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コーヒーブレイクにショートショートを  作者: 西季幽司
ナムカミナムカミツツガナキヤ
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会いたい

 何時もの満員電車だった。

 車内は仕事帰りのサラリーマンで溢れていた。疲れ切った表情で呆然と吊革につかまる者、熱心に携帯電話の画面を見つめる者、目を閉じて睡魔と戦っている者など、何時もの見慣れた光景が目の前に広がっていた。


――ナムカミナムカミツツガナキヤ。


 どこからか微かに声が聞こえた。

 あの都市伝説だ。

 電車で吊革に摑まって、「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と唱えると、吊革の魔人が現れる。魔人が「お前の願いを叶えてやろう」と言うので、願いごとをすれば叶えてくれると言うのだ。魔人が現れるのは、一日に一度だけ。一度、現れた人間のもとには二度と現れない。

 魔法のランプの吊革版だ。満員電車の暇つぶしとして、暇な学生が考え出したのだろう。吊革の魔人だなんて、そんなもの、いる訳がない。だが、この都市伝説はSNSで拡散し、今や、電車で通勤、通学している人間で知らぬ者などいないほどだ。

 何も考えていなかった。真似したくなっただけだ。

「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と呟くと、もやもやと雲のようなものが吊革の上に広がった。

「わたしにご用事ですか~?」と雲の中に小男の上半身が現れた。薄くなった額、卵型の顔、昔風の両端がぴんと撥ねた口髭、魔人というより、名探偵といった風貌だ。吊革の上に広がった雲の中に、名探偵の上半身が浮かんでいた。

 魔人だ。吊革の魔人が現れた。

 周囲を見回した。誰もこちらを気にしていない。どうやら、自分だけにしか魔人の姿は見えないようだ。

「さあ、願いごとは何ですか~?」と魔人が聞いた。

(何だろう?)と考えた。本当に魔人が現れるとは思ってもいなかった。願いごとなんて、何も考えていなかった。

 僕は反射的に答えた。


――お母さんに会いたい。


 母さんは僕がまだ三つの頃に事故で亡くなった。僕には母さんがいない。そのことで、子供の頃は随分、寂しい思いをした。大人になって、吹っ切れたと思っていたが、まだ心の何処かに、母さんに会いたいという感情が残っていたようだ。

「分かりました~あなたの願いを叶えてさしあげます~」

 魔人は吊革の上でくるくると回転すると消えた。

 何が起こるのだろうか。タイムスリップする? 現代に母さんが蘇る? 僕は待った。だが、何も起きなかった。

(な~んだ。何もないじゃないか)と、直ぐに魔人のことは忘れてしまった。

 まだ最寄り駅まで五つある。僕は吊革につかまったまま寝た。

 一週間後、叔母から連絡があった。叔母は父の年の離れた妹で、僕と年が近い。「良い人がいるの。会ってみたら」と職場の後輩という女性を紹介された。

(なんだか見合いみたいだ)と乗り気ではなかったが、彼女いない歴が年と一緒の僕は、彼女が欲しかった。

 叔母がレストランを予約してくれた。

 会ってみたら、もの凄く気に入った。性格が良くて、とにかく顔がド・タイプだった。叔母に「どうだった?」と聞かれて、「一目惚れした」と正直に伝えると、「うん。正直でよろしい。私が何とかしてあげるわ」と頼もしい返事が返って来た。

 叔母が強引に口説いたらしい。後々、「あなたの叔母さん、強引だったから」と彼女に何度も言われた。叔母のお陰で、無事、彼女と付き合うことができるようになった。

 不思議だった。年々、時間の流れが早く感じるようになっているのに、二人で陽だまりに座って見つめ合っていると、時が止まってしまったかのように感じる時があった。

 一年も経たずに、僕らは結婚した。

「どう? 私、見る目、あるでしょう」と叔母が鼻高々だったことは言うまでもない。

 地元で結婚式を挙げた。祝福の嵐に包まれて、僕は夢の中にいるような気持ちだった。

 朝、会社に出かける時、アパートの窓から妻が手を振ってくれる。その姿に投げキッスを返すのだが、「人に見られたら恥ずかしいから止めて」と妻に言われていた。でも、それが楽しくて、毎日、投げキッスをやっていた。

 翌年には子供が生まれた。

 男の子だった。

 仕事に家庭に、僕は充実した毎日を送っていた。暮らしを共にすることにより、妻への愛情が深まって行った。妻は専業主婦で、日中、家にいる。会社で仕事をしていて、(ああ~彼女に会いたい)と思うことが、日課になっていた。

 息子が一歳になった。

「ねえ。近所にケーキ屋さんができたみたいなの」と妻に言われて、誕生ケーキを買いに行った。美味しかった。「また、来年も買いに行こうね」と妻が言うので、僕は妻の口元についたクリームを拭ってあげながら、「あそこ、途中、歩道がないところがあるから気を付けないとね」と答えた。

 息子が二歳になった。

 休日だったので、写真館に家族写真を撮りに行った。毎年、同じ日に、家族写真を撮影している家族をテレビで見て、やってみたくなった。家族三人、写真に納まるのも悪くない。そう思った。

 妻は写真の出来栄えに満足したようで、「来年も家族写真、撮りましょう」と言っていた。妻の笑顔が眩しかった。

 息子が三歳になった。

 妻は息子の誕生ケーキを買いに出て、車に撥ねられた。

 即死だった。週末に、写真館に家族写真を撮りに行く予定になっていた。妻は約束を守ってくれなかった。

 会社で警察から事故の連絡を受けた時、僕は絶望し、気を失った。



 目が覚めた。

 僕は吊革につかまっていた。寝ていたようだ。

 夢を見ていたのか? いや、夢にしては、リアルだった。思い出した。僕は吊革につかまって呪文を唱えた。すると、吊革の魔人が現れて、僕は願いごとをした。

 母に会わせてくれと。

(ああ、そうか)

 やっと分かった。

 電車が停まった。まだ最寄り駅まで四つあった。一駅、移動する間に、僕は父の人生の一部を、父が母と過ごした日々を追体験したのだ。

 母に会えた。

 部屋に飾ってある家族写真の中でしか知らなかった母の素顔を見ることができた。母が交通事故で死んだことは知っていたが、僕の誕生ケーキを買いに行って、車に撥ねられたことは知らなかった。

 父が黙っていたようだ。

 父の記憶の中の母はキラキラと輝いていた。母の笑顔は父を幸せにしていた。そして、どれだけ、父が母のことを愛していたのか、痛いほど思い知らされた。

 週末、実家に顔を出そう。

 久しぶりに父の顔を見たくなった。


 拙作をご一読いただき、ありがとうございました。


 本作は「邯鄲の夢」(唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事)が題材になっている。

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