どっちが幽霊?
「お客さん。あんた、幽霊なのかい?」と運転手が言った。
「私が?」と後部座席の客が答える。
「だって、雨の夜に、こんな寂しいところを、一人でずぶ濡れになって歩いているなんて変じゃないか」
後部座席に座る若い女性客は長い髪で白い服を着ていた。全身、ずぶ濡れで、長い髪が顔に張りついていた。車内が暗いので、バックミラー越しに、青白い顔をしていることは分かるのだが、表情が全く見えなかった。
「そうですか?」
「ここまで、どうやって来たんだい?」
「友人の車に乗って来ました」
「だったら、何で一人なんだい?」
「それが、ちょっとした言い争いになって、車から降ろされたのです」
「彼氏かい? そりゃあ、ひどい奴だね」
「全く・・・つまらない男に引っかかってしまいました」
「俺が通りかからなきゃあ、死んでたかもしれないよ」
「本当に・・・」
「で、あんた、くどいようだが幽霊じゃないよね?」
「違いますよ。それより運転手さん」
「何?」
「運転手さんこそ、幽霊じゃないでしょうね?」
「俺が? 幽霊?」
「この辺りで幽霊タクシーが出るって聞きました。あるタクシーが、お客さんを送っていった帰りに事故に遭って、成仏できずに走り回っている。うっかり幽霊タクシーに乗ってしまうと、あの世に連れて行ってしまうって」
「はは。馬鹿らしい」と運転手が笑った。
だが、後部座席からは、バックミラーに映る運転手は、制帽を深くかぶっていて顔が全く見えなかった。
「だって、こんな雨の夜に、こんなところを走っているなんて変じゃないですか? お客さんがいる訳ないから」
「それは、あんた、客を送って行った帰り道だったからさ。こっちもお客さんを拾うことができるなんて思ってなかったよ」
「どこかで聞いたような話ですね。なんだか暗くて顔も見えないし」
「だから、幽霊なんかじゃないって。ほら、顔、見せようか?」と言って、運転手が後ろを振り返った。
「危ない! 前、前を見て‼」と女性客が叫ぶ。
運転手が慌てて前を向く。すると、前方に人影が――
「うわわわわぁ~!」
運転手が急ブレークを踏む。タイヤがききききき~! と音を立てる。タクシーが急停車しようとするが、雨でタイヤが路面を滑って、急には止まれない。
――撥ねた!
と思ったが、何の衝撃も感じなかった。
幸い、運転手も後部座席の女性客もシートベルトをしていたので、怪我はなかった。だが、急停車のショックで、シートベルトに圧迫されて、二人共、一瞬、気が遠くなった。
運転手が意識を取り戻す。
「大変だ。人を撥ねたかもしれない!」
運転手が車を飛び出した。
雨が細々と路面は叩いていた。
道路に出た。何もない。ヘッドライトが道路を明るく照らしていたが、路上には何もなかった。車の背後に回ってみた。
こちらも何もない。
心配した女性客が後部座席から出て来た。
「いました?」
「それが、誰もいない。何もないんだ」
「でも、確かに人影が見えました」
「俺も見た。だけど、いない」
「変ですね~」
「変だ」
「車はどうです。人を撥ねたのなら、へこんだり、壊れたりしていませんか?」
「ああ、そうだな」と運転手はタクシーの周りをぐるりと回って傷がないか確かめた。
「どうです?」
「異常はない」
「見間違いだったんですかね」
「そうだったんだろう。人を撥ねたにしては、衝撃がなかったから」
「そうでした。ひょっとして・・・」
「ひょっとして?」
「あれ、幽霊だったりして」
「ああ、なるほど」
タクシーは幽霊を撥ねたのかもしれない。タクシーが走って来るのを見て、幽霊は乗客を装って、拾ってもらおうとした。だが、よそ見をしていた運転手は、それに気がつかずに撥ねてしまった。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。悪いね。驚かせて。濡れるから、車に戻ってくれ。送って行くよ」
雨の中、タクシーは走り去った。




