駕籠訴
「こうなったら直訴しかない」
「直訴⁉」
「恐れながらと殿様のお駕籠に駆け寄って、訴状を奉じるのだ」と伊作が言う。
伊作は村のリーダーと言える存在だ。頭が良くて、決断力がある。
「駕籠訴か。そんなことして大丈夫なのか?」
「大丈夫なものか。磔獄門よ」
「磔獄門・・・それでもやるのか」
「やるしかない。このままでは、どの道、飢えて死ぬしかない」
「それもこれも新しく来た代官のせいよ」
「村田晴胤。悪いのに当たってしまった」
今年は日照りが続いて不作だった。だが、新しく来た代官は例年通り年貢を納めろと言う。年貢を納めてしまうと、食う米が無くなってしまう。百姓にとっては死活問題だった。
村の主だったものが集まって、代官からの要求にどう対処するのか話し合っていた。話し合いに夢中になり過ぎて、途中から庄吉がいなくなっていることに、誰も気がついていなかった。
突然、「御用だ!」と怒鳴り声がして、代官所の役人が踏み込んで来た。
あっという間に、伊作たちは縄をかけられた。
代官所の白洲に引き立てられ、あの憎き悪代官の村田晴胤が現れた。
「そのほうら、一揆を企んでいると聞いた。不届き千万!」
「お代官様、決してそのような・・・」
「隠し立てしても、分かっておる。恐れながらと代官所に駆け込んだ者がいるのだ」と村田晴胤が言うと、役人が庄吉を引きずって来た。庄吉が役人の陰に隠れる。
どうやら庄吉は代官の間者だったようだ。
「じっくり吟味の上、厳罰に処す」と言って村田晴胤は「ふふふ」と不気味に笑った。
弥一は歩き続けていた。
丸二日、何も食べていない。大神山の麓にある「大真神社」を目指して歩き続けていた。
大人たちは言う。「あの神社に近づいてはならねえ。あの神社は恐ろしい神社だ。願いごとをかなえてもらうと、代わりに命を奪って行く」
年端も行かない童の弥一が、その神社に願いごとをする為に歩いていた。
弥一の父、伊作が代官所に連れ去られてから、七日が経とうとしていた。まもなく吟味が終わり、伊作は磔獄門になるという噂だった。
「大真神社」に着いた頃には、弥一の幼い体は限界を迎えていた。狛犬の足元に蹲ると、手を合わせて祈った。「神様、神様。どうかおっとうを助けてくれ。このままだと磔になっちまう。おれの命をやるから、おっとうを助けてくれ」
そう祈ると弥一は気を失った。
「よかろう。そなたの願い、かなえてやろう」
何処からか声がした。
祠の扉が開くと、もやもやと黒い霧が湧き出し、二頭の狛犬の石像を包み込んだ。
むくむくと石像は大きくなり、頭は狼、体は人間の姿の巨大な狼男へと変身した。一頭の狼男が台座を降りると、ひょいと弥一を肩に乗せ、駆けだした。もう一頭が後を追う。
夜の帳が辺りを包み始めていた。
代官所の門が閉じられる。と、どしんと門が揺れ、次の瞬間には鉄板を打ち付けてある門扉が吹き飛んだ。
代官所は上へ下への大騒ぎとなった。
「何事だ!」、「敵襲のようです」、「百姓どもかっ⁉」、「一揆か?」、「誰でもかまわぬ。斬り捨てよ!」役人たちが喚きながら走り回る。
二頭の獣は役人たちを蹴飛ばし、投げ飛ばし、頭をかじりながら、牢屋に近づくと、一撃で牢屋の門を粉砕した。
捕らえられていた百姓たちが逃げ出す。
その中に、伊作もいたが、連日の拷問により、虫の息だった。両脇を仲間たちに支えながら、牢から出て来た。その前に、一頭の狼男が立ち塞がった。
「ひえっ!」と百姓たちが悲鳴を上げる。
狼男は肩に背負っていた弥一を片手でそっと掴むと、伊作たちに差し出した。
「弥一!」
我が子だ。直ぐに伊作が気づいた。よろよろと覚束ない足取りで狼男に近づくと、弥一を懐に抱いた。
それを見届けた狼男は、くるりと踵を返すと、代官所へ駆け込んで行った。
伊作たちは粉々になった門から代官所を出た。背後からは、役人たちの悲鳴が絶え間なく聞こえていた。
振り返ると代官所が燃えていた。
呆然と見守っていると、「おっとう!」と声がした。
弥一が目を覚ました。
「弥一。お前・・・」
「おれ、おっとうの為に大真神社に願いごとをしに行った」
「そうか。それで」
「おっとうが無事で良かった」
「ああ。だが、弥一、もう二度とあの神社に行ってはいけないぞ。今回は、大真神様がお前を見逃してくれたようだが、次はきっとお前の命を奪って行くだろう」
「うん」
「でも、ありがとう」
伊作は弥一をきつく抱きしめた。




