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今宵、我ら花を奪う【4】


「いや、撃てるわけないでしょ。友軍相撃? なんの冗談なんだい。ちっとも面白くないよ」

 あっけらかんと言い放つのは帝国における内政トップ。内務尚書、コンラーディン・カペル宰相閣下である。

 分厚く上等なコートを羽織っているとはいえ、寒風吹きすさぶ野外に立たせてよい人物ではないのだが…。本人が気にする様子がないのが救いだなとシュタインは思った。

「せいぜい撃つフリに時間を稼いで、剣を片手に握手を迫るだけだろうね」

「古式ゆかしい棍棒外交ですか」

 隣に立ったマルクスが相槌をうつ。シュタインもまた、記憶を掘り起こす。

 棍棒外交。それはクリスチャン・エラに覇権を握った大国の大統領が語った外交政策だ。大きな棍棒を携え、穏やかに話す。慢性的な不正や無能に対しては他国に対する武力干渉も正当とするある種の暴論。…シュタインがそれを知っているのはミュラーにてマルクスと机を並べた学習の成果である。

 なにを目的としていた英才教育だったのやら、今頃になって意図に気づかされる始末だ。

「同士討ちを喜ぶのはむしろ帝国中枢へのゲート設置に成功した勢力だよ。僕、嫌いな相手を喜ばすために転んでやるのって大嫌いなんだよね」

「存じております」

 答えるマルクスの首には魔石チョーカー、腰には帯剣。部隊のみなが戦闘魔道士の一級正装に身を包んでいる。なお、正装とは。式典用のそれではない。野戦従軍における実用的な装具を指している。棍棒どころではない。互いに振りあげているのは、打ち下ろされる時を待つ鉄槌。あるいは居合い抜きの時を待つ真剣だった。

 ゲート中央の扉をはさんだ左手側に、ミヒャエルがぶるりと肩を震わせた。

 聞きたくもない会話にか。容赦のない寒風にか。ただ、それらがより冷たく感じられるのは、周囲をとりかこんだ攻城兵器と兵士からの受ける圧力のためだろう。


 

 夜明けを迎え。まず訪れたのは魔道士塔の賢者たちを引き連れたカペル宰相だった。

 己の部下は彼の背後に控えた秘書官一人という少人数だ。立場を考えれば非常識なほどのフットワークの軽さである。冬バラが咲き誇った麗しき王宮の中庭を埋め尽くすのは今や帝国が誇る暴力装置。帝国陸軍とミュラー騎士団のつわものたち。異なる主張を掲げた二つの勢力が睨みあっている。ましてやもはやいつ何処に魔獣が現われてもおかしくはない状況だからこそ。僕たちを信頼している、安全と判断しているのだというアピールにもなる。激発に対する抑止力としての登場だ。

 ローブ姿の魔道士たち一個小隊の接近に身構えるミュラーの騎士たちをマルクスが片手に制する。

「警戒しなくていいよ。現場検証のための人員だよ」

「現場検証ですか」

「君たち軍人は戦うことばかりに目がいっているようだけどね? まずはゲート、そこにある大きなドアを調べてからでもいいだろう。平和裏に救助隊を派遣できるならそれに越したことはない。そうは思わないかい?」

 目深にかぶったローブの連中に一瞥をくれたシュタインはマルクスに向かって肯いた。

 自分たちも在席していた魔塔に見慣れた姿だったからだ。つまり研究員としての魔道士。俯いた視線は合わず、体重移動、足運びの動き一つをとってみても戦闘には縁がない。

「…どうぞ。よろしくお願いします」

 指揮官となったマルクスの許可に道が開く。

 とはいえこちらの防衛線は簡易な柵の設置がどうにか間に合った程度だ。それも東西南北の一部に対してのみ。ミュラーの魔馬相手であれば馬止めにもならない華奢で背の低いものだ。歩兵の突撃を遅らせるのがせいぜい。なにしろ手持ちはわずかな資材のみ。混乱と夕闇のどさくさに紛れ、友軍を名乗って跳ね橋の検問所を通過させた。帝国軍が指揮系統を立て直し、回復させた今となっては追加物資の期待はできない。様々な問題点を抱えているとはいえ、一国の正規軍が戦争をやると決めた以上そこに油断やユーモアが介在する余地はない。…それでも。

 僕らの意志を示すことはできる。


 不退転。徹底抗戦の構え。


 瘴気が正気を奪うゲートの上へ。現場の盤上へ。驚くべきことに、宰相閣下までも足を進めた。制止をかけようとして留まる。コートをはじめとした衣服だけはなかった。ブローチ、手袋、革靴。目に見えるすべてが魔道被膜加工済みの一品。素晴らしい装備だ。おそらく靴裏、あるいは中敷あたりには術式も刻まれているのだろう。踏みだす足先が瘴気を寄せつけない。秘書官も同様だ。

 これらのコーディネートに一体いくらを積んだのか。

 カペル公爵家の財力の一端を見せつけられた気分だ。

 値踏みするこちらの視線に気づいてか。肩をすくめてみせる。

「王妃様は瘴気の影響を受けて精神に異常をきたしていたそうだから。相応の準備くらいはね」

「なるほど?」

 マルクスの返事は素っ気ない。

 己を救おうとした少女を逆に撃った王妃の愚行の理由はそうと釈明されるらしい。神経衰弱の名目に無罪放免を勝ち取る腹づもりもあるのかもしれない。

「処分を任せてもらえるなら、適切に処置しておくよ?」

 共同謀議の暗闘にもまれぬいた、人好きのする笑顔に宰相は提案した。

「まだ駄目です。アルニム伯爵領でおこったスタンピートの原因究明、教会との癒着とカネの流れ。それらを晒し、相応の罰を受けてからです」

「マルクス君は彼女がそれを理解できると考えているのかい? 無駄だよ。王妃は反省なんてできないよ。なにが悪かったのかすらわかってないんだから。謝罪を吐いたところで、動物の鳴き声と同じだよ。そんなものが必要かい?」

 シュタインも同感だ。次になにかをしでかすのを受け身に待つよりも、先に始末した方が良いのではないか。手元にある罪状だけでも死者を鞭打つことは可能だ。

「手順を踏むことに意味があります。被害者であり、彼女を母と慕ったアーデルハイト嬢を納得させるためにです」

 半瞬の間。カペル宰相の目が見開かれたであろうことは何故かわかった。何故ならシュタインも同じだったからだ。

「……そうか。そうだったね」

 万が一の可能性とて考えない男ではない。けれど口から吐く言葉のすべてがアーデルハイトの帰還を確信するもの。落ち着きはらった挙措端整。だがシュタインにはわかる。今の幼馴染の精神状態は普通ではない。


 拙い防御膜をまとった魔道士塔の魔道士たちは瘴気の炎におっかなびっくりだ。それでも魔力障壁の前へと進み、知的探究心に突き動かされるまま手を伸ばす。

「このダサいローブに初めて感謝します…!」

 魔道被膜加工済みの支給品だ。学生の身分と財布ではそうそう手が出せない。その気持ちは大変よくわかるのだけれども。

「魔塔の予算を握っている相手の前ですよ。言葉は選びましょう」

「実用性重視の外観とでも言っておけ」

 魔塔の卒業生として、戦闘魔道士の先駆者となったコンビがしれっと毒を吐く。

「うん。君たち、もうちょっと取り繕おうか」

 呆れつつも宰相閣下は怒りだしたりはしなかった。

 『扉』は変わらず、そこにあった。ゲート中央。瘴気の中心だ。


 歯がゆいだろうなぁ、とは。オスカーの台詞だ。

 ただ、待つしかない。

 昨晩。暗闇。ゲート真上の夜警中。そびえたつ扉を見上げながら。ぽつりと零された副長の感想が誰に向けられてのものか。

 でしょうね、と返した言葉通りシュタインは危惧している。


 目の前で婚約者が撃たれた。血を流しながら、己の手の届かない場所へと落ちていった。今、このとき、どのような危機に晒されているのかもわからない。

 ……平常心を保てる人間が果たしてどれだけいるだろうか。

 

 傍目には冷静に、軽口も叩き、いつもどおりの魔道士部隊副官に見えているだろう。

 泣いて縋って、ドアを殴り続けたところで隊長は戻ってこない。それを知っている。

 隊長を、婚約者を取り戻すべく、うてる限りの手をうっている。なのに。

 この場にタリスマンの全員が揃ったことも。

(どうせ、)

 さすがは隊長だとか思っているに違いない。

 

 たしかにそうだ。アーデルハイト隊長だから。僕ら魔道士部隊タリスマンを率いる戦乙女ワルキューレだから。必ず帰って来る。そう信じることができる。

 けれどそれだけではないのだ。マルクス・ミュラー。この男が言うのだから。彼が、やると決めたのだから!

 僕らはためらいなく続くことができる。

 何をすればよいのか。指示を求め。即座に返る答え。けれど本当は、マルクスだって正解を知らない。知るはずもない。最善を求め、最良を尽くす不安と焦りを表に出していないだけだ。

 夜に眠り─── 暗闇に跳ね起き。

 食事をとり─── 吐き気をこらえ。

 ミュラーを飛びだした僕らが皇都を目指した旅の頃のように。

 

 悪い予感ばかりが浮かんでしまうのはここが瘴気の真上であることも関係しているだろう。火炎系だけは一人前だが、防備の術式に甘さの残るブレンが北方に悪夢を見続けたように。

 ……魔塔に所属する魔道士たちの声に軽く頭をふって意識をきりかえる。ミュラーをあとにして十年。シュタインはもう、マルクスの足を引っ張る、お荷物になるだけの人間ではない。

 

 採取したサンプルを手に、目を輝かせている魔道士たちに悪意はないが善意もない。向こう側に落ちた少女の安否などもはや意識の外だろう。


「明日も来るよ。それで少しは時間が稼げるだろう」

「感謝します」

 帝国軍は、と言うよりも。その首脳部がそんな生易しい相手ではないと知りつつマルクスは礼をのべた。トップ同士の会話にシュタインが口を差しはさんだのは、カペル宰相という男もまた、職業人としての責務を知る人間だからだ。

「よろしいのですか?」

「見捨てるなと命じることはできない。でも諦めるのは手を尽くしてからだよ。できることも、やることもなくなってからだよ。思考の限界、万策が尽きたあとだ。シュミット中尉。僕はね、人の理性は惰性に勝ると思ってる。悟性は獣性に打ち勝つよ。それが人間だから」

「ご立派です。…ご助力ありがとうございます」

 文官として最高峰に立つ男が掲げる理想としては正しいだろう。

 理性によって同士討ちを避け、悟性によって仲間の救助を優先する。

 現実に実行できるかどうかは別としてだ。それは、事務机に座る宰相だからこそ言える台詞でもあるだろう。血に錆びついた矛先を喉元に突きつけられる場所に立てばまた別の意見もあるだろう。皮肉に思いつつ、現場をあとにする彼らの見送りに足を踏みだしかけたところで。

「マルクス君は覚えているかな。叙勲式の会場、僕らの横の席にご高齢のご夫婦がいただろう? ほら、杖をついていた夫君ふくんと、マーロウが助け起こしていた夫人だよ」

「ああ…、ええ。はい」

「避難所の兵たちの激励に向かったマーロウとお話しする機会があったらしくてね? 息子の婚約者が負傷した、婚約者を守るために息子はゲートから動けないという話をきいたご夫婦はたいそう心配をされてねぇ。だってほら、自分たち会場の人間を守るために窓から飛びだしていったレディナイトそのひとが婚約者だって言うじゃないか。いたく感動をなさってね? 彼ら、クライン公爵家の先代でね? 隠居はしてるけど、あっちの公爵家じゃ一番の発言権と財産を持ってるから。自分たちにできることがあれば声をかけて欲しいということだったからね?」

 この先が予測できてしまった僕は生温かい笑みを浮かべてしまう。

 二代前の軍務尚書はクラウス・クライン。王国との戦争の総指揮官として帝国を勝利に導いた男だ。惜しまれつつ引退し、すでに鬼籍に入ってはいるが。現当主は彼の甥だった。クライン公爵家は今なお軍部に影響力を持っている。

強硬派わからずやたちへの自制の呼びかけをお願いしたんだよ」

 マーロウ・ミュラー。

 恐ろしいひとである。

 運も実力の内とは言うが。我が領主様ながら、と。

 考え違和感におや?と首をひねる。どうやら違う。シュタインのなかでの【領主様】の姿はもはやマーロウではなかった。マルクスへと書き換わっていた。

「ところで、マルクス君。たとえばの話だけどね? もしも、だよ? 72時間が経過しても令嬢が戻らなかったら? どうするつもりだい」

「俺が迎えに行きますよ」

 迷う素振りもなく、グリーンアイズは澄みわたっていた。気負いもなく。だからこそ危うげな色を浮かべている。

「あー…、うん。そうじゃないかと思ってたけど、……やっぱりそうかぁ」

 マルクス君はマーロウの息子だもんねぇ、なんて言葉は耳に入ってこない。

 シュタインは汗の滲む拳を握った。


『マルクスはアーデルハイトを追ってゆく』

 それは自らが騎士たちに語った台詞だ。

 

 だがどうやって?

 …いや。ドアはある。わかりやすい答えが手に届くところにある。

 魔力障壁に守られてはいるが。

 破壊できない物ではない。それはアーデルハイトそのひとが証明している。白色の魔道刃に切り裂いている。魔力にしろ、物理にしろ。相手の防御力を上回る衝撃を与えればよい。


「…待ってください、マルクス」

 掠れた声しか出てこない。身を乗りだしかけた僕を制し、カペル宰相は言葉を続けた。

「ここへ来るまえに、ブラートフィッシュ侯とも話したよ。こっちでも時間が稼げるよう工作を試みるよ。うん。後方支援なら任せて。僕らの本職だからね!」

 親指でも立てそうな勢いと笑顔である。そして魔塔の魔道士たちと共に場をあとにした。開戦前、肌を刺すような殺気のなかを背筋を伸ばし、自信に満ちた足取りで。

 理想を掲げながら、現実の岨道そばみちを往く。

 立派だ。今度こそ心から思う。

 だが今はそれどころではない。

 

 ゲートおよびドラゴンが出現して18時間が経過した。夜を徹し、帝国軍は状況に適応してのけた。馬もつかえない瘴気のなかに大型兵器の配置を、暗闇のなかに独立歩兵大隊の移動を終えている。魔獣の脅威にさらされた皇都にだ。王宮という治外法権下にだ。しかも真理の天秤が描かれた旗も見える。虎の子である戦略級魔道士部隊もお出ましらしい。

 己が所属する組織が無能ではないと実感するのは素晴らしいことだが、敵にまわれば厄介どころではない。

 シュタインらの眼前には獲物を捉えながら「マテ」を命じられた同類、猟犬たちが展開する。

 ここから先はノンストップの耐久戦に突入だ。

 どちらが先に手を出すのか。

 あるいは睨みあったまま72時間を耐え切るのか?


 耐え切った先に待つものを突きつけられたシュタインとしてはそのどちらも避けたい。

 

 夜間のうちにマーロウは皇都を発った。礼拝所に避難していた貴族たちの家からも迎えが訪れており、そのなかへ紛れた格好だ。すぐに護衛を走らせることができたのは近隣の高位貴族たちが多かった。近衛たちも対応に苦慮していたから、あの目立つ男とても難しくはなかった。小競り合いになったとて、歴戦の直卒騎士に囲まれた伯爵家当主を足止めできたとは思えないが。

 赤兎馬を駆り、東へ。帝国軍との演習のため、ヒース地方の戦闘訓練センターへ向かっている五百近いミュラー騎士団の本隊と合流し、掌握するためだ。彼らには皇都でのゲート出現の報はまだ伝わっていない。こうまで予定が、標的が変わった以上、マーロウ本人が出向くしかない。わずかな護衛を連れての強行軍を押し切った。

「マルクス。おまえは手放すなよ」

 そんな言葉に息子を激励し、すでに皇都に入っていた古参兵たちにあとを託した上でだ。

 マーロウが本気でやろうとすれば、止められる人間はミュラーにはいない。領主に物申せる貴重な文官であるシュルツ執政官とても同じことだ。

 ヘアマンさんも、イーヴォおじさんも、シュタインの祖父であったとしても。

 彼ら三人の騎士はマルクスを前に片膝をつき、指揮下に入ることを宣言した。38名の先遣隊を代表した行動だ。愛らしい『坊ちゃん』ではなく。次期領主としてのマルクスに忠誠を誓った。その気にさえなれば。彼らは模範的な騎士として振舞うことができる。半世紀以上だ。人生の大半をミュラーの騎士として生きてきたのだから。

 シュタインと祖父とは見張りの交替時に短い会話を交わした。ぎこちなく「元気か」「変わりはないか」「風邪などひいていないか」、そんなものだ。

「…立派になったな」

「…ありがとうございます」

 十年ぶりの再会は、マルクス親子だけに限った話ではなかった。マルクスがミュラーに帰らない以上、シュタインもまたミュラーの大地を踏むわけにはいかなかった。魔石による電文通信は緊急事態に限った。手紙も定例報告に留めた。何故、ああも意地になっていたのか。シワの増えた祖父の…家族の顔を見て少し、ほんの少しだが後悔もする。十年前の祖父や父の気持ちがわかることが悔しい。

 シュタインもまた同じだった。あるいはマルクス・ミュラーだからなのか。領主様を守る。強固な決意に誇らしさすら感じている─── 腹立たしくもだ!

 

「本気ですか」

 カペル宰相の退席後。 

 こんな状況でなければ襟首を掴んで詰問している。意味合いを尋ね返すほど愚鈍な幼馴染ではない。

「物理法則は同じである可能性が高い。向こう側からやってくる魔獣や幻獣が適応しているからな。空気はある」

「ええ。群れ単位での魔獣が待ち構えているんでしょう。気象や気候も不明です」

「準備は十分に行ったうえで向かう」

 そういう問題ではない。

「僕は連れて行ってください」

 マルクスが驚いた顔をしたことにむかっ腹が立つ。とうとう腕を伸ばした。軍服コートの襟首を掴んで引き寄せた。

「あなた、まさか僕を置いていくつもりだったんですか!?」

「っ……。あとのことはフリードリヒに頼んで、」

「役に立ちますよ、僕は! 有用でしょう! 隊長を迎えに行くと言っていながら! マルクス! あなた、片道切符のつもりだったんですか!」

 後追い自殺などとは言わない。

(意地でも言ってやるものか!)

「そうじゃない。ここまで来て、…ここまでさせておいてミュラーを捨てるのか、と…ああ、責めてもいいんだぞ」

 ようやく吐露された本心を鼻に笑い、手を離す。

「いいんじゃないですか? あなた、下手に頭がいいぶん、周りの事情を理解しがちですから。共感はせずとも、考慮はしてしまう程度には賢いですから。溜めこみすぎなんですよ。誰を、何を踏み躙ってでも往くと決めたならそれも結構なことですよ」

 故郷での幼馴染はろくな反抗期もなかった。美しく、聡明で、模範的な子だった。

 反動は皇都に出てきてから起こったけれども。あちこちで食い散らかしたように見えるマルクスは女好きなんじゃない。恋愛を楽しんでいるわけでもない。むしろ逆だ。否定したいのだ。男女の仲などこんなものかと納得がしたい。だから自分は大丈夫だと。両親のようにはならないと。自分に言い聞かせていただけだ。

 それらの努力もまた、アーデルハイト隊長に出会って無駄になった。

 ノブレス・オブリージュをノンブレス・オブリージュと嗤った少女。

 正直に言えば、恋愛対象とするにはどうかと思っている。あまりに異端だ。

 けれど彼女がいなければ息ができないと嘆くのなら。幼馴染の背を押してやるのはシュタインの役目だ。


(もっとも、)


「これで生きて戻れば、隊長はドラゴンの同類、人外という話にもなるんですが?」

 魔石とのハイブリッド。キメラ、化け物と呼ぶこともできるだろう。

「だからどうした」

 顎を持ちあげ、笑う様子はどこまで高慢だ。傲岸不遜な自信家。これでこそ。安心する。

 それがマルクス・ミュラーという男だ。マルクス自身がそう、育てた。目的を完遂するためには天使様にすら牙をむくマルクス・ミュラーという人間だ。

「生きて、呼吸をしてりゃあいい。それすらも難しいなら、もう。人として生きていなくもていい。彼女が笑っていればそれでいい。ただし俺のそばで。俺の横で。それ以外は認めない」

 聞くまでもなし。

 あまりに下らない問答だったとシュタインも笑った。



いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

仕事納めに出勤してきます。よいお年をお迎えください。

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