第二章
明くる日の朝、私はこれまでの経緯について主治医なる白衣の男から説明を受けた。主治医は広田という身体に締まりのない太っちょの男である。年の頃四十ほどだろうか。
私は昨日、姉の結婚式会場でヒステリーを起こした、のだそうだ。おとなしく客席に座っていたはずの私は花嫁と花婿が牧師さんの方から向き直った次の瞬間に突然タガが外れたかのようにその場で大声を上げて興奮し出して、神聖であるべき式をまるで冒涜するような言葉を次から次へと叫んだという。更に奇声を上げながら次々に各テーブルの上にある皿を投げたり割ったりしだしたりなどと、予想外過ぎることが次々起こってしまって騒然となった会場内。私は終いには叫びながら礼服を脱ぎだしたらしい。そんなところを、何が起こったのか呑み込めぬままの父親に掴まれて、会場からつまみ出されたところを保護されたとか。そして、最寄りの精神科病院、つまり今居るここに医療保護入院させられることになったらしい。
とりあえず、私・島浦花菜はこの世にふたりといない双子の姉・島浦愛菜、改め葭田愛菜の記念すべき人生最初の結婚式を台無しにしてしまった、ということである。そのことに関して、記憶にございません、と釈明するだけならば容易いけれど、本当に私には記憶が無いのだ。
広田が話し出す。
「精神科への入院は初めてのようですね。通院されていたこともありませんか?」
「え、ええ。精神科なんて一度もかかったことはありませんよ」
「月経前症候群、いわゆるPMSの診断が下されているとのことですけど」
男性、しかも広田のような男にPMSの話をされるのは嫌な話だ。
「はい。その件で三年ぐらい前から心療内科にかかっています」
私はあくまで「心療内科」にアクセントを置いてそう言った。
「そうですか、わかりました」
広田は私のカルテにペンを走らせながらそう言った。
私は広田に質問を投げる。切実に知りたいことの中のひとつだ。
「どのくらい入院していなければなりませんか?」
続いて広田が答える。
「とりあえず、最初の二週間ほどのうちにひととおりの検査を受けていただきます。その結果次第になりますね」
「私、頭がおかしくなってしまったのでしょうか?」
「ですから、それを詳しく調べるために検査を受けていただくのです」
「家族と連絡をとりたいのですが」
「とらないほうがいいと思いますよ」
続けて、やや厳しい口調に変えつつ広田は言う。
「あなたは昨日お姉さんの結婚式で何をされたか、先程説明しましたよね。それに関して、ご家族はどうお思いでしょうかね」
私は精神科医を名乗っている目の前の広田という男に疑念を感じてしまっている。私の記憶がないのをいいことに作り話で精神科なんぞに入院させて、私の自由を制限しているのではなかろうか、と。私は広田にはっきりとした口調で告げる。
「私、帰ります。私には精神科の診察なんて受ける必要ありませんから」
「そういうわけにはいきません」
「じゃあ、私が姉の結婚式で暴れたという証拠はあるんですか?」
「カルテにそういうふうに記載されていますよ」
「カルテに書いてあることは全て正しいことなんですか!?」
私は広田に向かって声を荒げつつ言った。広田はなおも冷静を保ちつつも口調を厳しくして言う。
「ここでは私たち医療スタッフの指示に従ってもらわないと困ります。ご家族と連絡をとりたいのならどうぞ。私が嘘を並べているわけではないこともわかるでしょう」
預かり品の中からテレホンカードを一枚出してもらい、看護師の付き添いのもとナースステーション前の公衆電話のある場所まで移動する。
記憶の中にある実家の電話番号を一桁ずつプッシュしていく。最後の桁を押し終えて、しばらく呼び出し音が聞こえてくる。四、五回呼び出し音が鳴ったあと、電話口に出たのは母さんだ。
「はい、島浦です」
「あ、もしもし、花菜ですけど……」
ツー、ツー、ツー、……
いつの間にか電話は切られていた。なんて薄情な親なんだ。確かに母の声で「島浦です」と名乗ったので間違い電話ではないだろうに。
もう一度かけ直してよいかと看護師に尋ねると、もう一度だけならと言われる。今度は姉の携帯電話の番号へ、だ。数回の呼び出し音のあと姉の声が聞こえる。声は枯れ気味であまり元気がないようである。
「もしもし……」
「あ、花菜だけどー」
「げっ……。もう連絡してこないで。結婚式荒らし!」
ツー、ツー、ツー、……
「もう電話はいいでしょうか? 先生のもとに戻りましょう」
看護師からそう声を掛けられる。確かに姉の声で「結婚式荒らし」などと言われてしまった。よくわからないけれど、広田のいうことは出鱈目ではないのかもしれない。
「入院中はスタッフの指示に従っていただかない場合、保護室に入ってもらうという措置をとることも、こちらとしては可能ですので……」
私が看護師と一緒に診察室に戻ると、広田医師は再度説明を始めた。保護室というのは、まるで独房の一室のような部屋だという。身体はベッドに縛られ、がんじがらめにされてしまうらしい。
入院同意書にサインを求められる。こんなもの破いて捨ててしまいたかったが、ここで医療スタッフ、殊更に「医師」を名乗る「権力者」に逆らおうものなら、保護室行きということになり、それこそがんじがらめにさせられる可能性がある。渋々とサインをするしかない。
入院の際には、両親に保証人になってもらい、入院費も両親が立て替えるというかたちになったらしい。立て替えるだけなのならば今後返す必要もあるだろう。ただ、先程実家に電話した際、名乗るや否や電話を切られたことから、私に対して相当怒っているというか、呆れられているのかもしれない。広田医師の言い分が本当ならば私は非常にイタいことをしてしまったのであるから。