さまよいタクシー
「家に帰って寝たいな~」
「あなたがフラッシュなんて焚くから」
同じ会話を何百回、何千回、何万回、繰り返したことだろう。
あの日、俺はタクシーに乗った。
幽霊タクシーの噂を聞いたからだ。山深い一本道、カーブを曲がり切れずにタクシーが崖から転落した。以来、山道に幽霊タクシーが出現するようになった。うっかり、幽霊タクシーに乗ってしまうと、あの世に連れて行かれる。そんな噂を聞きつけ、幽霊タクシーに乗ってみようと思った。一部始終をSNSにアップすれば、バズるはずだった。
深夜、友人に頼んで山道に車で送ってもらい、小雨がそぼ降る中、歩いていると、タクシーがやって来た。幽霊タクシーだ! と大喜びで乗り込んだ。
幽霊タクシーの運転手は家族の話に弱いと聞いていたので、「俺、来年、卒業なんスけど、お袋、大企業に入りなさいって言うんですよ。あんたはサボりだから、人が大勢いるところじゃなきゃあダメだ。人が少ない職場だと、サボっているのがバレてしまう。人がいっぱいいたら、サボってたって分からないでしょう――ですって。笑えるでしょう」なんて会話をしてから、携帯電話で動画を撮影しようとした。SNSにアップするには動画が必要だった。
車内が暗かったので、フラッシュを点けた。それが悪かった。
フラッシュの灯りがバックミラー越しに運転手の眼を直撃して、視界を失ったタクシーは崖から転落した。
以来、俺たちは幽霊タクシーとなって真っ暗な夜道を走り続けている。
「聞いた話なんですけどね」と運転手が言う。
どこで聞き込んで来たというのだ?
「私たちの前に幽霊タクシーをやってきた運転手が山道で拾ったお客さんを町まで運んだら、成仏できたみたいなんです。私もお客さんを町まで運んだら成仏できるかもしれません」
「へえ~じゃあ、お客さんを町まで運んで行ってあげなよ」
「あなたが乗っていると、お客さんを拾えないじゃないですか!」
「ああ、そうか。じゃあ、俺を降ろせば良い」
「それが車を停めることができないのです」
「なら、ドアを開けてよ。俺、飛び降りるから。大丈夫、今更、死にやしない」
「運転中はドアが開かないのです」
「ふ~ん」
俺たちは永遠に深夜の山道をさまようしかないのだ。
「家に帰って寝たいな~」
「あなたがフラッシュなんて焚くから」
という会話を繰り返していると、「おや⁉ こんな時間に山道を歩いている人がいる」と運転手が驚きの声を上げた。確かに人が歩いている。近くに車が停めてある。車が故障したのだ。
「あの人、乗せてあげなよ。そして、町まで連れて行ってあげれば、運転手さん、あんた、成仏できるよ」と言うと、「良いんですか!」と運転手が嬉しそうに返事をした。
「良いよ。俺はあそこで降ろしてくれ」
「車を停めることができるか、やってみます」
不思議なことにタクシーが停まった。
歩いていたのは中年の男性だった。山の中で車が故障して途方に暮れていた。タクシーが停まったのを見て、「助かった~」と歓声を上げた。
運転手が俺に聞く。「良いのですか?」
「構いません。彼を送って行って成仏してください」
「はい。そうします。長い間、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「最後に名前を教えてもらえませんか?」
こんなに長い間、一緒にいたのに、お互いの名前を知らなかった。
「俺の名前はリュウセイ」
「リュウセイさん。私はホリエと申します」
「じゃあ」
「では――」
タクシーのドアが開いた。俺はタクシーを降りた。中年の男性は俺の姿が見えないようで、俺がタクシーを降りると同時に、タクシーに乗り込んで来た。
中年の男性が俺の体をすり抜ける。
タクシーは中年の男性を乗せて行ってしまった。
山の中に一人、残された。これから、どれくらいの時間、ここで独りぼっちなのだろう。急に寂寥感が押し寄せて来た。
俺は泣きたくなった。
ふと、足元を見ると、花が置いてあった。花束と一緒にメッセージがおいてある。
「なになに?」
メッセージにはこう書かれていた。
リュウセイ。お母さんです。あなたが亡くなって、もう三十年、経ちます。
先日、肺炎で入院して、足腰がすっかり弱ってしまいました。私も年です。ここにお花を持って来るのも、これが最後になるでしょう。
あなた、面倒臭がり屋で、何でもサボるので、きっと成仏するのが面倒で、この辺にいるような気がします。先に行って、お母さんのこと、待っていてください。
三十年!あの日から、もう三十年が経ってしまった。母さんの言う通りだ。俺は成仏できずに、ここを漂っている。
「母さん・・・ゴメン」
俺は泣いた。泣いたのは何時以来だろう?
やがて、柔らかい光が俺を包み始めた。光に包まれ、俺は成仏した。
拙作をご一読いただき、ありがとうございました。
「幽霊タクシー」の続編となる作品。「幽霊タクシー」のアイデアを思い付いた時、本作のアイデアも湧いて来た。




