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世にも不思議なショートショート  作者: 西季幽司
不思議な話・その二
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笑う門には福来る

――何時も笑っていないさい。辛い時も、悲しい時も、笑っていないさい。そうすれば、きっと幸せになれるから。だって、笑う門には福来るって言うじゃない。


 母はいつもそう言っていた。

 私は角美幸(すみみゆき)という名前だ。

「笑う門には福来る」ということわざの門は“かど”と読む。私の姓の角も“かど”と読める。笑う角には福来る――という訳で、何時も笑っていないさいと母は言った。

 美幸という名前は、「幸子って名前、意外に幸せになれない子が多いの」と言うことで、母がつけてくれた。美しく、幸せに、という母の願いだった。

 生憎、その両方共、私には縁が無かったけど。

 私の家庭は母子家庭だった。父親のことは知らない。私は私生児で、母は父のことを何も話さなかった。子供の頃、「ねえ、何故、私にはお父さんがいないの?」そう聞いたことがある。母は「だって、ミーちゃんは神様から私が直接、頂いたんだもの」と答えた。

 私は人とは違うのだ――そう思うと妙に誇らしかった。

 小学校に通うようになった。学校の成績は平均以下だし、ブスだと同級生の男の子にからかわれるので、母に文句を言ったことがあった。「神様から直接、もらったなんて大嘘。私は神様が捨てたゴミなんじゃないの」って。すると母が言った。「馬鹿なことを言うものじゃありません。あなたはゴミなんかじゃない。私の宝物よ。幸せの量は一定なの。だから、努力をしなさい。努力して報われないと、十分、不幸だから、その分、幸せになれるのよ」

(何? 意味が分からない)とその時は思った。

 今思えば十分、幸せだった。でも、その頃の私には、そのことが分かっていなかった。

 母が亡くなった。まだ小学生だった。


――辛い時こそ笑いなさい。


 母がいつも言っていた。私は涙をかみ殺して笑ってみせた。

 母の葬儀でへらへらと笑っている私を親戚や知人たちが気味悪そうに見つめていた。そのせいか、私を引き取ろうという親戚は現れなかった。

 私は児童養護施設に送られた。

 正直、そこからのことは思い出したくもない。見た目がパッとしない上に、頭も悪い。いつもへらへらと笑っている。そんな私を気持ち悪いとでも思ったのか、養護施設では浮いた存在だった。いつも、仲間外れにされていた。

 小学校でも同じだった。同級生から気味悪がられて距離を置かれた。スリッパを隠されたり、教科書やノートに落書きされたりといった悪戯は日常茶飯事だった。

 でも、私は笑っていた。


――辛い時こそ笑いなさい。


 母の教えを守っていたからだ。何時か、こんな私にも幸せがやって来る。そう信じていた。

 中学校になっても、幸せは私の側を通り過ぎ去って行った。相変わらず、虐めを受け、無視される毎日だった。

 ただ、マミちゃんという友達が出来た。同じクラスの目立たない女の子。ある日の朝、学校へと続く長い坂道を登っていると、マミちゃんが横に並んだ。そして、「うちは母子家庭なの」と私に打ち明けた。

 自分と同じ匂いを私に感じたのかもしれない。

 私たちは、お互いの傷を舐めあうかのように親しくなった。一緒に下校するようになった。マミちゃんが住むアパートに遊びに行ったことがある。狭くて、家具と生活用品で足の踏み場もないほどだったが、この空間に母親と一緒に住んでいるのかと思うと羨ましかった。

 勉強は嫌いではなかった。だけど、学校の成績は悪かった。私は進学をあきらめ、高校を卒業すると児童養護施設を出て、近所のショッピングモールに就職した。お給料、ぎりぎりになってしまったが、アパートを借りて一人暮らしを始めた。

 たった一人の友人、マミちゃんも「うちに大学に行く余裕なんてないから」と働くことになり、同じショッピングモールに就職できた。二人、一緒だ。私たちは手を取り合って喜んだ。

 こうして新社会人としての生活がスタートした。

 貧しかったが、充実していて楽しかった。私は、毎日、馬鹿みたいに笑っていた。学校では虐めの対象となったが、職場では「何時も笑顔で良いね」と言ってもらえる。最年少の私たちは、職場の年長者から大切にされた。

 恋人ができた。

 私が恋――なんて考えもしなかった。同じ職場の無口な男性だ。私と同じ、総菜コーナーで働いており、彼は総菜の品出しを担当していた。今日は何が売れ筋で、後、何個、何々が欲しい――といった指示が彼から出され、それに基づいて私たちが総菜をつくる。最初、職場の上司としてしか、彼を見ていなかった。

 そんな彼から食事に誘われた時はびっくりした。思わず、私ですか⁉ って聞き直してしまった。

「うん。君だよ」と彼がはにかみながら答えた。

 一緒に食事に行った日に恋に落ちた。

「いいな~」とマミちゃんに羨ましがられた。

 毎日、(こんなに幸せで良いんだろうか)と思っていた。

 だけど、私は私だ。

「お母さんが病気なの」とマミちゃんに言われた時、私は言いようのない不安にかられた。

「お金を貸して」と言われた時には、不幸になることが分かっていが、ありったけのお金を貸してあげた。

「大きな病院に入金することになった」、「治療費が払えない」、「借金しなければならない。連帯保証人になって欲しい」と立て続けに言われた。断り切れずに借用書にハンコを押した。

 そして、マミちゃんは消えた。多額の借金を残して。彼も消えた。マミちゃんと一緒になったと風の噂に聞いた。

 私は全てを失い、借金だけが残った。それでも私は笑っていた。

(もう、いい。疲れた。終わりにしよう)

 仕事が終わってから、ショッピングモールの屋上に上がった。

(お母さん。もう疲れたから、そっちに行きます。怒らないでね。笑う角に福は来なかったみたい。ははは)

 最後に私は力いっぱい笑った。私の笑い声が夜空に吸い込まれて行った。

 屋上からジャンプした。運動神経だけは、少しだけ良かった。助走をつけて、綺麗に飛べた。

 最後の瞬間、人は走馬灯のように人生を顧みると聞く。だけど、私が見たものは、何故か私の笑顔だった。今の笑顔、中年女性になった私の笑顔、老婦人となった私の笑顔。そう、私の将来の、これから見せるはずだった笑顔だった。

 私は死ななかった。

 偶然、ショッピングモールで古着を回収している業者の軽トラックの荷台の上に落ちたのだ。軽トラックを運転していた老夫婦は、空から降って来た私に驚き、慌てて病院に連れて行った。

 荷台は古着でいっぱいだったので、軽傷で済んだ。

 老夫婦が見舞いに来てくれた。病院のベッドで、私はぽろぽろと涙を零しながら笑って言った。「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして――」

「いいのよ~何も心配せずに、ゆっくり養生しなさい」

 老夫婦は福さんと言った。

 笑う()には()来る――なんて素敵な偶然だろうと思った。

 福さんはショッピングモールで、私のことを色々、聞きまわってくれたようだ。「色々、大変だったね。でも、あなた、何時も笑っているそうだね」と福さんは言う。

 退院が決まると、「家賃がもったいないから、うちにおいで」と言われた。

 驚いたことに借金を全て肩代わりしてくれていた。

「それはダメです。そんなことをしていただく理由がありません」と言ったが、「もう払ってしまったから」と意に介さなかった。

 福さんが言う。「大丈夫。それくらいの蓄えはあります。お金より、あなたの命の方が大事ですよ。また、あなたが自殺しようなんて考えないで済むなら安いものです。ほら、何時も通り笑っていなさい。あなたに深刻な顔は似合いませんよ」

「時間がかかるかもしれませんが、働いて、きっと何時か、お返しします」私は、無理矢理、笑顔を浮かべながら言った。

「だったら、うちで働いたらいい」と言う。福さんが言うには、「うちら夫婦、二人、頑張って働いているけど、年々、体が言うことをきかなくなる。誰か若い人を雇いたいと思っているけど、うちみたいなところに来てくれる人なんていない」のだそうだ。

「私なんかで、良いのですか?」

「あなただから良いのよ」

 こうして、私は福さんの家に居候して働くことになった。

 福さん夫婦には息子さんが一人いるが、東京で働いていて、滅多に帰って来ないと言う。

「娘ができたみたい」と喜んでいた。

 半年、経った頃、その息子さんが帰って来た。

「今までのやり方じゃあダメだ。俺が後を継ぐ。東京で色々、勉強して来た。それを生かして、店を大きくしてやる」と息子さんが言った。

「私たちは、今のままで十分ですよ」

 福さん夫婦は、息子さんが帰って来て家業を継でくれることが嬉しそうだった。

(これで私の居場所がなくなった)と思ったが、意外にも、息子さんから、「手伝ってもらいたい」と言われた。

 福さん夫婦が喜んでくれたことは言うまでもない。

 期待にこたえたいと思った。

 私は誰よりも早く職場に出て、店を閉めて帰ることが日課になった。

「働き過ぎですよ」と息子さんは言うが、気にならない。

「私は馬鹿で、仕事の覚えも悪いので、人の倍、働かないと、お店に迷惑をかけてしまいます」

「そんなことはありませんよ。あなたの笑顔に癒される――というお客様がいっぱいいます。私もその一人です」

「だったら、もっと、もっと、笑っています。それだったら、私にもできますから」

 あっという間に、古着屋は大きくなった。

 息子さんは抜群のセンスで古着を流行のファッションに変えて行った。従業員が増えて行き、日本全国に支店ができた。そして、日本を代表するアパレルメーカーとなった。

 そして、息子さんから、「結婚してください」とプロポーズされた。「あなたの笑顔を一生、見ていたい」と彼は言ってくれた。

「私なんかで良いのですか?」と聞くと、「あなたが良いのです」と答える。

 やっぱり親子だ。昔、ご両親から同じようなことを言われた。

「私、絶対にあなたを幸せにします」と言うと、「それは僕の台詞ですよ」と言われた。

 彼と結婚した。

「少しは休みなさい」と彼は言ってくれる。でも、私は働くのが楽しくて仕方がなかった。

 一男一女に恵まれた。

 長男は父親譲りの天才で、跡取り息子として父親について会社の経営を学んでいる。娘は誰に似たのか類まれなる美貌で、芸能界デビューをして女優として活躍している。

 それでも私は店で働き続けている。

「社長夫人になったのだから、従業員が気を遣うでしょう。そんなに働いていたら、返って迷惑だよ」と彼は言うが、辞めるつもりはない。

 だって、幸せの量なんて、一定なのだから。こんなに幸せだと、不幸が来るのが怖い。だから、もっともっと苦労をしなきゃあ。

 毎日、笑顔でいること以外、私には何もできないのだから。


                                           了

 拙作をご一読いただき、ありがとうございました。


 優しい話を書きたくて書いた作品。「笑う門には福来る」を実践した女性の話を書いてみた。

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