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望みを言ってみろ

 霊山で不老不死の術を会得し、千年の間、修行を積んだ仙人、独鈷児は今日も欲に駆られた人間たちの人生を、弄んでやろうと獲物を探していた。


 繁華街で酔っ払いに絡んでみたが、無言で無視されてしまった。

 今晩は、なかなか良い獲物に巡り逢えなかった。少々、焦っていたのかもしれない。素面で繁華街を歩いていた真面目そうな若者に声をかけてしまった。

「兄ちゃん。金をめぐんでくれたら、何でも望みを叶えてやるよ」

 若者は足を止めると、独鈷児を頭の先からつま先まで見回して、「お爺さん。その年で物乞いは大変でしょう。これで、美味しいものでも食べてください」と言って、財布から一万円札を抜き出すと、独鈷児へ差し出した。

 若者が財布から一万円札を抜き出す時、財布には他にお札が入っていなかったことを、独鈷児は見ていた。それでも独鈷児は一万円札を受け取ると、「ありがとうよ。兄ちゃん。望みは何だ?」と聞いた。

 若者は「別にありません」と言って、立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何かあるだろう? 金が欲しいとか、女が欲しいとか。誰か邪魔なやつを消してくれっていうのでも良いぞ」と独鈷児が食い下がった。

「ありません」と若者は迷惑そうに言う。

「そんなはずない。まともな人間なら、欲望のひとつやふたつ、あるはずだ」

 若者は「失礼します」と独鈷児の言葉を無視して歩き去った。


――欲望のない若者などいるはずがない。


 独鈷児は若者の監視を始めた。

 望みはないと言うが、きっと何か拘りがあるはずだ。それを見つけ出して、若者に提示してやれば、きっと餌に食いつくに違いない。

 若者の日常は単調な毎日と言えた。

 毎日、図ったように同じ時間に起きて、会社に行く、同じ時間に帰って来る。近所の牛丼屋で食事をすることが多い。牛丼を食べ終わると、コンビニに寄って帰宅する。

 飲みに行く訳ではないし、休みに友人と出かけることもなかった。休みの日には、近所を散歩して、牛丼を食べて帰る。

 監視を始めて一週間で、若者の行動パターンを把握してしまうと、変わらない日常を監視するのにすっかり飽きてしまった。

 そこで、若者の会社に顔を出した。

 隣の席に腰を降ろすと、「おやっ! あの時のご老人」と独鈷児のことを覚えていた。

「どうしました。会社で会うなんて奇遇ですね。何かご用事ですか?」

「あんたに会いに来たのさ」

「そうですか。部外者は勝手に入って来ることができないはずですが、受付で止められませんでしたか?」

 見すぼらしい老人だ。ビルの警備員に止められなかったのだろうか。

「わしには関係ない。職場の連中も、わしに無関心だろう。彼らにはわしが見えていないのさ」

「へえ~不思議ですね」

 確かに、若者の隣に変な老人が座っているというのに、周囲の人間は誰も気がついていない様子だった。

「あんた。牛丼が好物のようだな。一万円のお礼だ。牛丼を死ぬほど食わせてやろうか?」

 死ぬまで牛丼を食い続けさせる呪文でもかけるつもりなのだ。

 だが、若者は「いえ。近所にあって便利なので、通っているだけです。特に牛丼が好きだという訳ではありません」と、あっさり否定してしまった。

「なんだ。そうなのか。なあ、お前さん。その若さで、何も望みが無いのか?」

「ありません。欲しいものは、自分で努力をして手に入れるだけです」

「優等生な答えだな」

「すみません」

「あやまることはない。何も無いのか? 本当に何も無いのか?」

 相当、しつこい。

「じゃあ、ひとつだけ望みを言いましょう」

「やっとかい。いいぜ、何でも言ってみな」

「あなたに幸せになってもらいたいのです」

「あん・・・!」

 独鈷児は絶句した。

「僕の望みは、あなたの幸せです。それじゃあ、ダメですか?」

「ダメって・・・そんなことないが・・・」

「良かった」

 独鈷児はよろよろと立ち上がると言った。


――あんたは、わしが(いじ)って良いような人間では無いのかもしれない。

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