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第二十二話:迫りくる影と隠された真実

王室図書館の奥深く、埃っぽい古書の匂いが充満する一室で、私の研究の日々は続いた。夜通し続く読書と解析、そして時には危険な理論実験。机には、黒曜石の祭壇の破片から採取した微量の魔力サンプルが入ったフラスコが並び、その傍らには、古の言葉で綴られた**『星辰の理』**の書物が広げられている。

「ぐぅ……」

私の胃の音が、静寂を破った。もう何時間も食事を摂っていない。ぼさぼさになった髪を掻き上げ、目を擦る。資料の山と睨めっこする日々が続き、さすがの私も疲労困憊だった。

(はぁ……この国の錬金術の記録って、なんでこんなに曖昧なんだろう。特に**『月の涙』**に関する記述は、ほとんどが詩的な表現か、あるいは宗教的な解釈ばかりで、肝心な魔力の構成や、性質に関する明確な記述がない……)

私が求めているのは、理屈と根拠に基づいた「真実」だった。宰相がなぜ「月の涙」を歪められたのか、そして「大いなる厄災様」がなぜあれほど強大だったのか。その根本的な原因を突き止めなければ、国王陛下が仰る「魔力の乱れ」を止めることも、再び起こりうる脅威に対抗することもできない。

その時、コンコン、と控えめなノックの音がした。

「リゼット、いるか?」

扉の向こうから聞こえてきたのは、アレクシス様の声だった。

「はいっ!今開けます!」

慌てて散らばった資料をまとめ、椅子から立ち上がる。ガチャリと扉を開けると、そこに立っていたのは、いつものように整った身だしなみのアレクシス様だった。彼もまた、連日の政務で疲れているはずなのに、その立ち姿には一点の乱れもない。

「こんなところで寝食も忘れ、没頭していたのか」彼は、私の顔を見て苦笑した。その手には、温かいスープと、焼きたてのパンが入った籠が下げられている。「君の集中力には感心するが、それでは体がもたないぞ」

「あ、ありがとうございます……!」

温かい食事の匂いに、私の胃が盛大に鳴った。照れくさくなり、慌てて籠を受け取る。アレクシス様は、私を促して部屋の中に入ってきた。

「何か、進展はあったか?」彼が尋ねた。

私は、彼の隣に座り、スープを啜りながら、これまでの研究成果を説明した。

「はい……。**『星辰の理』には、確かに『月の涙』に関する記述がありますが、それが『世界の均衡を保つ根源の魔力』であること、そして『星の巡りによりその力が増大する時期がある』**といった、抽象的な内容がほとんどです。ですが……」

私は、読み込んでいたページを指差した。「ここです。『闇に堕ちし魂、月の涙を歪めし時、異形の大いなる影、現れ出でん』という一節が……。これは、まさに今回の宰相の行いを指しているとしか思えません。宰相は、自らの魂と厄災を一体化させると言っていました……もしかしたら、『月の涙』の力を媒介に、人間の魂と厄災が融合するような術式を完成させていたのかもしれません」

アレクシス様は、腕を組み、真剣な表情で私の話を聞いていた。

「人間の魂と……厄災の融合、か。あの宰相の狂気は、そこまで到達していたというのか」彼の声には、怒りにも似た感情が滲んでいた。

「はい。そして、もう一つ……」私は、別の古文書を開いた。「この書物には、『闇の紋様』についての記述があります。それは、『月の涙』の負の側面、あるいは歪んだ力を浴びた者に現れる、破滅の刻印だと……。宰相の肌に、あの不気味な紋様が浮かび上がっていたのは、やはり**『大いなる厄災様』**の力に取り憑かれ始めていた証拠なのではないかと」

宰相のローブの下に見えた、あの黒い紋様を思い出す。それは、私が感じた不安を、確信へと変えるものだった。

「つまり、宰相は、**『月の涙』の根源の魔力を利用し、自らと『大いなる厄災様』を融合させることで、一時的にあの強大な力を手に入れた。そして、君の『無の錬金術』**によって、その融合体が一時的に『無』の状態にされ、消滅した……ということか」アレクシス様が、これまでの情報を整理するように呟いた。

「はい、おそらくは。しかし、問題は……」私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。「宰相が厄災と一体化したことで、**『大いなる厄災様』の力が、この世界に完全に定着してしまった可能性があるんです。あの時、確かに厄災は消滅しましたが、もしその『負の残滓』**が、まだ世界のどこかに存在しているとしたら……」

その時、机の上のフラスコから、かすかに黒い靄が立ち上った。私はハッと息を呑んだ。それは、黒曜石の祭壇の破片から採取したサンプルだった。

「これは……!?」

アレクシス様も、その異変に気づき、フラスコを覗き込んだ。フラスコの中で、ごく微量の魔力サンプルが、不規則に脈動している。まるで、生きているかのように。

「リゼット、これが、魔力の乱れの原因なのか?」彼の声に、緊迫が走る。

「おそらく……。宰相が**『月の涙』を歪めたことで、本来は世界の均衡を保つはずの根源の魔力に、『大いなる厄災様』の負の側面が混じり合ってしまったんです。だから、祭壇が崩壊しても、その『負の残滓』**が世界のあちこちに散らばって、魔力の乱れを引き起こしている……。まるで、巨人の心臓が破裂したかのように、中央から大きくひび割れた祭壇から噴き出した、青白い光と黒い靄が混じり合ったあの光景が、そのまま世界に広がってしまっているんです!」

私の説明に、アレクシス様の顔色がみるみるうちに青ざめていく。

「そんな……。それはつまり、このままでは、この国は、いや、世界全体が、**『大いなる厄災様』**の負の残滓に蝕まれ、いずれは破滅してしまうということか!?」

「はい……。このままでは、各地で起こっている木々の枯死や奇妙な病気がさらに広がり、最終的には、世界中の生命が枯れ果ててしまうかもしれません。そして、その負の魔力が凝縮されれば、再び**『大いなる厄災様』**が顕現する可能性も……」

私たちがどれほど恐ろしい脅威に直面しているのか、ようやくアレクシス様にも伝わったようだった。彼の握りしめた拳が、かすかに震えている。

「そんなことはさせない……絶対にだ!」アレクシス様は、強く、はっきりと宣言した。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

「リゼット、君の研究で、この**『負の残滓』**を完全に消滅させる方法を見つけることはできないのか!?」

私は、再び古文書に目を落とした。「この**『星辰の理』には、『闇に堕ちし影を完全に断ち切るには、清浄なる月の光と、真なる魂の輝きが必要となる』と記されています。これは、おそらく『月の涙』の真の力**と、純粋な魔力、あるいは、特別な魂の持ち主の力が必要だということかもしれません」

(私自身の魂……そして、アレクシス様の月鋼の剣が持つ精霊の力……これらを組み合わせれば、もしかしたら……)

私の頭の中で、新たな術式の構想が浮かび上がり始めていた。それは、私がこれまでに学んできた錬金術の知識を遥かに超える、途方もない術式だ。しかし、この現状を打破するには、それしかなかった。

「……アレクシス様、もしかしたら、方法はあります」私は顔を上げ、彼の目を見つめた。「ですが、それは、これまでの錬金術とは比べ物にならないほど危険な術式です。そして、その成功には、アレクシス様の力も不可欠になります」

アレクシス様は、私の言葉を遮るように言った。「危険だろうと、なんだろうと構わない!この国を守れるのなら、いかなる犠牲も厭わない。君と共に、必ずこの危機を乗り越える。私に何ができるか、教えてくれ、リゼット!」

彼の力強い言葉に、私の心に新たな勇気が湧き上がった。この人と一緒なら、きっとどんな困難も乗り越えられる。

「はい、アレクシス様!」

私は、再び書物に向き直った。そして、脳裏に浮かんだ新たな術式の構想を、紙の上に書き記し始めた。それは、「月の涙」の真の力を解放し、世界の均衡を取り戻すための、最初にして最後の希望となるだろう。

しかし、その道のりは、決して平坦なものではない。宰相が遺した黒い日誌に隠された更なる真実、そして、迫りくる「大いなる厄災様」の再顕現の兆候が、私たちを待ち受けているのだ。


(第二十三話へ続く)

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