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コーヒーブレイクにショートショートを  作者: 西季幽司
コーヒーブレイク・その二
38/105

さくらアパート

 急いでいた。

 寝過ごして会社に遅刻しそうだった。駅までショートカットすることにした。狭い裏路地をうねうねと歩かなければならない。服が汚れるのは嫌で、今まで使ったことがなかった。

 背に腹は代えられない。ショートカットを使えば、駅まで五分以上、短縮できるはずだ。

 裏路地に足を踏み入れた。

 狭い、家屋と塀の間の、人一人、やっと通ることができる狭い通路を行く。こっちだったっけ? 間違いない。こっちのはずだ――と、足早に歩く。

 やがて、開けた場所に出た。


――なんだ⁉ ここは。


 四階建ての古びたアパートがあった。アパートの前に駐車場があって、広々としている。そのアパートを見た瞬間、体にビビと電流が走った。

(幼い頃、このアパートに住んでいた)と思った。

 だが、そんなはずない。

 大学を卒業して東京に働きに出て来た。実家は九州で、うちの両親どころか、親戚中、見回しても、東京に住んだことがあるのは僕が初めてだった。

 だが、見覚えのあるアパートだ。入り口の表札を見ると、「さくらアパート」とある。ああ、この表札にも見覚えがあった。僕ら家族が住んでいたのも「さくらアパート」だった。

 懐かしい。あの二階の角部屋に一家、三人で住んでいた。

 暫く、呆然とアパートを見つめていたが、時間がないことに気がついた。慌てて、駅を目指したが、がっつり遅刻してしまった。


 高度経済成長期に住宅不足の解消を目指して、日本各地で団地がつくられたと聞く。

 恐らく、僕らが暮らしたのと同じような団地が、日本中にあったはずだ。「さくらアパート」という名前も、ありふれた名前だ。あちこちにありそうだ。

 たまたま、偶然、同じ名前の似たアパートが近所にあった。そう理解した。

 だが、気になった。

 休みの日に、もう一度、アパートに行ってみた。やはりあった。ちゃんとあった。夢なんかではなかった。

 二階の角部屋は空き部屋になっているようだった。

 迷ったが不動産会社に連絡を取ってみた。恐る恐る、「部屋を見たいのですか・・・」と言うと、「何時か良いですか? 今、アパートの前⁉ じゃあ、今からでも良いですか?」と直ぐに飛んできてくれた。

 部屋を見せてもらった。

 同じだ。記憶は曖昧になっていたが、同じ間取りのような気がした。ただ狭い。住んでいたのは、まだ幼かった頃だ。子供の頃に見ていてものは、大人になって見ると、何でも狭く、小さく感じる。

 家賃は格安だったが、やはり古かった。

「状態は良いほうですよ~」と不動屋さんは売り込んできたが、わざわざ引っ越して来るのは面倒に思えた。

 その時、リビングの柱の傷が目に入った。

 背比べだ。子供の身長を柱に刻んで、成長の軌跡を残した跡だ。懐かしい。僕も昔、柱に身長を刻んでいたことがあった。

(懐かしいな)とうずくまって柱の傷を見て愕然とした。

 日付の横にナオと書いてあった。

 日付は子供の頃と符号しているし、僕の名前は直樹だ。両親からはナオと呼ばれていた。

(えっ⁉ 何故?)

 子供の頃に住んでいたアパートが時空を超え、現代の東京に現れた――のか⁉ そんな訳ない。たまたま、僕が子供の頃に住んでいたのとそっくりのアパートにナオという子が住んでいただけだ。大体、ナオなんてありふれた名だ。男の子は勿論、ナオコだとかナオミだとかいう女の子だって、ナオと呼ばれていたはずだ。

 そう自分を納得させた。

 だが、懐かしい。結局、家賃が安かったので、引っ越して来ることにした。一人暮らしには十分過ぎる広さだった。


 窓から公園が見えた。

 その光景も子供の頃に見た光景と同じだった。かつて僕らが住んでいたアパートの窓から、も公園が見えた。当時は広い公園だったが、目の前の公園は猫の額ほどの狭さだった。

 まあ、子供の頃に見たものは、大人になると狭く、小さく感じる。この部屋と同じ理屈だ。

 夏のある夜、公園で親子が花火をやっていた。

 ぼんやり、その様子を見ていて、(そう言えば、子供の頃、裏の公園で親父と花火を上げたなあ~)と思い出した。

 その時の記憶が、今まで思い出したことがなかった記憶を唐突に蘇らせた。

「ナオ、大きくなったら、何になりたい?」と親父が尋ねた。

「パイロット!」と僕は答えた。

「ほう~パイロットになりたいのか」

「うん。パイロットになって、色々な国に行ってみるんだ」

「頑張れよ」

「約束する。僕、パイロットになる」

「パイロットになれなかったらどうする?」

「そしたら、僕の誕生ケーキをお父さんにあげる」

 そんな会話をした。あの当時、僕にとって一番、大切だったものは誕生ケーキだったらしい。

 結局、親父は僕が大学在学中に亡くなった。大学生になった時には、もうパイロットになる夢なんて持っていなかった。子供の頃の約束なんて、親父も忘れていたはずだ。「お前の好きなことをやって良いが、大学を出たら、もう支援はしないぞ」と言っていた。

 親父の「もう支援はしないぞ」は「支援はできなくなるぞ」という意味だった。病状が悪化していて、「ナオの将来を見守ってやることができない。そのことが悔しい」と母に言っていたらしい。

 誕生日にケーキを買って来た。

「親父。誕生ケーキをあげるね」

 うちに仏壇はないが、冷蔵庫に入れておいて、翌日、食べた。


 結婚してアパートを出ることになった。

 新婚生活を送るには、流石にボロ過ぎた。彼女は「家賃が安いからここでも良い」と言ってくれたが、こちらにも見栄がある。それに、家賃が安いとあって、彼女と暮らすにはセキュリティが心配だった。

 小奇麗なマンションに引っ越した。

 引っ越し荷物を(ほど)いていると、不思議なものが出て来た。手紙だ。親父からの手紙だった。親父から手紙をもらった記憶なんて無かったが、開封してあるところを見ると読んだのだろう。何故か衣類に混じって箱詰めしてあった。

「君がみつけて入れたの?」と彼女に聞くと、「知らない」と答えた。

 読んだことさえ覚えていない手紙が、突然、湧いて出て来た。

(何が書いてあるのだろう?)

 親父の手紙を読んだ。

 大学に進学し、家を出て一人暮らしを始めた頃に、親父が送ってくれたもののようだ。火元はしっかり確認しろ。戸締りには気を点けろ。隣人とは仲良くしろ。人様に迷惑をかけるな。ルールを守れ。友達はたくさんつくれ。そして大事にしろ――と言ったことが、延々と綴られていた。

 家を出たての僕は、それを口うるさいと思ったのだろう。だから、ろくに読まずに、何処かに仕舞ってしまったのだ。

 手紙の最後にこう記されてあった。


――ナオよ。お前が何処にいても、お父さんは何時もお前のこと、見守っているからな。


 親父が亡くなるのは、この後のことだ。

 僕は泣いた。彼女に縋りついて泣いた。手紙を握り締めて子供のように泣きじゃくる僕を彼女は優しく抱きしめてくれた。


 その後、老朽化の為だろう。さくらアパートは取り壊されてしまった。


                                           了

 拙作をご一読いただき、ありがとうございました。


 子供の頃、アパートに住んでいたことがある。大きな団地で子供たちがいっぱいいて、楽しかった。そんなことを思い出しながら書いた作品。

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