我らに、ついてまいれ」


有無を言わさず、吉兵衛は、立派な城へと、連れて行かれました。

謁見の間には、大勢の家臣たちが、並んでおります。

そして、玉座には、まるで、人形のように、美しい、しかし、顔色の悪い、若い姫様が、座っておりました。


姫:「あなたが、キチベエですね。あなたの噂は、聞きました。魚という、奇跡の食べ物のことを、知っているとか」

吉兵衛:「おうよ。知ってるも何も、あっしは、江戸で一番の魚屋でぇ」

姫:「私は、生まれつき、体が弱く、近頃は、すっかり、食欲もありません。どんな、ご馳走も、喉を通りません。もし、あなたが、その、魚というものを、私に食べさせてくれるなら、望むだけの褒美を、差し上げます」


望むだけの褒美。

その言葉に、吉兵衛の目が、きらりと光りました。


吉兵衛:「へへ、姫様。お任せください。この、吉兵衛が、世界で一番の魚を、ご馳走してご覧にいれますぜ」


しかし、問題は、どうやって、魚を手に入れるか。

この世界には、海がないんでございます。

吉兵衛が、家臣たちに尋ねますと、一つだけ、心当たりがある、という。

この国の、北の果て、魔物が住まうという、「嘆きの森」の、その奥に、巨大な湖がある。

その湖には、古より、巨大な「水獣」が住み着いている、という言い伝えがあるそうでございます。


吉兵衛:「すいじゅう?そいつは、魚なのか」

家臣:「さあ。誰も、その姿を、はっきりと見たものはいませんので」

吉兵衛:「よし、決めた。その、みずけものだか、なんだか知らねえが、そいつを、獲りに行くぞ」


こうして、吉兵衛は、姫様が用意してくれた、屈強な騎士たちを引き連れて、嘆きの森へと、向かうことになりました。


◆◇◆


森の中は、昼なお暗く、不気味な魔物たちが、次々と、襲いかかってきます。

しかし、腕利きの騎士たちにかかれば、それも、敵ではございません。

数日後、一行は、ついに、森の奥にある、巨大な湖に、たどり着きました。

湖は、まるで、鏡のように、静まり返っております。

騎士の一人が、言いました。


騎士:「キチベエ殿。本当に、このような場所に、水獣がいるのでしょうか」

吉兵衛:「静かにしろい。魚ってのはな、物音に、敏感なんだ」


吉兵衛は、騎士たちを下がらせると、一人、湖のほとりに立って、じっと、水面を睨みつけました。

魚屋の勘が、告げております。

この水面の下に、とんでもない大物が、潜んでいる、と。

一時間、二時間。

吉兵衛は、身じろぎもせず、湖を見つめ続けました。

騎士たちが、痺れを切らし始めた、その時でございます。

ざばあ、と、大きな水音を立てて、湖の中から、巨大な影が、姿を現しました。

それは、長い首に、小さな頭、恐竜のような、巨大な体。

まさしく、伝説の、水獣でございます。

騎士たちは、色めき立ち、一斉に、剣を抜きました。


騎士:「で、出たぞ!総員、戦闘準備!」


しかし、吉兵衛は、大声で、それを、制しました。


吉兵衛:「待てい、てめえら!馬鹿野郎!そんな、鉄の棒を振り回して、魚の味が、落ちるだろうが!」


吉兵衛は、水獣の、その巨体を、まるで、市場でマグロを品定めするかのように、鋭い目つきで、観察しております。

(なるほど。こいつ、動きは鈍いが、一発の力は、とんでもねえな。下手に近づけば、あの尻尾の一振りで、お陀仏だ。だが、あの、エラの動き。間違いない。こいつは、魚だ)

吉兵衛は、騎士たちに、命じました。


吉兵衛:「おい、てめえら!今すぐ、森のツタを、ありったけ、集めてこい!そいつで、でっけえ、網を編むんだ!それから、そこの岩山を崩して、重りをつけろ!」


騎士たちは、戸惑いましたが、吉兵衛の、あまりの気迫に、押されて、その指示に、従いました。

半日かけて、巨大な、投網が、完成いたしました。


吉兵衛:「よし!そいつを、湖に、投げ込むんだ!いいか、タイミングは、俺が教える!」


吉兵衛は、水獣の動きを、じっと、見極めております。

そして、水獣が、大きく口を開けて、あくびをした、その瞬間。


吉兵衛:「今だ!投げ込め!」

騎士たちが、渾身の力で、網を投げ込む。

巨大な網は、見事、水獣の頭から、すっぽりと、覆いかぶさりました。

水獣は、驚いて、暴れ狂いますが、網には、岩の重りが、いくつも、付いている。

動けば動くほど、網は、体に、食い込んでいく。

やがて、力の尽きた水獣は、ぐったりと、湖面に、体を横たえました。

騎士たちは、信じられないものを見る目で、吉兵衛を見ております。


騎士:「す、すごい……。あの、伝説の水獣を、傷一つつけずに、捕らえてしまうとは……」

吉兵衛:「へへん、当たり前でぇ。魚ってのはな、力任せに獲るもんじゃねえ。知恵と、技で、獲るもんなんだよ。さあ、てめえら、手伝え!こいつを、城まで、運ぶぞ!」


こうして、一行は、見事、水獣を、生け捕りにして、城へと、凱旋したのでございます。


◆◇◆


城下町は、お祭り騒ぎ。

城の料理人たちは、巨大な水獣を前に、どうしていいか、分からず、おろおろするばかり。

吉兵衛は、そんな連中を、一喝しました。


吉兵衛:「どけ、どけ!素人は、引っ込んでろ!」


吉兵衛は、騎士の、きらきらに磨かれた剣を、ひょいと、借りると、それを、包丁代わりに、見事な手つきで、水獣を、解体し始めたんでございます。

その様は、まるで、舞を舞うがごとし。

無駄のない動きで、巨大な水獣が、あっという間に、切り身になっていく。

吉兵衛は、その一番、美味そうな部分を使って、刺身と、寿司を、こしらえました。

醤油の代わりに、豆を発酵させた、黒い液体。

ワサビの代わりに、鼻にツンとくる、辛い根っこを、すりおろす。

出来上がった料理が、姫様の前に、差し出されました。

姫は、おそるおそる、その、刺身を、一切れ、口に運びました。

その瞬間、姫の目に、みるみる、生気が、蘇ってきたんでございます。


姫:「お、美味しい……。なんという、美味しさでしょう。こんな、食べ物は、生まれて、初めてです」


姫は、夢中で、刺身と寿司を、平らげてしまいました。

頬は、バラ色に染まり、その顔には、満面の笑みが、浮かんでおります。

王様をはじめ、家臣たちは、涙を流して、喜びました。

姫は、玉座から立ち上がると、吉兵衛の前に、進み出て、その手を、固く、握りました。


姫:「ありがとう、キチベエ。あなたは、私の、そして、この国の、命の恩人です。さあ、約束通り、なんでも、望むものを、言いなさい。国の半分でも、宝石でも。それとも……私を、あなたの、お嫁さんにしてくれますか」


家臣たちが、固唾を飲んで、見守っております。

国の、英雄が、誕生する、その瞬間。

しかし、吉兵衛は、姫様には、目もくれません。

彼は、自分が作った、刺身の皿を、じっと、見つめておりました。

そして、一切れ、つまみ上げると、例の、黒い液体に、ちょいと、つけて、自分の口に、放り込んだ。

ゆっくりと、味わうように、咀嚼する。

そして、次の瞬間、吉兵衛は、それを、べっ、と、床に、吐き出したんでございます。

城の、全員が、凍りつきました。

吉兵衛は、床を、睨みつけながら、江戸一番の、大声で、こう、叫んだんでございます。


吉兵衛:「なんだ、この魚は!脂が、これっぽっちも、乗ってねえじゃねえか!こんな、ぱさぱさしたもん、魚のうちに、入るか!こちとら、日本橋の魚河岸で、舌を鍛えてんだ!もっとこう、きりっと冷えてて、醤油を、弾き返すくれえの、極上の脂が乗っててよ!口に入れたら、とろりと、とろけるような、大間のマグロじゃなきゃ、話にならねえんでぇ!ああ、ちくしょう!江戸に、帰りてえ!」

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