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浦島花子物語  作者: 海凪 悠晴
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第四章

 そんなうちに二日、三日と時は過ぎていく。入院生活最初の三日間は食事を摂って、薬を飲んで、病室で休む、それだけの生活が続いた。だが、入院四日目からいよいよ「検査」が始まることになる。

 入院三日目の夜、夕食が済んだあと、ベッドの上で休みながら消灯時刻を待っていると、担当の看護師が病床の側に来て「明日から検査が始まります」と伝えられる。

 私の記憶が無いのをいいことに、これまでの三日間を病室、しかも精神科の閉鎖病棟の中に「拉致」されるような状況に陥っていた。これはもうドッキリでも済まされない。立派な人権侵害だ。こんなことがあってよいはずがない。ということは、やはり私は……。


 私の担当の看護師は大江(おおえ)さんという女性で、年の頃は私より少し年上、すなわち三十ほどであろうか。

「あの……、大江さん。私、やっぱり……、姉の結婚式でとんでもないことしちゃったの、これ本当なんですよね……。入院してから今までずっと作り話だと思ってましたけど……」

 その台詞の後半を言っているあたりから涙ぐんできてしまった私。それでも大江さんは微かな笑みを私のほうに見せつつ口を開く。

「島浦さん。島浦花菜さん。明日からに備えて早くお休みくださいね。今は、これから先のことも、今までのことも考えなくていいのですよ」

 この病院の医療スタッフのうちで、私が信頼をおけるのは今のところこの大江さんぐらいだ。いつでも穏やかな微笑みを絶やさず親身に私を含む患者さんたちに接する大江さん。その左手の薬指のリングがまだ初々しい印象がある。新婚さんなのだろうか。だとしたら、カルテに記されている私の奇行。あれは大江さんにはどう思われるところのものなのだろうか。

 消灯時刻の迫る病室内。私の頬からは大粒の涙が落ちようとしていた。



 午後九時の消灯時刻の到来と共に、病室内はほとんど真っ暗になってしまった。ほのかに廊下から光が漏れているといった程度。私がしてしまったということ。それについて私の中には記憶はやはり無いのだけれど、どうも事実だと受け入れる他はないだろう。広田医師らはともかく、あの大江さんまでもが私を騙しているとは考えられない、考えたくない。


 そうなれば、もう私は親戚じゅうから村八分、いや村十分だろう。それでも身内はこの一件を社会から隠蔽しようとするだろうが、直に近所などにもこの噂は流れてしまうだろう。姉の勤務先の人間や「新郎」の身内も同席していたのだから。私はもう社会的に抹殺されてしまうことだろう。

 これでもう私の人生、何もかもおしまいなのだろうか。一生ここに入院していなければならないのだろうか。いつの日か退院できたとしても受け入れてくれる先はあるのだろうか。無意識の間に、とはいえど、私は自分で自分の人生を真っ暗にしてしまったのだろうか。只でさえ薄暗かった人生だったのだけれど……。

 私はもう泣き出してしまいたかった。けれど、もう消灯時刻をとうに過ぎている。同室の患者さん、桃ちゃんも金ちゃんも眠りに入ってしまっているようだ。


「これ、一体、何の真似なのよ! バカ! 私のバカ! 姉さんのバカ! みんなバーカ!」

 迷惑だろうから、声には出さなかったけれど、私は自分の心の中でそう叫んでしまっていた。精神病患者、最近の俗語では語感も軽めに「メンヘラ」なんていうらしいけれど、メンヘラになるってこんなに辛いことなのか、と。そう、もう私もメンヘラになってしまったのだから。PMSという兆候はあったにせよ。

 時々、当直の看護師が病室前の廊下を見回りに来たようだけれど、どれも大江さんではなかったようなので助けを求めるような真似はしなかった。

時期的にまだ早いためなのか、省エネとやらのためなのか。冷房がまだ付いていない蒸し暑い病室内で心をモヤモヤとさせたまま、私は長い長い夜を過ごしていた。短いはずの六月の夜を。



 大江さんの予告通り、翌日から検査が始まった。

 検査担当の心理士は澄野(すみの)という三十代後半から四十ぐらいだと思う女だった。澄野心理士は背が高めでスラッとした細身でスタイルはよしといえるが、その度の強そうな眼鏡の奥に見える瞳からは、心理士でありながらも何処となく冷たい人間でありそうな印象を受ける。おそらく難関大学の心理学科を卒業していて、仕事もできそうだけれど、医療スタッフとして大事なはずの「ハート」を持っていないような感じがする、と私は第一印象で思った。


 それにしても、連日の心理検査。ものの十分ほどで終わるときもあれば、三時間とか密室でひたすら質問を受け続けるなど長丁場になるときもあれば、で。

 まずは、これまでの生育歴というか、どういう人生を送ってきたのか、聞かれたりした。今日まで二十五年生きてきて、いい思い出のほとんどなかった私。いつも姉のせいで、姉さえいなければ、なんて思いつつ過ごしてきたのかもしれない。私の半生、語るのもつらかったけれど、澄野心理士は彼女の投げた質問に対しての私の答えを聞いてペンを走らせるというプロセスの繰り返しを冷静沈着に進めていた。

 そして別の日には、何枚かの絵の描かれたカードを並べられて、それをストーリーが成り立つように並び替えよだとか、数字や単語を順番に言っていくので、それを言われた順番に復唱せよとか、今度は言われたのと逆順に復唱せよだとか。あと、計算問題だとかを暗算でさせられたりなど頭を使う検査が実施されることも多かった。そんなときにはもう頭がこんがらがりそうで、さすがに途中で休憩をもらったこともあった。これで「減点」させられるのかな、とかとも思ったが。まぁ、その辺はありのままでいいと思う。あくまでも検査なのだから。

 木の絵を自由に描いてくださいなんて課題が出されたときには、もう面倒だったので、鉛筆を握って、ものの十秒かそこらで線だけで木の幹と枝を四、五本描いてそこに雲みたいに木全体に葉を付けるのみで出してやったりした。澄野心理士はクスリと冷笑するかのような表情を見せつつ、私からその紙を預かった。


 こんなふうに、二、三週間ほど掛けて行われた、いくつもの検査が終わった。

 本日でとりあえずの検査は終わりですので、あとは先生からの診断をお待ちください、と澄野心理士から言われたのだ。この期間中には技士による脳波の測定だとか、脳のCTスキャンだとかの検査も受けた。

 CTスキャンでは放射線に晒されるけれど、健康には全く問題がないほど小さいレベルだと、事前説明を受けはしたのだが。原発事故とそれに伴う放射線漏れとかいうのも記憶に新しいというか、今なお話題に挙がっている状態が継続中のご時世だけであるだけに、そういうのにはちょっと神経質にならざるを得ない。

 それにしても、私たちの病棟はわりと新築で木の香りのする明るい建物だというのに、レントゲン室や心理検査室などがあるコメディカル棟とよばれる建物は築年数も古そうで、ちょっと薄気味悪い建物ではあった。中学校のときの理科室などがあった学校の中でもいちばん古い校舎を思い出してしまった。「心理検査室」などと書いてある、部屋のプレートの書体までもが何気に古くさく薄気味悪さを感じてしまうものになっていた。

 私の入っているこの病院。ここはこの辺りでもかなり歴史のある病院であり、建物の老朽化などを受けて、今は四、五年ほど掛けて徐々に改築している途中ではあるとのことで。まずは閉鎖病棟からリニューアルがはかられたようだ。



 実際には、検査の終わった翌日にもう主治医の広田医師に診察室に呼ばれて病名が告知された。カルテを眺めていた広田医師からまず一言。

「あなたの場合、統合失調症を発症していると診断しても矛盾しない可能性が大きいですね」

 私は驚いて叫ぶように広田医師に言葉を返す。

「統合失調症!? それって精神分裂病のことじゃないんですか!?」

「ええ、かつては精神分裂病と呼ばれていた、それです。今は病名が改められて統合失調症と呼ばれているのですよ」

「それってかなり重病の部類に入るのでは!?」

「まぁ、あなたの場合そこまで重くないとは思いますよ。いわば軽い統合失調症、ということで」

 その「軽い統合失調症」というのは一体どういうことなのよ。それにさっきから「発症していると診断しても矛盾しない可能性が大きい」とか、やたら遠回しな言い方をされてきたけれど、「軽い重病」とかそれこそ矛盾している可能性が大きいのでは。どうして医師なる人間が患者に対して、そんなこと責任持って言えるのよ。

「IQは平均で九十八とほぼ標準値で、分野別に見てもとくに凸凹がないので、その辺は安心できますね」

そう広田医師が説明を続けているあいだに私は上の空になってしまっている。嗚呼、私はやっぱり精神病だったのだわ。そこへ来て、何が「その辺は安心できますね」よ。そんなふうに言われるとかえって不安が増すわ。広田医師は続ける。

「ですから、発達障害とかの疑いはありませんよ」

 そりゃそうよ。前から出来の悪い子だったけど、断じて発達障害といえるほど酷いものではなかったのだし。だいたい、精神分裂病プラス発達障害なんてことを告げられた日には、もう死刑宣告を受けるようなもんだわ。

 「大人の発達障害」なんてことを最近よく聞くけど、はっきり言ってあういう人、ほんッとにイタいわね。小さなうちになんとかしておきなさいよ、社会の迷惑者が。私はまるで発達障害の人間が知り合いにいるかのように、そういう人間を恨めしくさえ思った。


 結局、医師側としては患者に対しては、そんなにはっきりとオープンに診断を下せるわけではないようで。ぼんやりしたままの診断を伝えるしかない、とのことである。行政などに診断書を発行するときには少し重めの症状を発症しているとしたほうが方便であるとか、なんとか。何だか、莫迦にされているような気がしてたまらないけれど、同意する以外はない。

「精神の病気は、客観的な視点、たとえば数値のみとか、そういったものだけで簡単に判定できるものではありませんので」

 終始、小難しい言葉を交えつつ遠回し気味に語る広田医師。こいつに任せておけば、余計私は精神的に追い詰められるのではないか、という疑念が生じる。


「患者様にはあまり診断名などにこだわっていただきたくないのです。どうか我々医療スタッフにお任せください。その上で我々の指示に従っていただければ、より早期かつ安全な社会復帰を保証することができますので。ご理解とご協力をお願い致します」

 広田医師のその言葉を受けて、私はまだ半信半疑のまま、再びサインをさせられた。確かに診断を受けました、という証明書に。

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