好きな子がいるんだ
毎朝、電車で通学している。
最近、凝っているのが、吊革につかまって「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と呪文を唱えることだ。
都市伝説があった。
電車で吊革に摑まって、「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と唱えると、吊革の魔人が現れる。魔人が「お前の願いを叶えてやろう」と言うので、願いごとをすれば叶えてくれると言うのだ。魔人が現れるのは、一日に一度だけ。一度、現れた人間のもとには二度と現れない。そう聞いた。
魔法のランプの吊革版だ。
満員電車の暇つぶしとして、暇な学生が考え出したのだろう。吊革の魔人だなんて、そんなもの、いる訳がない。だけど、この都市伝説はSNSで拡散し、今や、電車で通勤、通学している人間で知らぬ者などいないほど広まっている。
僕には悩みがあった。
何時も通り、「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と口ずさんでいると、もやもやと雲のようなものが吊革の上に広がった。
「わたしにご用事ですか~?」と雲の中に小男の上半身が現れた。
薄くなった額、卵型の顔、昔風の両端がぴんと撥ねた口髭、魔人というより、名探偵といった風貌だ。吊革の上に広がった雲の中に、名探偵の上半身が浮かんでいた。
魔人だ。吊革の魔人が現れた。
慌てて周囲を見回したが、誰も魔人に気がついていない。
そうだ。吊革の魔人は呼び出した人間にしか見えない。そんな話を聞いたことがある。
「実は相談があるのです」と魔人に向かって話しかける。
目の前に座っていた女性が「えっ⁉」という顔をした。自分に向かって話しかけたのかと勘違いしたようだ。僕が上を向いて話しているのを見て、「ああ~」と合点がいった様子だった。吊革の魔人の都市伝説を知っているのだ。
「何でしょう?」魔人が答える。
「幼馴染の女の子がいるのです」
右隣のサラリーマンが聞き耳を立てているのが分かった。でも、そんなこと、構っていられない。僕は悩んでいるのだから。
「ほう~それで?」
「小学校一年生の一学期、隣に座っていたのが彼女なのです。僕たちは直ぐに仲良くなって、友だちになりました。小学校で最初に出来た友だちでもあるのです。不思議なもので、それからずっと同じクラスでした。クラス替えがあっても、彼女だけは何時も一緒だったのです。
勝気な女の子で、僕ら男の子に混じって遊んでいました。だから、放課後も彼女と一緒でした。家もまあ近所で、歩いて十分くらいのところです。男の子の友だちを別れてからも、家に帰り着くまで、まだ彼女と遊んでいたりしました。朝になると、彼女の家に迎えに行って、一緒に学校に行って、一緒に遊んで、一緒に帰る。ずっとそうやって来ました」
「へえ~」と小さく声を漏らしたのは左隣に立っていた女子大生風の女性だ。
「中学校も同じ学校で、またクラスが一緒でした。流石に中学生になると、何時も一緒という訳には行きませんでしたが、毎朝、一緒に登校していました。何でも彼女には話せたし、彼女も話してくれた。僕にとってかけがえのない人でした」
「うんうん」と目の前の女性が頷く。
「一緒にクラブに入ろうと、男女、クラブがあるバレー部にしました。彼女は運動神経が良かったし、背も高かったので、一年生でレギュラーになりました。僕は運動がそんなに得意では無かったので、レギュラーになったのは三年生の時でした。でも、そうやって放課後も一緒にバレーに汗を流しました」
「ふ~ん」と隣のサラリーマンが相槌を打った。
「同じ高校に行こうと、一緒に受験勉強をしました。僕、運動はダメでしたけど、成績は良かったのです。放課後になると、毎日、彼女の勉強を見てあげました。彼女、成績はギリギリだったのですが、何とか同じ高校に受かることができました。合格発表の時、二人で手を取り合って喜びました。その時、僕は思ったのです。これからも、ずっと彼女と一緒にいたいって」
「好きになったのね?」と女子大生風の女性から聞かれた。
「はい」と僕が答えると、「ほう~」とサラリーマンがまた声を漏らした。
「それで?」と目の前の女性に聞かれる。
「高校に入ってから、彼女との関係が少しずつ変化して行きました。運動神経抜群の彼女は高校でもバレーをやりたいとバレー部に入部しましたが、僕は運動がさっぱりですので、囲碁部に入りました」
「囲碁とは渋いね~」とサラリーマンだ。
「相変わらずクラスは同じでしたけど、彼女は彼女の友だちと一緒にいる時間が増えて、僕は囲碁部の仲間と一緒にいることが多くなりました。段々、会話が減って、最近は一日、一度も話をしない日があります。朝の通学も彼女、朝練があると早く登校するようになりました。それに・・・」
「それに?」と今度は女子大生風の女性だ。
「バレー部のキャプテンと最近、仲が良いみたいなのです。あの二人、デキているんじゃないかって、噂になっていると聞きました。彼女、高校生になって、すっかり女性らしく、綺麗になって、それに、明るくてさばさばした性格なので、男性生徒からとても人気があるのです。彼女が段々、遠くに行ってしまっているような・・・そんな気がします。僕は相変わらず、こんな感じだし・・・」
「あら、十分、恰好良いわよ」と目の前の女性が慰めてくれる。
「大学受験を考えなければならない頃ですので、また一緒の大学に行きたい、一緒に受験勉強がしたいと思って、彼女に何処の大学に進学するのか聞いたのです。そしたら、彼女、僕が目指している大学はとても無理だって言うのです」
「何処を目指しているの?」とサラリーマンに聞かれたので、大学名を答えると、「君、頭、良いんだね~」と感心された。
「僕、どうしたら良いのでしょうか? このまま、彼女のこと、あきらめた方が良いのでしょうか?」
「何でよ! 彼女に正直に言いなさい。好きだって」と女子大生風の女性に怒られる。
「だって、告白してフラれたら、同じクラスで、毎日、顔を会せるのに、気まずいじゃないですか」
「いいの? 彼女をバレー部のキャプテンに取られても」
「それは・・・」
「だったら当たって砕けなさい」
すると、それを聞いていたサラリーマンが「まあ、まあ。君、目の前に吊革の魔人がいるんだろう。だったら、彼に頼みなよ。彼女と恋人になりたいって」と言うと、「ダメ!」、「そんなのダメよ!」と女子大生の女性と前の前の女性が同時に声を上げた。
「そんなものに縋って上手くいったって、幸せになれないわよ」と目の前の女性が言うと、それまで黙って僕の話を聞いていた吊革の魔人が「そんなもの・・・ですか」と呟いた。
「彼女、きっと待っているのよ。あなたから告白されるのを。あなたが、彼女が遠くに行ってしまっているような気がするのと同じように、彼女もあなたが遠く行ってしまっていると感じているはず。あなた、頭、いいみたいだから、彼女だって、将来を考えたら、あなたと一緒にいた方がいいって分かっているはず。もう、そんな年頃だわ」と目の前の女性
「そんな・・・打算的な」とサラリーマンが呆れる。
「女は大変なの。色々、考えているのよ! あなた、今日、これから学校に行って、彼女に告白しなさい。あなたのことが好きです。ずっと一緒にいたいって。正直にそう言うの。心を込めてね。女はそういうのに弱いから。そして、明日、この電車の、この車両に乗って来て。私も同じ電車に乗るから、結果を聞かせて」と女子大生風の女性が言うと、「私も」、「ああ僕も乗る」と目の前の女性とサラリーマンが言った。「いいね」、「楽しみ」という声が周りから聞こえた気がした。
吊革の上に浮かんでいた魔人が言った。
「どうやら、あなたの悩みは解決したようですね。ほほほ。では、私はこれにて失礼しますよ~」
吊革の魔人のことをすっかり忘れていた。魔人は吊革の上でくるくると回転すると、消えていった。
翌日、僕は同じ電車の同じ車両に乗った。
いた。女子大生風の女性、サラリーマンに目の前に座っていた女性が、僕を迎えてくれた。
「ねえ、どうなったの?」、「早く結果を聞かせて」
電車に乗り込むなり、そう言われた。三人だけではない。昨日、この電車に乗っていた人たちが大勢、乗っているようだった。
「はい。昨日、学校で彼女に告白しました。あなたのことが好きです。ずっと一緒にいたいって」
「それで?」
「彼女も同じ気持ちだと言ってくれました」
「おお~!」、「やったね」、「よくやった!」車内で歓声が沸き上がった。
「おめでとう~!」
車内は割れんばかりの拍手で包まれた。
了
拙作をご一読いただき、ありがとうございました。
本作の世界観が好きで、もう少し長々と書いていたかった作品。ショートショートなので、泣く泣く短くまとめた。