金持ちになりたい
霊山にて不老不死の術を会得し、千年の間、修行を積んだ仙人、独鈷児は今日も欲に駆られた人間たちの人生を、弄び、楽しんでいる。
居酒屋を出たところで、妙な老人にからまれた。
駅に向かって歩いている途中、浮浪者にしか見えない、痩せて小汚い老人から、「金を恵んでくれ。そうしたら、お前の願いをかなえてやろう」と言われた。
面倒なのでやり過ごせば良かった。実際、前を歩いていたサラリーマンはそうしていた。だが、明日から部の命運をかけた仕事で出張が決まり、仲間と飲んで、散々、「頑張れよ」、「期待しているぞ」と言われ、俺は少々、気が大きくなっていたようだ。いい気分で酔っていたし、「願いごとをかなえてくれるのか?」と聞いてしまった。
「ああ、何でもかなえてやるよ」老人は縋りつくように、近寄ってきた。
「ほら」と財布から百円玉を取り出すと、「これをやるから、俺を大金持ちにしてくれ。そうだな~最低、一億は欲しいな」と言って、老人の足元に放り投げた。
老人は百円玉を拾うと、「一億円、欲しいなら、最低、百万円は寄こせ!」と言って、じろりと俺の顔を見た。
「ふざけるな!恵んでもらえるだけ幸せだろうが」
俺は老人に唾を吐きかけると、その場を後にした。老人が背後で、「よかろう~お前の願いをかなえてやろう~」と喚いていた。
台風十二号は東に進路を変え、関東地方を直撃する可能性が高まった。今晩には東海地区が暴風雨圏内に入る予報に変わった。
俺は出張支度を済ませると、ボストンバッグに詰め込んでアパートを出た。今日の出張は、俺の将来を左右するかもしれない、大事な、大事な出張だ。張り切らざるを得ない。
昨晩、酔って帰って、郵便物を取るのを忘れていた。二、三日、戻れない。郵便受けを開けて郵便物をつかむと、ボストンバッグに放り込んだ。
台風が近づいている。どんよりと空が厚い雲で覆われていたが、まだ雨は降っていなかった。風は段々、強くなってきていた。
会社に出社すると、係長に呼ばれた。
「今日の出張は取り止めだ。朝一番で電話があって、今日の会議は取りやめたいと先方さんに言われた。あちらは午後から臨時休業になるらしい。行ってもムダになった」
「そうですか・・・」残念だ。張り切っていたのに。
「気を落とすな。延期になっただけだ」と慰められ、最後に係長から、「うちも午後からどうなるか分からないぞ」と言われた。
出張が取り止めになったのは残念だが、午後から帰れるのだとしたら、それはそれで嬉しかった。
係長の言葉通り、昼休みが始まる頃には、台風が接近しているので、速やかに帰宅しろという指示が回って来た。
昼休みが始まると同時に会社を出た。
最近、寝不足だ。コンビニで弁当でも買って帰って、食って寝るようと思った。家から持って来たボストンバッグが邪魔だったが、髭剃りや歯ブラシなど、日頃、使っているものを放り込んであったので、会社に置いておく訳にも行かなかった。
携帯で台風状況を確認した。大丈夫。家に着くまで持ちそうだ――と思ったその時、俺は激しい衝撃を感じてひっくり返った。
人とぶつかった――と理解できるまで、暫く時間がかかった。携帯電話を見ていて、前方確認が疎かになった。そこへ、全速力で駆けて来た男と正面から鉢合わせしたのだ。
肩が触れた、なんて程度ではない。正面から、まともにぶつかった。俺は後ろに二回転、ごろごろと、でんぐり返りしたほどだ。
ぶつかった男は柔道で背負い投げをくらったかのように、派手に地面に叩きつけられた。
「携帯! 携帯!」
最初に携帯電話が気になった。転んだ拍子に携帯電話を放り投げてしまった。慌てて携帯電話を探した。ぶつかった男は頭でも打ったのか、寝転がって呻いている。
ぶつかって来たのは、あいつの方だ。謝るなら、あいつからだ、と思った。
人通りの多い通りだが、俺たちを避けながら、歩行者が歩いて行く。お陰で、携帯電話を見つけることができた。二メートルほど離れた場所に落ちていた。良かった。と思った時、
「この野郎~!」
「待ちやがれ‼」
と二人の男がこちらに走って来るのが見えた。誰だ。俺か? 見知らぬ男たちだ。しかも、見るからに柄が悪い。反社勢力の人間にしか見えなかった。逃げようかと思った。
すると、寝転がっていた男が勢いよく立ち上がり、ボストンバッグを持って走り出した。
「おい。待てよ。そのバッグ――」
ボストンバッグを持ち逃げされたのかと思ったが、目の前にボストンバッグが転がっていた。何と、全く同じボストンバッグを持っていた男とぶつかったようだ。まあ、ディスカウントショップで買った安物だ。同じバッグを持った人間がいたとしても不思議ではない。
俺はボストンバッグを胸に抱えた。
前の前を男たちが走り去って行った。
(あいつ、何をやったのだろう? あの男たちにつかまったら、どうなるのだろう?)と思ったが、所詮は他人事だ。台風が来る前に家に帰りつかなければならない。俺はボストンバッグを抱えて、駅へ急いだ。
背後から「うぎゃあ~」という悲鳴が聞こえたが振り返らなかった。
地下鉄は、そこそこ混んでいたが、何とか座れた。膝の上にボストンバッグを置いて座ると、バッグの底がごつごつ膝に当たることに気がついた。着替えを中心に入れてあったはずだが、妙に重たい。
何か変だ? とチャックを開けてみた。驚いた。
札束がぎっしりと入っていた。
人目を避けながら、一目散にアパートを目指した。家に帰って数えてみると、百万円の札束が百個、一億円の現金があった。
ん? 一億円? なんだか、つい最近、そんな話をしたような気がする。
しかし、どうして俺のボストンバッグに一億円が入っているのだ? あの時だ。あの男とぶつかった時に、ボストンバッグを取り間違えてしまったのだ。これは、あの男の金だ。二人のヤクザ風の男に追われていた。きっと、まともなお金じゃない。さて、どうする。警察に届ける。馬鹿な。どうせ、まともなお金ではないはずだ。
これはチャンスだ。このまま、黙っていたって、バレないだろう。ネコババしたって、俺が何処の誰だか分かるはずがない。やった~! 一億円だ。俺は金持ちだ。金持ちになった。
俺は部屋の中で、何度もガッツポーズをした。
いっそ、会社なんか辞めてしまおう。いやいや、暫くは大人しくしておいた方が良い。目立たないのが一番だ――などと考えていて、ふと、自分のボストンバッグの中に何が入っていたのか考えた。着替えに髭剃り、歯ブラシ、会社の資料はなかったはずだ。
次の瞬間、俺は「ああ――‼」と声を上げてしまった。
そうだ。今朝、郵便受けを開けて郵便物をバッグに放り込んでしまった。バッグの中には、俺の名前と住所が書いた郵便物がいくつも入っている。あのヤクザ風の男たちが、バッグを開けて俺の郵便物を見たとすれば、俺の名前と住所はバレている。
――金を持って逃げた方が良い。
そう結論した。だが、生憎の台風だ。逃げ出すにも公共交通機関が動いていない。それは、あちらも同じだ。台風が去ってから、明日の朝、一番で出発しよう。そう思った。
寝過ごした。
台風で外出できないこと。大金を手に入れ、あくせく働く必要がなくなったことから、(会社~? んなもん、どうでも良い)と、気が大きくなってしまったことが原因だろう。
寝起きでぼんやりしていたが、頭が回り始めると思い出した。危ない金だ。名前も住所もバレている。取り敢えず逃げた方が良い。
窓から外を覗く。
まずい。雨風が止んでいる。
手早く荷物をまとめると、一億円が入ったボストンバッグを抱えて、俺は部屋を飛び出した。アパートを出たところで、二人組の男たちと鉢合わせた。
――やつらだ! と思った時には遅かった。
俺は大男に背後からスリーパーホールドでがっちり首を絞められた。そして、耳元でささやかれた。「丁度、良かった。部屋を襲う手間が省けた。しかもボストンバッグまで持って来てくれるなんて助かったよ。兄ちゃん、一円でも足りなかったら、どうなるか、分かっているだろうな」
「す、すいません」と俺は喉を絞められながら、やっとのことで答えた。
もう一人の男が目の前に立つと、「手間をかけさせやがって」と言って、俺の腹に二発、三発と強烈なボディブローを入れた。背後の男が手を放す。
「うぐわっ――!」俺は悲鳴を上げながら道路に転がった。
男たちは無言で去って行った。
道路に横たわった俺の目の前に自動販売機があった。自動販売機の下に百円玉が落ちているのが見えた。
俺は「ラッキー」と苦しい呼吸の下で呟いた。
誰もが願うであろう「お金持ちになりたい」、それをどう実現させて、落とすか考えた。ラストの百円を見つけるシーンがお気に入り。




