第三章
広田医師の診察が終わると、直に昼食の時間となった。食事は基本的に食堂に集まって食べることになっているらしい。ベッドまで運んでもらえるのは身体などの不都合で食堂で食べるのが困難な患者さん、そして保護室に入っている患者さんのみとのこと。
さて今日のお昼ご飯、ロールパンとクロワッサンに、ミニオムライス、クラムチャウダー、サラダ、ミルク。それに加えてプリンまで付いている。まるでカフェのランチのようなメニューだ。少し洒落た食器に盛り付けてあるところも気の利いたポイントである。病院食とは思えない。
食堂も杉の木か檜の木で作られたような、カフェテリア風のちょっと洒落た作りをしている。天井に据え付けられている木で作られた大きなファンが回っている。病棟の外を望む窓からは、初夏の真昼の太陽を受けた新緑の眩しい山間の田舎の牧歌的な景色が見える。それを背景に、この病院の他の病棟らしき建物がポツポツと見られる。
今更気づいたが、この病棟は築年数がそう古くはないようだ。清潔感もある。
そんな洒落た食堂の中で食事を摂っている患者さん。まだ未成年かもしれないくらいの若い子から、おばあちゃんといえる年齢の方まで皆女性である。なぜならば、このフロアは女性用なのだから。大半はいかにも患者さんといった風貌の人であるが、女性らしく身だしなみを、取り繕う程度とはいえどきちんとしている人もちらほら見受けられる。この病棟は三階が男性用、ここ二階が女性用、そして一階が高齢者用の閉鎖病棟となっていて、入院患者は病棟の入院しているフロアの外に勝手に出ることはできなくなっているらしい。
昼食後、ナースステーションに立ち寄って看護師の監督のもと、昼の薬を飲んでから、自分の病室二〇七号室に戻る。二〇七号室は四床部屋。私の他に二人の患者さんが入院していて、残りの一床は空きの状態である。部屋の入り口に掲げられているネームプレートに目をやる。同室の二人の患者さんは大川桃子さんと金田福恵さんというらしい。
病床にいるふたりに軽い会釈をする。大川さんは三十代前半くらい、金田さんは五十代くらいであろうか。少なくともお二人、二十五歳の私よりは年上に違いない。
病室へは個人の持ち物として携帯電話やパソコン、カメラ類などを持ち込むことは閉鎖病棟ではとくに厳禁とされている。閉鎖病棟では病床にテレビも付いていない。ベッドと個人用の棚が置いてあるくらいだ。このフロアの東西にふたつあるデイルームのひとつには大きなテレビが置いてあるが、チャンネル争いが起こるとまずいのでチャンネルはNHK総合テレビに固定して、患者さんが勝手に触れないようにしてあるらしい。ラジオぐらいなら持ち込めるらしいが、イヤホンを使う必要がある。イヤホンを首に巻いてしまわないように、その持ち込みにも許可が必要である。
つまりは、入院生活はどうも退屈なものになりそうではある。
それにしても、同室の二人の患者さん。しばらく四六時中同じ部屋で時間を過ごすわけなのだから、せめて挨拶ぐらいはしておかないと、と思ってしまう。どう話しかけようか、とそう思っているうちに金田さんの方から声がかかった。
「新しい患者さん、お若いのですね」
金田さんはぽっちゃり、ふくよか、といえば聞こえがよいおばちゃんである。
「あ、はい、二十五歳なんです」
「あら、うちの甥っ子と同じ年だわ。私は五十二よ。数字をひっくり返したら同じ年ね」
数字をひっくり返す意味がよくわからないけれど。金田さんは続ける。
「私は金ちゃん、こちらの方が桃ちゃん、ね。あなたのお名前は?」
なるほど、金田さんの「金」を取って「金ちゃん」、桃子さんの「桃」を取って「桃ちゃん」というニックネームで呼び合っているのか。
「カナちゃんです。島浦花菜といいます」
金ちゃん、桃ちゃんという流れで、私もつい自分のこともちゃん付けにしてしまった。
「カナちゃん。若い子らしい可愛い名前ね。でも私の名前の金ちゃんとちょっと似ているわね」
確かに「金」の字も「カナ」と読めるけれど。そこで大川さんも話に加わる。
「私は大川桃子です。よろしくね、島浦さん」
「はい、よろしくお願いします」
「私はこれでも、金ちゃんこと金田さんと同じ干支なのよ」
桃ちゃんこと大川さんはそう言った。ということは、五十二引く十二ということだから……、ちょうど四十歳? それより十二歳若いとなると四十引く十二だから……えっと……、まさか二十八歳? 第一印象で三十代前半くらいかなと思ったので正直この辺微妙だけれど。いずれにしても私よりは上だ。まぁ、そのへんを訊くのはまだ失礼か。
しかし、二人とも精神のどこを病んでいるのだろうかよくわからない。普通に会話らしい受け答えができているとは思うから。金ちゃんがまた口を開く。
「桃、金、と来てまさかの浦島さんね。なんだかうまいことできているもんだわ」
うまいことできている? ちょっと意味がよくわからない私。
それを察したかのように桃ちゃんが口を開いた。
「私の桃子の桃は『桃太郎』の『桃』。そして金ちゃんの金は『金太郎』の『金』じゃない。有名な日本昔ばなし、聞いたことあるわよねぇ?」
それに続いてまた金ちゃんが。
「そして、あなたが島浦さんなら、ひっくり返して『浦島太郎』の『浦島』じゃないの」
浦島。そう、私の名字である「島浦」をひっくり返すと、「浦島太郎」の「浦島」だ。
三人とも年の離れている女性だけれど、まさに日本昔ばなしの中でももっとも有名な「三太郎」だ。
何がともあれ、今日から、いや正確には昨夜から入院生活が始まったのだ。しかも精神科への、である。私自身の記憶には無いとはいえど、広田医師の言っていることが本当ならば、私は姉の神聖であるはずの結婚式を台無しにしたということで。いくらなんでも、私のしたということ、二十五歳の大の大人がしてゆるされることだとは思えない。いくら私でもそんなことをするとは信じられないと思うと、広田医師への疑念は更に深まるのだ。
確かに姉さんの声で「結婚式荒らし!」と言われたけれど、みんながグルになって私を陥れようとしているのではないだろうか。もしかして、今どき「ドッキリカメラ」なのかしら。いくら出来の悪い私に対してとはいえど酷いことをするもんだわね。まぁ、しばらく騙されたままでいようじゃないの。二日も三日もこんな状態が続くわけがないのだし。さっさと「ドッキリ大成功!」の看板を持って病室に飛び込んで来なさいよ。今回だけは騙されたことにしてあげるから。それにしても、まぁ、医師までをも巻き込んで大掛かりなドッキリですわね。