どこか遠くへ
霊山で不老不死の術を会得し、千年の間、修行を積んだ仙人、独鈷児は今日も欲に駆られた人間たちの人生を、弄び、楽しんでいる。
繁華街で薄汚い老人がまとわりついてきて離れなかった。
「金を寄こせ。何でも願いをかなえてやる。だから、金を寄こせ」としつこかった。
「ほら、ジジイ、これをやるから、あっちへ行けよ」と百円玉を投げてやった。
百円玉が地面をころころと転がった。老人は「なんだ、百円か」と文句を言いながら、転がって行く百円玉をおいかけた。
これ幸いと足早に歩き去ろうとすると、「願いごとは良いのか⁉」と背後から声をかけられた。
願いごと? 最近、彼女にフラれた。仕事でも大失敗をやらかして、毎日、会社に顔を出すのがつらい状況だ。だから、こうして繁華街を飲み歩いている。
「どこか遠くへ行きたいよ」とジジイに言い捨てた。
「面白い。願いごとをかなえてやろう」
ジジイが一言言うと、目の前が真っ暗になった。俺は暗闇の中を落下していた。底なしの穴に落ちて行くような感じで、何時までも落下した。
俺は気が遠くなった。
気がつくと森の中にいた。
真昼だった。暑い。何処だここは? 雑草が俺の背丈ほどもある。地面がねちゃねちゃとぬかるんでいた。上を見上げても、頭上を樹木が覆いかぶさっていて、空が見えない。
ぬかるみに足を取られながら歩く。なんで革靴なんだ。おまけに背広を着ている。俺は上着を脱いで手に持った。
――ギャギャ~!
と鳥だか獣だかが遠くで吠えた。
ジャングルだ。間違いない。俺は南米のジャングルにいるのだ。何故こんなところにいるのだと思った時、繁華街で出会った老人のことを思い出した。そうだ。あのジジイに会ってから、ここに飛ばされて来た。思い出した。あのジジイが「願いごとがあるか?」と聞くので、「どこか遠くへ行きたい」と願ってしまった。
あのジジイが願いごとをかなえたと言うのか⁉
気がつくと湿地を抜け、水たまりを歩いていた。じゃぶじゃぶと音を立てて、足首辺りまである水の中を歩いていた。雑草をかき分けると、川に出た。
全く、冗談じゃない。どうやって帰れば良いんだ。
川を泳いで渡る気になれない。引き返そうとして、俺は足を止めた。
――なんだ。あれは・・・ワニか⁉ ワニなのか。こっちを見てやがる。こいつら、水の中では無敵だ。迂闊に動くな。襲い掛かってくるぞ。
水面から目と鼻を出して、ワニが泳いでくる。
雑草が生い茂る水辺へ戻ろうとすると、がさごそと雑草が動いた。何かいる。雑草の向こうから二つの光る目がこちらを睨んでいる。
何だ? よく見えない。ヒョウだ。ヒョウに見える。こいつも俺を狙ってやがる。
前門のワニ、後門のヒョウだ。俺は絶体絶命のピンチに陥っていた。どうすれば良い。どうすれば、この場を切り抜けることができる。
いやいや、これは夢だ。夢であってくれ。どこか遠くへ行きたいと思ったが、ジャングルでサバイバルをしたかった訳ではない。
「ジジイ~! 俺の願いは、こんなんじゃな~い」
俺がそう叫ぶと、目の前が真っ暗になった。俺は底なしの穴に落ちて行くように落下していた。そして、俺は気を失った。
寒い。凍えるようだ。
俺は目を覚ました。雪、雪、雪。辺り一面、見渡す限り雪だった。広大な雪原に俺はいた。どこだ、ここは? 南極のどこかとか、北極のどこかにしか見えない。幸い、空は綺麗に晴れ渡っていたが、とにかく寒い。寒かった。
良かった。上着を手に持っていた。俺は慌てて上着を羽織った。だが、寒いのには変わりはない。背広の上着程度では、無いよりもましなレベルだ。
一歩、踏み出す。ずぶずぶと足が雪に埋まった。
あまりの寒さに皮膚が痛い。
革靴だ。こんな雪の中、歩くのに向いていない。
見渡す限り雪原だ。平坦で真っ白な世界が延々と続いていた。一歩、歩くのでさえ、この有様なのに、何処まで歩けば良いのか。いや、何処かに着く前に凍え死んでしまうだろう。
これも、あのジジイの仕業に違いない。どこか遠くへ行きたいと願ったが、こんなところに来たかった訳じゃない。
「ジジイ~! 俺の行きたかったところは、こんなところじゃないぞ~」
そう叫ぶと、再び、目の前が真っ暗になった。そして、また底なしの穴に落ちて行った。俺は気を失った。
目を覚ますと、砂浜に倒れていた。
良かった。暖かい。南国のビーチだ。砂の上に胡坐をかいて、辺りを見回すと、ちらほらパラソルが立っているのが見える。
そうだ。ここだ。こんな感じの、南国のリゾート地に来たかった。
暑い。俺は再び上着を脱いで手に持った。革靴は砂浜に向かない。靴を脱いで手に取ると、砂浜を歩いた。ヤシの木の向こうにプールがあった。ホテルが建っているようだ。この砂浜はプライベート・ビーチなのかもしれない。
パラソルの下に来た。チェアとテーブルが置いてある。プールの隣にバーがあって、ドリンクを販売している。
プールの向こうに多少、鄙びているがホテルがあった。
今度こそ、間違いない。南国のビーチに来たのだ。
俺はパラソルの下のチェアに座り、体を伸ばした。
疲れた。暫く休もう。
――パン、パン!
遠くで乾いた音がした。
何の音だろう。まあ、良い。俺はここでのんびりするのだ。
――きゃあ~! おわわわ~!
悲鳴が聞こえた。
俺は飛び起きた。
南国、島国のビーチで銃撃戦が起こった。同国ではマフィアの闘争が激化しており、各国では渡航禁止措置が取られていた。
銃撃戦に巻き込まれ、一般人が多数、命を落とした。犠牲者の中に、一人、変わった人物がいた。浜辺で背広を着て、革靴を手に持っていた。
よくある願いごとって何だろう?と考えた時、「遠くへ行きたい」というのがあるなと思いついた。そこから、独鈷児流にどう落とすか考えた。