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2.大工の異世界転生

ヘイ、いらっしゃい。

えー、皆様、お暑い中をようこそお運びいただきまして、厚く御礼申し上げます。

こう毎日、うだるような日が続きますと、どうにも頭がぼうっとして、あらぬことばかり考えてしまうもんでございます。

先日も、あっしが家でごろごろしておりますと、うちの倅がなにやら分厚い本を読んでおりましてね。

「おい、何を読んでるんだ」と聞きますと、「親父、これはライトノベルだよ。異世界転生もの」なんて言うじゃありませんか。

いせかい、てんせい。

なんのこっちゃ分かりませんで、詳しく聞いてみますと、なんでも、今の世でぱっとしない人間が、ある日突然、剣と魔法の世界なんぞに飛ばされちまって、そこで大活躍する、てな物語なんだそうで。

昔はそんな話、ありませんでしたな。

せいぜい、浦島太郎が竜宮城に行くくらいのもんで。

あれだって、帰ってきたらおじいさんになっちまうんですから、あんまり割に合う話じゃございません。

それが今じゃ、チートだのスキルだの、なんだかよく分からない力をもらって、竜だの魔王だの、とんでもない化け物をばったばったとやっつける。

挙句の果てには、お姫様と結ばれて、一国一城の主になるなんて話が、飛ぶように売れてるってんですから、世の中も変わったもんでございます。

まあ、分からなくもない。

誰だって、今の暮らしに何かしらの不満はあるもんで。

ああだったらいいのにな、こうなれたらいいのにな、なんて夢想する。

それが、畳の上で寝っ転がったまま、本一冊で叶うんですから、こりゃあ、いい商売でございますな。

そんなことを考えておりましたら、ふと、こんな噺が思い出されました。

こいつも、ある一人の職人が、ひょんなことから異世界へ迷い込んでしまうという、まあ、いわば「大工の異世界転生」。

最後までお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。


◇◆◇


江戸は八丁堀に、八兵衛、通称「ぐうたら八」なんて呼ばれている大工の見習いがおりました。

腕はいいんですが、どうにもこうにも面倒くさがりで、仕事の合間を見つけては、どこぞで昼寝をしているような男。

その日も、親方の言いつけで、深川の材木問屋までお使いに行ったはいいんですが、帰り道、どうにもこうにも足が重い。

折からの陽気で、ついつい、川べりの大きな柳の木の下で、ごろんと横になってしまった。


「いけねえ、いけねえ。ちっとばかし、体を休めるだけだ」


そんなことをつぶやきながら、八兵衛はあっという間に、いびきをかき始めたんでございます。

ふと、気がつくと、あたりが妙に暗い。


「おっと、いけねえ。こりゃあ、寝過ごしちまったか。親方にどやされる」


慌てて飛び起きた八兵衛ですが、どうも様子がおかしい。

さっきまでいたはずの川べりじゃない。

見渡す限り、鬱蒼とした森の中。

空を見上げれば、見たこともないような、紫色の月と、真っ赤な月が二つ、煌々と輝いている。


八兵衛:「なんだってんでぇ、こりゃあ。俺はたしかに、深川の川っぷちで寝てたはずだ。狐か狸にでも化かされたか」。


あたりを見回しますが、人の気配はまるでない。

聞こえるのは、風の音と、気味の悪い獣の鳴き声ばかり。

道なき道をとぼとぼと歩いていると、不意に、茂みの中から人の声が聞こえてまいりました。


「おお、助かった。これで道を聞ける」


声のする方へ近づいてみますと、これまた奇妙な格好をした三人組が、何やら言い争いをしておりました。

一人は、耳がやけに長くて、いかにも気取った顔立ちの男。

一人は、背が低くて、ずんぐりむっくり。顔中が髭だらけの男。

そしてもう一人が、これまた見たこともないような、真っ白な衣をまとった、うっとりするような別嬪さんでございます。

八兵衛は、思わず声をかけました。


八兵衛:「あのう、もし。ちっと、お尋ねしてえんですが」。


すると三人組は、ぎょっとした顔で八兵衛を見ました。

長い耳の男が、何か早口でまくしたてますが、何を言っているのか、さっぱり分からない。

まるで、鳥のさえずりのような言葉でございます。

髭だらけの男も、腹の底から響くような低い声で何かを言いますが、これもまた、分かりゃしない。

困ったな、と思っておりますと、その別嬪さんが、すっと前に進み出て、八兵衛の前に手を差し出しました。

彼女が、鈴を転がすような、美しい声で何かを唱えると、その手のひらから、ふわりと、温かい光が放たれました。

その光が、八兵衛の体をすっぽりと包み込んだかと思うと、不思議なことに、さっきまで鳥のさえずりにしか聞こえなかった男の言葉が、すらすらと頭に入ってくるじゃありませんか。


エルフ:「なんだ、お前は。このような森の奥で、一人で何をしている。その奇妙な髪型、そのみすぼらしい衣はなんだ」。

ドワーフ:「おい、リリア。こいつ、もしかして、魔王軍の斥候じゃないのか。だとしたら、ここで叩き斬ってくれるわ」。

リリア:「お待ちください、ガルド。それに、エルウィンも。この方からは、邪悪な気配は感じられません。それどころか、とても清浄な魂の持ち主です」。

八兵衛:「あのう、まおうぐん?だか、なんだか知らねえが、人違いじゃねえのか。あっしは、八丁堀の大工の八兵衛ってもんでぇ。ちいと、道に迷っちまってね。江戸へ帰る道を教えてもらいてえんだが」。


三人は、顔を見合わせました。


エルフ:「えど?なんだそれは。国の名前か?聞いたことがないな」。

ドワーフ:「ハッ、どうせ、ゴブリンかオークの集落の名前だろうよ」。

リリア:「いいえ。この方の言葉には嘘はありません。ですが、この方の魂は、この世界、アースガルドの理から外れています。まさか……」。


別嬪さん、リリアの顔が、驚きに見開かれました。


リリア:「あなたは、異世界から来られた方ではありませんか」。

八兵衛:「いせかい?なんだそりゃあ。あっしは、江戸っ子でぃ」。

リリア:「古の預言にあります。世界が魔王の闇に覆われる時、天より勇者が遣わされん、と。その勇者は、我らとは異なる世界の理を持ち、聖なる力をその身に宿す、と」。

エルフ:「まさか、こいつが?この、間抜け面が、預言の勇者だと?冗談だろう」。

ドワーフ:「おい、勇者様とやら。お前さん、何か戦う力を持っているのか。剣は使えるか、魔法は使えるか」。

八兵衛:「けんだの、まほうだの、そんなもん使えるわけがねえだろう。あっしは、しがない大工でぇ。使えるもんは、これくらいのもんだ」。


そう言って八兵衛が、腰に差した道具袋から取り出しましたのが、使い古した、玄能と、鑿と、鉋でございます。

エルフは、心底呆れたという顔で、大きなため息をつきました。


エルフ:「なんだ、それは。鉄の塊と、ただの刃物ではないか。そんなもので、魔物と戦えるはずがない」。

ドワーフ:「ふん、やはり、ただの間抜けか。時間の無駄だったな」。


しかし、リリアだけは、真剣な眼差しで八兵衛を見つめておりました。


リリア:「いいえ。預言は絶対です。この方こそが、我らを救う勇者様に違いありません。その道具にも、きっと、我々の知らない聖なる力が宿っているはずです」。

八兵衛:「いや、だから、こいつはただの…」。

リリア:「勇者様。どうか、我らと共に、魔王を討伐する旅にお力をお貸しください。魔王を倒せば、きっと、元の世界にお帰りになる方法も見つかるはずです」。


元の世界に帰れる。

その一言に、八兵衛の心はぐらりと揺らぎました。

それに、目の前にはこんな別嬪さんが、涙ながらに訴えている。

江戸っ子たるもの、ここで断るのは、野暮ってえもんでございます。


八兵衛:「分かったよ。そこまで言うなら、付き合ってやらあ。ただし、あっしは、難しいことは分からねえからな。そこんとこ、よろしく頼むぜ」。


こうして、大工の八兵衛の、奇妙な異世界道中が始まったんでございます。


◇◆◇


一行は、魔王の居城へ向かうため、まずは「嘆きの谷」と呼ばれる険しい谷を越えなければなりませんでした。

谷の底には、一筋の細い吊り橋がかかっているだけ。

その橋のたもとに、一体の巨大な化け物が、でんと構えておりました。

全身が岩でできた、ゴーレムと呼ばれる魔物でございます。

エルウィンが、自慢の弓を構え、矢を放ちました。

矢は、ゴーレムの眉間に見事命中しましたが、カキン、と甲高い音を立てて、弾かれてしまう。

ドワーフのガルドが、雄叫びを上げて、巨大な戦斧を振り下ろしましたが、これもまた、岩の体に傷一つつけることができません。


ガルド:「くそっ、なんて硬い奴だ」。

リリア:「私の聖なる光も、あの岩の体では、内部まで届きません」。


三人とも、すっかりお手上げでございます。

そこで、三人の視線が、一斉に八兵衛に集まりました。


エルフ:「おい、勇者。お前の出番だ。その聖なる道具とやらで、なんとかしろ」。

八兵衛:「な、なんとかしろって言われてもなあ」。

八兵衛は、巨大なゴーレムを、下から上まで、じろじろと眺めました。


身の丈は、二丈、いや、三丈はあろうかという、とんでもない大きさ。

それが、一歩、また一歩と、地響きを立てて、こちらに近づいてくる。

八兵衛の頭の中は、もう、パニックでございます。

(どうすんだ、どうすんだ。あんなもんと戦えるわけがねえ。潰されちまう。ああ、江戸に帰って、親方の打つうどんが食いてえなあ)。

その時でございます。

八兵衛の目に、ふと、ゴーレムの足の関節が留まりました。

岩と岩とが組み合わさっている部分。

そこに、楔のような形をした、色の違う石が打ち込まれているのが見えたんでございます。

(ん?あれは…)。

大工の血が、騒ぎました。


八兵衛:「おい、ねえさん。ちいと、あいつの足元を、明るく照らしてくれや」。

リリア:「え?は、はい」。


リリアが杖をかざすと、ゴーレムの足元が、まばゆい光に照らされました。

八兵衛は、その光の中を、ひょいひょいと、ゴーレムの懐に飛び込んでいく。


エルフ:「おい、馬鹿、何をする。自殺行為だ」。


八兵衛は、そんな声は聞こえないとばかりに、ゴーレムの足元にぴたりと張り付くと、腰の道具袋から、すっと、一本の鑿を取り出しました。

そして、例の楔石の隙間に、鑿の刃を当てがうと、今度は、懐から取り出した玄能で、その柄頭を、カン、と一つ、小気味よく叩いたんでございます。

普通なら、びくともしないはずの楔石。

しかし、八兵衛の、長年の経験で培われた、寸分の狂いもない一撃は、見事に、楔石の芯を捉えておりました。

ピシリ、と、楔石に、一本の亀裂が走る。

八兵衛は、にやりと笑うと、今度は、角度を少し変えて、もう一撃。

カン。

さらに亀裂が広がる。

カン、カン、カン。

まるで、木材に墨付けをするような、リズミカルな音。

そして、五度目の玄能が、鑿を叩いた、その瞬間でございます。

パリン、と、甲高い音を立てて、楔石が、真っ二つに砕け散りました。

すると、どうでしょう。

巨大なゴーレムの足が、がくり、と、バランスを崩した。

八兵衛は、すかさず、もう片方の足の楔石にも、同じように鑿を打ち込んでいく。

ものの数分で、両足の楔を失ったゴーレムは、もはや、立っていることもできません。

ガラガラと、大きな音を立てて、その場に崩れ落ちてしまいました。

ただの岩の山に戻ってしまったんでございます。

エルフも、ドワーフも、リリアも、あんぐりと口を開けて、その光景を見ておりました。


エルフ:「な……なんだ、今の技は。あんな戦い方、見たことも聞いたこともない」。

ドワーフ:「うおお……。あれが、勇者の聖なる力か。岩の体の、継ぎ目を見抜き、最小の力で、構造そのものを破壊するとは……。恐るべき戦いだ」。

リリア:「素晴らしいですわ、勇者様。あれが、あなたの世界の理なのですね」。


八兵衛は、玄能を肩に担いで、けろりとした顔で言いました。


八兵衛:「おうよ。どんなもんだい。まあ、あんな雑な仕事じゃ、こうなるのも当たり前でぇ。継ぎ手の仕口が、甘すぎるんだよ。あれじゃあ、地震が来たら一発で倒れちまうぜ。江戸の職人を、なめちゃいけねえ」。


こうして、一行は、難なく嘆きの谷を越えることができました。

この後も、八兵衛の活躍は続きます。

森の奥では、巨大な食人植物に襲われれば、その根っこを鉋で綺麗に削ってしまい、養分を吸えなくして枯らしてしまう。

魔王軍の砦の、分厚い城門も、蝶番の構造を見抜いて、あっという間に分解してしまう。

剣も魔法も使えない、しがない大工の八兵衛が、その知恵と、職人としての腕一本で、次々と、魔王軍の刺客を退けていったんでございます。

噂は、あっという間に、王都まで届きました。


一行が、王都に凱旋すると、民衆は、熱狂して、勇者八兵衛の名を呼びました。

王様も、八兵衛を城に招くと、その手を固く握って、言いました。


王:「おお、勇者ハチベエよ。よくぞ、参ってくれた。そなたの噂は、かねがね聞いておる。まさしく、預言の勇者。どうか、この国を、魔王の呪縛から救ってくれ。もし、魔王を討ち滅ぼした暁には、そなたの望むものは、なんでも与えよう。国の半分でも、我が娘、リリア姫でも、好きなものを持っていくがよい」。


八兵衛の隣で、リリア姫が、ぽっと、頬を赤らめました。

国の半分。

そして、この別嬪な姫様。

普通の男なら、ここで、有頂天になって、奮い立つところでございましょう。

しかし、八兵衛は、どうも、浮かない顔。

腕を組んで、うーん、うーんと、唸っております。

王様が、不思議に思って、尋ねました。


王:「どうした、勇者よ。何やら、不満でもあるのか」。

八兵衛:「いや、王様。そういうわけじゃ、ねえんですがね」。


八兵衛は、ポリポリと、頭をかきながら、窓の外に目をやりました。

その視線の先には、遥か彼方、不気味な暗雲に覆われた、魔王の城がそびえ立っております。

王様は、満足げに頷きました。


王:「そうか。勇者よ。そなたは、褒美よりも、一刻も早く、魔王を討ち取りたいのだな。その心意気、見事である」。


すると、八兵衛は、いやいや、と手を振って、こう言ったんでございます。


八兵衛:「いえね、王様。あっしは、あの魔王の城の、天守閣の破風を見てるんでさ。あの唐破風の反り具合、どうにもこうにも、気に入らねえ。素人の仕事だ。それに、あの懸魚の彫り物も、なってねえ。あれじゃあ、雨仕舞いが悪くて、すぐに、垂木が腐っちまう。魔王をどうこう言う前に、まず、あそこの大工仕事から、やり直させちゃもらえやせんかねえ。職人として、どうにも、あの仕事が、気になって気になって、夜も眠れねえんでさあ」。

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