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浦島花子物語  作者: 海凪 悠晴
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第七章

 それからまたひと月ほど経った八月上旬のある日。病棟二階、夜のデイルームから私は打ち上げ花火を見ていた。この地域では一年でいちばん華やかな夏祭りに付随して行われる花火大会とのことである。もっともこの病院から打ち上げ場所までは若干の距離があるので、私はほとんど水平線近くを眺めているようなものだったのだが。

 梅雨はとっくに明けて、連日太陽が容赦なく照りつける猛暑の日々が続いている。今日ぐらいすっきり晴れた日ならば、お星さまも気兼ねなくデートできるのにね。

 花火大会が終わった後、夜空を見上げる。天の川の両岸に輝く二つの星がはっきりと見える。こと座のベガと、わし座のアルタイル。いわゆる織姫と彦星だ。半欠けの月も見える。あれが上弦の月というのだろうか。まるで天の川の渡し舟であるかのように控えめに輝く半月である。


 その頃、私にはちょっと気になる人ができていたのだ。顔は知っているけれど、名前も名字しか知らないし、直接話したこともないけれど。毎日の作業療法のときに顔を見ることができる、年の頃は私よりもちょっと下かもしれない、男の人がいたのだ。



 翌日の作業療法の時間。その日から、私はくだんの「気になる人」と同じ作業を担当することになった。同じ作業といっても、同じ製品に対する流れ作業で隣同士になったというだけだが。私がネジ締めをして、その彼、(かめ)(たに)君が半田付けをする、といった具合である。

 真夏も真夏のこの時期、今日も連日のように外はうだるような暑さにはなっているようだ。この作業室は改築間もない建物にあって、また空調も効いているので快適ではある。それでも、とくにこの時期に半田ゴテを使う作業は大変だろう。作業療法室の窓から見える建物の外、そのはるか向こうの山々がその手前側に大きく広がっている青々とした山林と一緒になって、この病院の駐車場のアスファルトから放出されている陽炎に揺れて見える。


 亀谷君、まだ若いだけに髪もサラサラしていて、大きな瞳と高めの鼻が素敵である。イケメンといってもいい部類ではないだろうか。作業療法に集まってくる男性は中年以上か、若い人であっても身なりに無頓着なまま出てくる者が多い。その中で亀谷君はいつも清潔感のある格好をしていて、患者さんの中でも際立って輝いて見える。

 せっかく隣同士なのだから、その亀谷君にちょっと声掛けくらいはしたいけれど、作業時間中ではあるし、やはり恥ずかしい。

 そう思って、たまに亀谷君の横顔をちょっとだけ眺める。黙々と真面目に作業を続けている亀谷君。そのおでこをよく見ると少し汗がにじんできているのがわかる。それをさりげなく私のハンドタオルで拭いてあげたいなぁ、なんて思ってしまう。そんなふうに隣に亀谷君がいるということからの高揚感を私の中で保ったまま、あっという間に九十分の作業時間が終わる。

 高嶺の花ならぬ「高嶺の男子」の亀谷君。彼も昨日の花火大会、病棟から見ていたのかなぁ。そんなことを思い巡らしているうちに、なんと亀谷君から私に声が掛かる。

「お疲れさまです」

 ただその一言だったのだけれど声が掛かった、のだ。亀谷君はさわやかな微笑みを浮かべつつ私の方を見ている。ただの挨拶に過ぎないその一言で私の心拍数は上昇する。

「お、お疲れさまです」

 私も彼に「挨拶」を返した。そして思い切って、ひとことを更に付け加える。

「か、亀谷さん。き……昨日の夜の花火大会、見ました、か……」

 緊張しながらその台詞を放った私。それに対して亀谷君から言葉が返ってくる。

「ええ、見ていましたよ。島浦さんも見てらっしゃいましたか」

 あら、私の名前まで覚えていてくれて嬉しいなぁ。そう思いつつ、私も更にひとこと返す。

「え、ええ……、閉鎖二階のデイルームから見てたのですけど……。綺麗でしたよ、ね……」

 私のその言葉を聞いて更に微笑む亀谷君。別の場所からとはいえど、しかもそれが病院の窓からとはいえど、昨夜は私と亀谷君、同じ時間を共有していたわけで。ただそれだけのことで、私も悦に入ってしまいそうになる。


 そこで私には別の方向から声が掛かる。

「島浦さーん、病棟に戻りますよー」

 勝手に出入りのできない閉鎖病棟の住人。それには私も含むのだが、作業療法が終わった後は看護師が迎えに来て、それに連れられて集団で帰るのだ。亀谷君は開放病棟にいるので自分で帰ることができるのだけれど。


 翌日からもしばらく同じ作業を担当することになり、私は亀谷君と並んで作業をする。その中でほんの少しずつだが、亀谷君と会話を交わすようになった。亀谷君は二十二歳とのこと。つまり私より三つ年下なのだ。亀谷君は大学在学中に精神を病み、今は休学しているらしい。本人には復学したいという意志があるようだが、周りは無理して復学する必要はないと言ってくるとか。そして、彼の下の名前は「()(づき)」という。まるで女性みたいな名前ではあるが、本人は気に入っているとのことだ。



 そのうち、お盆休みに入る。つまりは八月ももう半ば、私が入院してからもう二ヶ月半経つのだ。

 お盆休みの間は、外出や外泊で病床を離れ、お盆を家族らと一緒に過ごすという患者さんも多い。閉鎖病棟からも、許可があれば外泊などができるので、病棟内もいくぶんか閑散とする。当然、作業療法もお休みである。

 土日も合わせてたった四日間のお盆休みであるが、「結婚式荒らし」をして、家族から縁を切られているという私は病棟内にずっといるしかなかった。作業療法もお休みなのだから。私たちの部屋には私の他には桃ちゃんこと大川さんだけが残っていた。金ちゃんこと金田さんは私と同い年だという甥っ子の家族らと、織田さんは迎えに来た母親と一緒に外泊に出たとのことである。

 お盆休み中は部屋の中で桃ちゃんと私の二人、他愛のない話をしていた。桃ちゃんは自称読書家とのことで、病室にまで何冊か本を持ち込んでいた。それゆえか話題が豊富で、本当はこわい昔ばなしというのまで聞いた。そういった話題もまた、怪談話の旬である夏にはぴったりのものかもしれない。


 お盆休みの最終日。夕方までに私たちの病室に残りの住人二人が戻ってくる。夜になって消灯時刻が過ぎ、私はすっかり休みに入っていた。明日からまた通常の日々だ。作業療法も再開する。亀谷君にも会える……。


 そんな私の寝込みを襲うが如く、誰かが私の病床のカーテンをくぐって入ってきて、私に聞こえるくらいの声でささやいてくる。

「美月はあたしの彼氏なんだからね。あまり親しくしないで」

 聞き慣れない声だったけれど、どうも織田さんのようだった。美月とは亀谷君のことだろうか。まさか、織田さんと亀谷君が付き合っているとは。ちょっと驚きはしたが、私は聞こえないふりをして寝入る。更にしばらくしてまた声が聞こえる。

「美月に手を出したら、あたしの腕にもまた傷が増えて、そしてあんたにも……」

 そのあとの台詞はよく聞こえなかったが、気になって改めて周りを見てみると、カーテンの内側には私以外誰もいなかった。

 もう私からは、亀谷君に近づかないほうがいいのだろうか。ただの雑談をするくらいでは手を出すというくらいのことではないと思うのだが。

 まぁ、亀谷君イケメンだから、女性にはモテるでしょうね。私なんかが亀谷君争奪の恋愛ゲームに参戦したところで……。



「島浦さんの部屋に、織田麻姫って子いるでしょう?」

 翌日にあった久しぶりの作業療法、その終了後に亀谷君が私にそう話しかけてきた。私は無言のまま頷くと、亀谷君は苦笑しながら言う。

「麻姫……、いや織田さんは確かに僕の元カノなんですけど、今は付き合ってないし。でも思い込みとか激しい性格なんで注意しててください」

 よくわからないけれど、同室の織田麻姫という患者の存在との関係上、私があまり亀谷君に近づきすぎるとややこしいことになりかねないのかもしれない。


 その直後に私たちの病室・閉鎖病棟の二〇七号室に戻ると、その織田さんが病室からいなくなっていた。看護師さんによると病室を移動したとのことだが、諸々の噂を集める限りでは移動は移動でも「保護室」への移動だそうだ。どうも私がこの日、作業療法に行っているあいだに、ひと騒動あったとかなかったとかで。

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