合わせ鏡
何時の頃からだろう。鏡の中の自分に話しかけるようになったのは――
鏡の中の自分、“彼”こそが、今の僕の唯一の話し相手だ。いや、単なる話し相手なんかじゃない。無二の親友であり、分身なのだ。世間から受けている冷たい仕打ちについて、彼に愚痴っていると心がすっとする。
毎日、彼とは色々な話をする。今日、会社であったこと、昔のこと、話題は様々だ。子供の頃、僕をいじめてきた憎いあいつの話をした。高校受験で違う高校に進学するまで、僕はあいつのペットだった。
あの上司の話をした。僕が話かけると、「はあ~」と周りに分かるほど大きなため息をつく。そんなことも分からないのか⁉ と言わんばかりだ。お陰で最近は後輩からも馬鹿にされている。
満員電車で僕を睨みつけてきた、あの女の話もした。僕は痴漢なんかしていない!
こうして僕は毎日、彼に話しかけた。だが、彼は何も答えてはくれない。ただ、僕の愚痴に合わせて、鏡の向こうから悲しい表情を浮かべているだけだ。
――ああ、彼と話が出来たら。
そう思わずにはいられなかった。
ある日、ふと思った。
真夜中の合わせ鏡は不吉だと言われている。それをやってみよう。もしかしから、彼と、鏡の中の自分と話ができるかもしれないと。
やってみた。
――よう。相棒。
と彼が言った。鏡の中の自分が僕に話しかけてきた。
成功だ。彼と話ができる。こうして彼との会話が始まった。
彼に聞いてみた。「幸せかい?」と。
「幸せかって? 寝ぼけているのか。こんな世の中、間違っている。俺みたいな人間が、認められないなんて」
「そうか、君も幸せじゃないのか」
「そう言うお前は幸せなのか?」
「僕? 聞いてくれるかい」
僕は彼と話し続けた。高校生までいじめに遭い、会社では嫌な上司、生意気な後輩に囲まれて働いていることを。
僕らは思った。僕らが不幸せなのは、世の中が悪いからだと。子供の頃は、神童と呼ばれたことがあった。もともと、僕らは誰よりも優秀な人間なのだ。そんな僕らが認められないのは、世の中が悪いからだ。
世間をあっと言わせる計画について、僕らは話し合った。
最初は周囲の人間を驚かせるだけのシンプルな計画だった。だが、彼は大胆だった。「まだまだ。こんなんじゃあ足りない。もっと、もっと、大きなことをやるのだ! 俺たちが、どんな人間なのか、一人でも多くの人に知らしめてやるのだ‼」と僕の計画にダメ出しした。
僕らの計画はどんどん膨らんで行った。
そして、ついに計画が出来上がった。後は実行するだけだった。
「いいかい? やるよ」と尋ねると、「ちょっと待て」と彼は躊躇した。
「どうしたんだい? 二人で練り上げた計画じゃないか。何故、今になって反対するんだい?もしかして、尻込みしてしまったのかい?」
「・・・」今度は何も答えない。僕は焦れた。
「分かった。もう良い。君に相談したのが間違いだった」
僕は彼とコンタクトを絶った。心の中で、(土壇場になって怖気づくなんて、意気地のないやつだ!)と彼のことを罵った。
そして、殴られた。
職場で新入社員の歓迎会があった。会社の飲み会には極力、参加しないようにしていたが、今回は逃げることが出来なかった。そこで二つ上の先輩にからまれた。
先月、その先輩と一緒に社内プレゼンテーション用の資料をつくった。僕は指示された通りに、データを集めただけだった。プレゼンテーションは不評だった。タイプミスが多かったり、単位の間違いがあったりして、「プレゼンテーションの前に、もっと資料をきちんと見直しなさい!」と部長から雷を落とされてしまった。先輩は、そのことを僕のミスだと言いがかりをつけてきた。宴席で、こんこんと説教を受けた。
黙って、先輩のことを睨みつけていると、「何だ、その態度は⁉」は逆上されてしまった。「ちょっと来い!」と宴会場から連れ出された。そして、人気の無い路地裏で殴られた。一発だけだったが、もろに頬に決まった。口の中が切れた。
「お前の顔など見たくない!」とその場で解放されたことは、ありがたかった。
腹が立った。学生の頃は、毎日、殴られていた時期があったが、社会人になってからは初めてだった。
――こんな世界、滅茶苦茶にしてやる!
僕は決心した。計画を実行するのだ。
合わせ鏡をして彼を呼んだ。
「そうか。そんなことがあったのか・・・」と理不尽に殴られた僕に彼は同情してくれた。そして、僕があの計画を実行したいと言うと、もう反対はしなかった。いや、むしろ、「躊躇うな! 強い心でやり通すんだ‼」と励ましてくれた。
僕は一枚の紙にまとめた計画書を彼に見せた。
「うん。悪くない。だけど、そこはこうした方が良い」と彼がアドバイスをくれた。
僕は彼の前で計画書を修正した。
彼が言った。「へえ~君、左利きなんだ」
「うん。そうだよ。この世界、左利きの方が圧倒的に多いから珍しくないよ」
了
拙作をご一読いただき、ありがとうございました。
鏡の中の自分と会話ができたら、嬉しいというより、気持ち悪いだろう。腹が立つかもしれない。ラストのオチがやりたくて書いた作品。