思い出スープ
鄙びた中華料理屋に行列が出来ていた。
典型的な町中華に見えた。庶民の台所として親しまれて来たのだろう。行列に並んでいるオジサンに尋ねてみた。
「ここ、美味しいの?」
するとオジサンが答えた。「いいや。不味い」
「じゃあ、サービスが良いの?」
「ジジイとババアがやっている店だ。サービスなんて良い訳がない」
年季の入った外観だが、店の中はオシャレなレストラン――な訳ないだろう。
「じゃあ、何故、並んでいるの?」と聞くと、オジサンは「何故だろう?」と首を傾げてしまった。
行列が出来ていると、美味しいのだろうと勝手に思ってしまう。その類かと思ったが、チャーハンが食べたくなって行列に並んだ。
意外とさくさく進んだ。店内はカウンター席にテーブル席が四つあるだけの、ごく普通の中華料理屋だった。特に変わったところはない。
厨房にはオジサンが言った通り、ジジイとババアが料理に、盛り付けにと奮闘していた。忙しさから若いアルバイトの店員でも雇ったのか、「相席でもよろしいでしょうか?」と若い女の子から聞かれた。
「はい」と答えると、テーブル席に案内された。
チャーハンと餃子を注文する。
流石に手早い。直ぐに料理が出て来た。チャーハンを一口、口に運んだが、確かに普通の味だ。行列が出来る味とは思えなかった。
だが、チャーハンと一緒に出された中華スープを一口、飲んだ途端、突然、子供の頃に両親と一緒に近所の中華料理屋に行った記憶が蘇って来た。それも漠然とした記憶ではない。「天気予報で晴れだって言っていたのに、洗濯物を干したら急に雨が降り出して・・・」というお袋の愚痴まで鮮明に思い出したのだ。
(今日はチャーシュー麺を食べるんだ。そして、最後にソフトクリームを食べたい)と考えていたことまで、はっきりと思い出した。その中華料理屋にはソフトクリームマシンが置いてあって、食後にソフトクリームを食べるのが楽しみだった。
家族で外食するのは、月に一回、今思えば親父の給料日の後だった。今の今まで、そのことを忘れていた。というか、そんなこと、思い出したことさえ無かった。
チャーハンと餃子を食べ終わるまで、その時の記憶が次々と蘇って来た。正直、料理の味なんかどうでも良かった。懐かしい思い出に浸っている内に、料理を食べ終わっていた。
「なんだか、懐かしい味がしますね」と若い店員さんに聞いてみた。
「皆さん、そうおっしゃいます。うちの料理を食べると、昔のことを色々、思い出すって」
僕だけじゃなかった。そうなのだ。昔のことを思い出す。それも漠然とではなく鮮明に。まるで、たった今、あったことのように。何を考え、何を言ったかまで、はっきりと思い出すのだ。
料理の味なんて、どうでも良い。記憶の彼方に消え去った思い出を味わうことが出来る。それだけで、行列に並ぶ価値があった。
「何か、特別な味付けでもしているのですか?」
「いいえ~特に変わったことはしていませんよ」
「この中華スープが特に――」
そう。中華スープだ。スープを飲むと、昔の記憶が蘇る。中華スープは中華料理の基礎だ。中華スープを使った料理、全てに同じ効果があるのだろう。
「お気に召していただけたようですね。またのお越しをお待ちしています」
混んでいるので、早く出て行ってくれと店員の顔に書いてあった。
僕は店を後にした。
閉店後、アルバイトの女の子が店主のジジイに尋ねた。
「今日もたくさんのお客さんから、中華スープに何か秘密があるのか聞かれましたよ」
「そうかい。前は水道水を使っていたんだよ。当時、お店は閑古鳥が鳴いていてね。何時、潰れても不思議じゃなかった」
「そうそう」とババアが相槌を打つ。
「その頃、物忘れがひどくてね。認知症じゃないかって思った。丁度、お客さんから、近所の神社に湧き水があって、その水が認知症に効くって教えてもらったんだ。飲んでみたら、物忘れが治ったような気がした」
「へえ~」と店員が間の抜けた返事をする。
「こんなに効果があるのだったら、料理に使ってみようかって思った。使ってみたら、行列が出来るようになったって訳さ。別に何もしちゃいない。水を水道水から湧き水に変えただけだ。毎朝、湧き水を汲みに行くのが面倒だから、止めよう止めようと思っているけど、こんなにお客さんが来てくれると、止められないよ」
「私、水汲みを手伝いましょうか?」
「そうしてくれるかい。助かるよ」
「任せてください」
「でも、このことは内緒だよ。余所の料理屋に真似されたら困るから」




