美姫のひとり言
「狼の血族」とは何なのか? ちょっとホラーでファンタジーな作品です。
――昔はたくさん鬼火が見えたそうよ。
とママが言う。
子供の頃、満月の夜に、向かいのお山に鬼火が現れるのを見たことがあるらしい。ママの祖母が子供の頃には、あまりに頻繁に鬼火が現れるので、珍しくもなんともなかったそうだ。鬼火を見かけると、南無阿弥陀仏と手を合わせるのが習慣だった。昔は土葬が当たり前だったので、亡くなった人の霊魂が燃えているのだと考えられた。
――お山にはね。月光石という宝石があるのよ。それが満月の光でキラキラと輝くの。
鬼火の正体について、ママはそう教えてくれた。
「蚊に刺されるから、中にお入りなさい」背後からママが言う。
縁側に腰掛け、夕陽に染まりつつあるお山を見ていた。何故だろう。お山を見ていると、心が落ち着くのだ。
山腹に祠がある。日中でも人気がないことから、祠には近づくなと両親に言われてきた。だけど、時々、両親の眼を盗んで祠に行く。
祠の周りは木々が鬱蒼と生い茂り、側に腰掛けるのに丁度良い木がある。晴れた日には木に腰掛け、目を閉じ、優しく呼吸をしていると、森と一体になれるような気がした。心を遊ばせていると、声が聞こえるのだ。
――どうだい? 元気にしているかい?
そう森が問いかけてくれる。
周りを山に囲まれた盆地の人口、三千人ほどの小さな町で育った。その小さな町でも、我が家は最もお山に近い、辺鄙な場所にある。
両親は町で小さな喫茶店を営んでいる。
私はもう高校生、放課後はお店のお手伝いをしている。注文を取ったり、お皿を洗ったり、時には帳簿を任されたりもする。
「晴香さんに代わって、美姫ちゃんが、今じゃあ、お店の看板娘だね~」
と常連客が言ってくれる。
「あなた目当てに通って来てくれるお客さんが増えたのよ」とママが嬉しそうに言う。私がお店を手伝うようになってから、若いお客さんが増えたそうだ。
居間に戻ると、パパが渋い顔をして待っていた。
「美姫、ちょっと話がある」とパパが言う。
ママが眉をひそめながら、隣に腰を降ろす。
「なあに?」
「お前に縁談だ」とパパが吐き捨てるように言った。
「縁談⁉」
「お前ももうすぐ十八だ。将来のことを考え始めても良い頃だ」
(まだ早い)と思った。将来、何になりたいといった具体的な目標がある訳では無かったが、私くらいの女の子はほとんどがそうだろう。大学に行って、就職して、結婚して――といったことを漠然と考えているに過ぎない。
ひとつ、違うことは、この家、いや、お山から離れたくないということだった。
「相手は五味さんのところの次男坊の柊真君だ。今年、大学を卒業して、家に帰って来るそうだ。あそこは長男が名古屋で働いているので、柊真君が家業を継ぐことになるだろう。先日、帰省した折に、うちにコーヒーを飲みに来て、お前を見初めたそうだ。高校を卒業したら、是非、嫁に欲しいと申し入れて来た」
パパは相変わらず渋い顔だ。ママも苦虫を噛み潰したような顔をしている。とても縁談話をしているような雰囲気ではない。
「・・・」結婚はまだ、考えたことが無かった。
五味家は農家だ。農家の嫁が嫌だとかではない。ただ、早すぎると思った。どうやって断ろうと、返事ができないでいると、「お前には申し訳ないと思っている。だけど、断らないでくれるか。あの通り、柊真君はなかなか良い男だし、農大を卒業するんだ。家業を盛り立てて行ってくれるだろう」とパパに懇願された。
「宏斗さん。そんな、強制するようなことを言ってはダメよ」とママが助け舟を出してくれた。
結局、暫く考えてみるということで、その場を逃れることができた。
一週間ほど経ったある日、いつも通り、放課後にお店の手伝いをしていると、若い男がやって来て言った。「美姫ちゃん――だね?」
「五味のところの坊ちゃん!」パパが飛んで来た。
五味家の人間? 結婚を申し込んできたという柊真だろうか。
パパは隅っこの目立たないテーブルに若い男を引っ張って行くと、額を寄せ合うようにして、何事かひそひそと話し合っていた。
夕食の席でパパに言われた。「美姫。今日、|五味家の拓真君から結婚の申し込みがあった。前々からお前のことを憎からず思っていそうだ。弟の柊真君がお前に結婚を申し込んだと聞いて、慌てて実家に戻って来たようだ。お前と結婚して、名古屋に連れて帰りたいと言っている」
何故か今日は、パパもママも、深刻な顔をしていない。縁談に乗り気なのかと思ったが、「これで時間が出来た。慌てることはない。ゆっくりと考えて、どちらか選びなさい」というパパの言葉から、パパもママも、結婚はまだ早いと思っていることが分かった。
では、何故、五味家との縁談を強要するのだろうか?
翌日、私はお山に登った。
喫茶店はサボることにした。祠の側の木に腰掛け、目を閉じ、心を森に漂わせる。風が騒がす木々の揺れる音が消えて無音になると、声が聞こえた。
――どうしたの? 大丈夫?
(ううん。ちょっと元気がないかな)
――何があったの?
(両親から結婚を迫られているの)
――結婚するのが嫌なの?
(ううん。そうじゃない。何時かは結婚して、幸せな家庭を持ちたいけど、まだ早い気がするの)
――やりたいことがあるの?
(もしそうなら、まだ結婚なんかしたくないって言えるかもしれないのにね)
――そう。それなら・・・
私はお山と会話を続けた。
家に戻ると、パパが電話で誰かと話をしていた。私が帰ったことに気がつくと、声を潜めたので何を話していたのか分からなかったが、「狼の血族」という言葉が聞こえた。
狼の血族? 何のことだろう?
その夜、パパは上機嫌で言った。「美姫。また結婚の申し込みがあったぞ。今度は三人も。ほら、町長の牛越さんの息子さんに、うちによく来てくれる花里さんの息子さん、そして、お前もよく知っている岩垂さんのところの大輝君だ」大輝君は同級生だ。
「五味さん兄弟がお前に結婚を申し込んだと聞いて、慌てて結婚を申し込んで来た。みな、お前を嫁にしたいのだ」
「なんだかね~」とママも嬉しそうだ。
「じっくり考えて良いぞ。五人の中から、一番、良さそうなのを選べば良い」
「そうよ。あなたは器量良しなのだから、焦って結婚することなんてないのよ」
二人とも、まだ私を手放したくないのだ。でも、時は迫っている。私は言った。「パパ、ママ。結婚しても良いけど、ひとつだけ条件があるの」
「条件?」
「月光石を持って来てくれた人と私は結婚する」
私の言葉にパパの顔が凍り付いた。




