死階
オフィスには四階がなかった。
実際に無い訳ではない。表記上、使っていないだけだ。四は死に通じるということで、四階の無いオフィスビルやホテルは多い。欧米では十三階は縁起が悪いと無かったりする。
残業で遅くなってしまった。
帰り支度を済ませる頃には、職場に残っている人間は俺一人になっていた。最後の一人になることは珍しくない。とにかく残業が多い。仕事が多いからだが、「残業が多い人間には二種類いる。仕事の多いやつと仕事の遅いやつだ。お前はどっちなんだ?」と嫌味ったらしく上司に言われたことがあった。
俺は仕事が多いのだ。
職場の照明を落とすと、フロア全体が真っ暗になった。エレベーターホールだけは一晩中、灯りがついているので明るい。
エレベーターが来るのを待っていて、俺はふと、社内で広まっている噂を思い出した。
三基あるエレベーターの内、真ん中のエレベーターは「地獄へのエレベーター」と呼ばれていて、無いはずの四階に止まることがある。エレベーターが四階で止まった者は、地獄へ連れて行かれ、二度と戻って来ることができない――という都市伝説だ。
――四階に何があるのだろうか?
とそんなことを考えていると、ちんと音がして、真ん中のエレベーターが開いた。
(よりによって、真ん中のエレベーターかよ)と思った。
嫌な予感がした。
エレベーターに乗り込んで一階を押す。ドアが閉まって、エレベーターは降下を始めた。今からだと家に帰りつくのは・・・シャワーを浴びて寝るとなると・・・とぼんやり考えていると、エレベーターが止まった。
着いたのかと思ったが、一階のボタンは点灯したままだ。
液晶パネルを見ると、「4F」となっていた。
四階だ! 本当に、無いはずの四階に止まった。
エレベーターは静止したまま動かない。ドアも開かなかった。
(どうしよう。管理会社に連絡しようか)と考えていると、ちんと音がして、ドアが開いた。
ドアの向こうには・・・?
真っ暗だった。何も見えない。
エレベーターのドアは開いたままだ。どうしようか迷ったが、恐る恐るエレベーターを出てみた。
出て見ると、そこは普通のオフィスだった。
(何だ。何処かの会社のオフィスだ)と安心した。
エレベーターホールの灯りがついている。エレベーターを乗り換えようと、スイッチを押してみたが反応がない。俺が乗って来た真ん中のエレベーターはドアが開いたままで、待てど暮らせど、両隣のエレベーターはやって来なかった。
(ダメだ。どうしよう)途方にくれた。
真ん中のエレベーターに戻って、非常用ボタンを押してみた。こちらも反応がない。何とか動かないものかと、開閉ボタンやフロアのボタンを手あたり次第押してみたが、どれも反応がなかった。
(仕方ない。エレベーターは諦めるしかない)
照明の位置は各フロア同じはずだ。俺は感で歩いて行って、スイッチにたどり着いた。スイッチを入れてみる。
つかない。真っ暗なままだ。
停電でもしているのか。いや、エレベーターホールの灯りはついている。
(変だ。変だ)
暗闇に目が慣れて来た。うっすらとだが、辺りの様子が見えて始めた。俺は机や椅子を避けながら、オフィス内を歩き回った。
窓際まで行って、外を見る。
何も見えない。ただ、果てしなく暗闇が広がっているだけだ。
(そうだ! 非常階段だ)
非常階段を忘れていた。ビルには緊急時の避難用の非常階段がある。非常階段を使って、降りれば良い。
俺はフロアの端に向かった。
あった。非常階段の入り口だ。
非常階段に出る。
何処もおかしくない。ちゃんと下へとつながっている。
俺は非常階段を降りて行った。
四階からだ。直ぐに地上階に着いた。
非常階段から一階に出た。
見慣れた景色だ。一階に降りることが出来た。
つまらないことを考えてしまった。都市伝説を信じた訳ではないが、このまま地獄へ連れて行かれたらどうしようと思っていた。馬鹿らしい。
俺はオフィスビルを出た。
――何だ! ここは?
外に出た途端、俺は立ち尽くした。
真っ暗だ。夜中でも都会の夜は明るいのに、まるで灯りがついていない。見慣れた景色なのだが何時もと違う。空からぱらぱらと灰のようなものが降って来る。細かい砂塵が漂っていて、空気がどんよりと濁り、息がし辛い。
不思議なことに、俺がいたビルだけが、無傷で佇んでいた。
周りの建物はほぼ全壊していた。道路は寸断され、目の前には、まるで爆弾でも投下されたかのような瓦礫だらけの廃墟が延々と続いていた。
(どういうことだ? 俺が残業している間に戦争でも起きたのか⁉)
そんな馬鹿な。周りで戦争が起きているのに、気がつかなかったと言うのか。だが、そうとしか思えない光景が広がっていた。
(誰かいないのか?)
俺は廃墟となった町を歩き始めた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
夜が明けたはずだが、上空を覆う分厚い雲と大気中に巻き上がった粉塵により太陽光が遮られ、夜明け前が続いているような感じだった。
人っ子一人いない。
いい加減、歩き続けたが、誰とも出会わず、延々と廃墟が続いているだけだった。あらゆる生き物が死滅し、草木も生えていなかった。
途中、喉が渇いた。川があったが、濁った水は紫色に染まっていて、しかもぶくぶくと泡が立っていた。
とても飲めそうもなかった。
(ここは何処なのだ?)
核戦争が起こり、全てが破壊し尽くされ、俺一人、生き残った。そんな感じだった。このまま飲まず食わずだと、その内、餓死してしまう。いや、この空気だって、怪しいものだ。放射能で汚染されているとしたら、俺はもう被爆してしまっているはずだ。
(地獄だ。ここは地獄だ)
俺が乗った、あのエレベーターはタイムループしてしまったのかもしれない。そして、俺は、何年後か年十年後かの世界に飛ばされてしまった。きっとそうだ。
地獄とは人類のエゴがつくりだした世紀末の世界のことだったのだ。
了
拙作をご一読いただき、ありがとうございました。
香港では四階と十三階がないビルが多い。欧米流に一階がグランドフロアになっていたりする。そんなビルで無いはずの四階にエレベーターが止まったら怖いだろうな? という発想から生まれた作品。ホラーな発想だったので、ホラーな作品になってしまった。




