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世にも不思議なショートショート  作者: 西季幽司
不思議な話・その三
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裸足のスプリンター

 ゲラは草原を駆けていた。

 裸足で草原を駆けていた。学校に行く年だったが、ゲラは毎日、草原を駆けていた。

 ただ、訳もなく、草原を駆け続けた。草原を駆けていると、耳元でぴゅうぴゅうと風を切る音がする。ゲラはそれを聞くのが好きだった。

 ゲラの足は地面をしっかりと掴み、風のように駆けることができた。

 野獣に遭遇しても怖くなかった。野獣なんて目じゃない。ゲラの足なら、らくらく逃げ切ることができる。

 ゲラは毎日、裸足で草原を駆けていた。

 ゲラは目が良い。ある日、ゲラはいつものように草原をかけていると、遥か彼方に白いものが落ちていることに気がついた。


――何だろう?


 ゲラは白いものを目指して駆けた。

 白い服を着た人だった。女性だ。野獣に襲われたのだ。白い服を来た女性が倒れていた。動かない。残念ながら息をしていなかった。可哀そうに――と思った時、女性が動いたような気がした。

 慌てて女性に近づいた。よく見ると、女性の体の下に、もう一人、少女が倒れていた。女性はきっと少女の母親だろう。野獣に襲われ、自分を犠牲にして少女を守ったのだ。


――生きている!


 少女は酷い怪我をしていたが、微かに呼吸をしていた。


――大変だ。


 ゲラは少女を抱えると、走り出した。

 随分と遠いが、隣の村には医者がいると聞いた。直ぐにでも医者に診てもらう必要がある。ゲラは懸命に駆けた。

 少女の呼吸はどんどん細くなって行く。


――草原の神よ! 力を貸してくれ~‼ この子を助けてやってくれ~!


 ゲラは叫びながら駆けた。

 流石のゲラも少女を抱えて走り続けることは出来なかった。へとへとになって、ふらふらになって、よろよろしながら、それでも歩き続けた。

 朦朧とする意識の中、ゲラは一軒の小屋を見つけた。


――水が欲しい。水を飲みたい。


 小屋を訪ねると白髪で髭を生やした老人が顔をのぞかせた。

「何だ⁉ ボウズ」

「この子が怪我をしている。隣村の医者のところに、連れて行ってあげたいんだ。だけど、喉が渇いた。水を一杯、飲ませて欲しい」

 ゲラがそう言うと、「この少女はお前の妹か?」と老人が聞いた。

「いや、違う」とゲラは少女を草原で見つけたこと。野獣に襲われたらしいこと。母親らしき女性が少女に覆いかぶさって死んでいたことを話した。

「そうか~偉いな。ここまで少女を抱えて走って来たのか?」

「うん」

「そうか。庭に井戸がある。好きなだけ、水を汲んで飲んで良いぞ。どれ、この子の様子を見てやろう」

「ジイちゃん。医者なのか? だったら、この子を治してやってくれ」

「医者ではないが、何とか出来るかもしれん。いいから、お前は庭に行って、井戸から水を飲んで来い」

 ゲラは少女を老人に引き渡すと、庭に回った。老人は優しく少女を抱きかかえると、小屋の中へ消えた。


 少女の治療が終わるまで、小屋に入れてもらえなかった。

 ゲラは待ちくたびれて、小屋の前で寝てしまった。

「ボウズ。起きろ。終わったぞ」と老人に揺り起こされた。

 辺りは真っ暗になっていた。

「夜中にうろうろすると危険だ。今晩はうちに泊まって行け」と老人に小屋に招き入れられた。

「あの子は?」

「安心しろ。大丈夫だ。二、三日、目を覚まさないだろうが、直ぐに元気になる。ほら、今はベッドで寝ている」

 小屋の中には大きなベッドがあって、そこに少女が寝ていた。

 ゲラが駆け寄って、顔を覗き込むと、血色が戻っていて、すやすやと寝息を立てていた。

「凄いな! ジイさん」

「お前が彼女を抱えて、ここまで走って来てくれたからだ。もう少し遅かったら、わしにもどうしようもなかったかもしれない」

「そうか」

「ボウズ、偉いぞ。だけど、学校はどうした? 何故、草原にいたのだ?」

「俺――」とゲラは老人に学校に行くより草原を駆けている方が楽しいことを伝えた。

「裸足で駆けまわっているのか?」

「そうだ。裸足が一番だ。大地を掴んで走ることができる」

「裸足で草原を走らせたら、お前は世界最速の男なのかもしれないな。だがな。いつまでも草原を走り回っている訳には行かないぞ。ボウズ、よく聞け。お前は、走ることにかけては誰にも負けない。だったら、学校に行って、そのことをみんなに見せつけてやれ」

「みんなに見せつける?」

「そうさ。お前が一番だ。誰もお前には勝てない。気持ち良いぞ。学校が楽しくなるはずだ」

「そうか・・・」

 翌朝、ゲラは小屋から追い出された。

「心配するな。この子は元気になったら知り合いのもとに、わしが届けてやる」と老人が言った。

 ゲラは学校に行った。

 そして、誰彼構わず、駆けっこ競争を挑んだ。ゲラに適う子はいなかった。先生たちもゲラの足の速さに驚いた。

 学校で敵なしになると、町の大会に出た。そこで優勝すると、今度は州の大会に参加させられた。やがて、ゲラは国の代表としてオリンピックを目指す短距離ランナーになった。


 オリンピック、百メートルの決勝戦にゲラは進んでいた。

 世界は広い。決勝戦まで勝ち上がったが、ゲラは一度もトップでゴールを切ることが出来なかった。


――自分より足の速い人間がいる!


 ということを思い知らされた。

 スタンドでは、あの時の少女がゲラを応援していた。彼女は母親と父親のもとを訪ねようとして、途中で車が故障した。そして、草原を歩いているところを野獣に襲われたのだ。

 父親のもとで成人し、オリンピックを目指すゲラを再会した。

 美しい少女へ成長していた。

 二人は意気投合し、今、彼女はゲラの恋人だった。


――彼女の為にも勝ちたい。


 ゲラはそう思った。

 だが、勝てない。あの大地を駆けまわっていた頃の躍動感が失われてしまったようだった。

 スタートを待つ間、ゲラはじっと足元を見つめていた。

 あの時、白髪の老人が言った。

「裸足で草原を走らせたら世界最速の男だ」と。

 あの後、老人の小屋を訪ねたが、見つからなかった。二度と、あの小屋を訪ねることが出来なかった。


――あれは草原の神だったのだ。


 とゲラは思うことにした。だから、医者でもないのに、少女を治すことができたのだ。


 ゲラは国から至急された、羽のように軽く、地面をしっかり捉まえることができるスパイクのついた最新式のシューズを履いていた。


――こんなもの、履いているから勝てないんだ!


 ゲラはシューズを脱ぎ捨てた。

 足の裏で大地を感じることが出来た。

 コーチが怒鳴っていた。

「何をしているんだ! シューズを履け‼ 裸足で走るなんて気でも狂ったのか! 裸足で勝てる訳ない」と。


――いいさ。どうせ勝てないのなら、最後は自分らしく走りたい。あの時、彼女を抱えて草原を走った時のように。


 スタートラインにつく。

 号砲が鳴る。

 選手が一斉に走り出す。

 ゲラも飛び出した。

 掴める。足の指がしっかり大地を掴んでいる。

 ゲラは飛んでいるかのように走った。

 大好きだった風の音がびゅうびゅうと耳元で鳴っていた。

 周りに、誰もいなくなった。

 ゲラは一着でゴールした。


――やった! 勝った。


 少女が千切れんばかりにゲラに向かって手を振っていた。

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