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コーヒーブレイクにショートショートを  作者: 西季幽司
ナムカミナムカミツツガナキヤ
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あの人の願い

 今日、病院に行ってきた。

 余命半年を宣言された。自覚が無かったので驚いた。

「これからどうする? 残された時間をどう生きる? 貯金は大丈夫か? 妻や子に何と言おう。あいつら、泣いてくれるかな。もう良い年だ。後悔はない。いや、後悔だらけだ。元気な内に、妻を旅行に連れていったり、ブランド品を買ってあげたり、色々、やっておけば良かった。待てよ。いつも家族のことばかり考えて、自分には何もしてやっていない。いや、もう物なんて要らない。美味しいものでも食べに行こうか・・・」

 帰りの地下鉄で空いていた席の腰掛け、とりとめもなく考え続けていた。「しっかりしろよ!」と動揺する自分を冷静に見つめている、もう一人の自分がいた。

 電車が駅に停車し、若い女性が乗って来た。白杖をついている。視覚障害があるようだ。私は席を立って、彼女に席を譲った。

「ありがとうございます」と女性がほほ笑んだ。

 若い。まだ十代だろうか。しかも、かなりの美人だ。

 つい、ポロリと「大変ですね」と言ってしまった。彼女は、「生まれつきですから、慣れています」と明るく答えた。

 良い子だ。こんな良い子が――と思うと、いたたまれなくなった。

 吊革につかまる。ふと、息子から聞いた話を思い出した。

 都市伝説だ。

 電車で吊革に摑まって、「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と唱えると、吊革の魔人が現れる。魔人が「お前の願いを叶えてやろう」と言うので、願いごとをすれば叶えてくれると言うのだ。魔人が現れるのは、一日に一度だけ。一度、現れた人間のもとには二度と現れない。そう息子から聞いた。

 魔法のランプの吊革版だ。満員電車の暇つぶしとして、暇な学生が考えたのだろう。吊革の魔人だなんて、そんなもの、いる訳がない。だが、この都市伝説はSNSで拡散し、今や、電車で通勤、通学している人間で知らぬ者などいないほど広まっているようだ。

 馬鹿らしいと思っていたが、藁にも縋る思いだった。

「ナムカミナムカミツツガナキヤ」と口ずさんでみた。

 すると、もやもやと吊革の上に雲のようなものが広がり、「わたしにご用事ですか~?」と小男の上半身が現れた。薄くなった額、卵型の顔、昔風の両端がぴんと撥ねた口髭、魔人というより、名探偵といった風貌だ。吊革の上に広がった雲の中に、名探偵の上半身が浮かんでいた。

 魔人だ。吊革の魔人が、本当に現れた。

 周囲を見回した。そこそこ混んでいたが、誰も魔人を気にしていない。どうやら、他人に魔人の姿は見えないようだ。

「願いごとは何ですか~?」と魔人が聞いた。


――私の病気を治してください。


 という言葉が、喉まで出かかった。真っ先に頭に浮かんだのは、当然、病気のことだ。今、この時、それ以上の願いごとなんてない。

 だが、その時、目の前の少女が目に入った。

(彼女はこの色鮮やかな世界を知らないんだ・・・一度で良いから見せてあげたいな)

 そう思った瞬間、私は声を張り上げていた。

「この少女の、目の前に座っている少女の眼を治してあげてください。彼女に、この素晴らしい世界が見えるようにしてください」

 そう言った時、私は何故か涙ぐんでいた。

 私の声に、彼女が驚いて顔を上げる。

「分かりました~あなたの願いを叶えてさしあげます~」

 魔人は吊革の上でくるくると回転すると、消えた。そして、彼女が叫んだ。「ああっ! 見える。見える。目が見える。ああ、なんて眩しいの。私・・・私・・・私・・・」

 突然、見えるようになった眼に、彼女は動揺していた。

 その姿を確かめてから、私はこっそり地下鉄を降りた。



 病院からの帰り道、地下鉄に乗っていた。

 病院に通うのも、これが最後になるだろう。私の体力は、もう限界だった。

 それでも見栄を張って、吊革につかまりながら思った。

(もう呪文は使えないな。あの子は幸せになっただろうか。目が見えるようになって、人生を楽しんでいるだろうか。いきなり目が見えるようになって、戸惑うことばかりで困っているのではないか・・・)そんなことを考えた。

 後悔なんかしていない。私は十分、生きた。私の人生を彼女にあげたのだ。そう思うことにした。

(ああ~今日は辛いな。座りたいな・・・)と考えた時、吊革の上に、もやもやと雲のようなものが広がり、吊革の魔人が現れた。

「どうしたんだ? 吊革の魔人は一度、現れた人間のもとには二度と現れない。そうじゃなかったのか?」と聞くと、魔人が言った。

「願いをかなえに来ました」

「ナムカミナムカミツツガナキヤって唱えていないぞ」

「今日は女の子の頼みで来ました。ほら、覚えているでしょう。この前、目が見えるようにしてくれって願った、あの少女です。あの少女に呼び出されたのです。彼女に願いごとは何ですか? と聞くと、あなたの願いを叶えて欲しいと、そう彼女にお願いされました」

「ああ~」

 なんてことだ。ありがたい。良いことはしておくものだ。きっと彼女は喜んでくれているのだ。だから、こうしてお返しをくれた。

 私は言った。「私の病気を治してください」

 拙作をご一読いただき、ありがとうございました。


 このショートショート集では、明るく楽しい作品を集めることにしたが、ちょっとシリアスになり過ぎてしまったので、思いっきりハッピーなエンドにした作品。

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